たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ほんとの一歩・・・

2015年03月16日 21時39分18秒 | 日記
ドタバダしています。
きのうは結局自分の過去を振り返る時間がなくなってしまいました。
詳細は書きませんが、混乱の収束が今だ見えない中で、やっとほんとうに小さな一歩を踏み出そうとしています。ダメもとで気持ちを切り替えていこうと思います。
今のわたしにとっては、やっと深い思いの中で一歩踏み出そうとしていることが大切です。

今日は少しだけラッキーなことがありました。
これからはいいことだらけだと思うことにしましょう。

緑萌づる日に思う

2015年03月15日 15時54分34秒 | 日記
窓の外は、新しい緑が芽生え始めています。春の足音がきこえてきているんですね。
でも私の春はまだ遠い。なんにも進まないし、決められないし、決まっていないし・・・。
どんどん延ばされています。ある事件遺族の方が仰いました。社会の仕組みは強いもののためにあるのだと。私なんかよりもはるかに計り知れない苦労を強いられている方が世の中にはたくさんいらっしゃるんだろうと思います。普通に生活しているだけだったら知らずにいたことをたくさん知ってしまいました。それが私にとって正解なのか、不正解なのか今はわかりません。ただ希望がみえなくって苦しいです。私がまだ出会っていないだけでどこかにあるのかな・・・。おかしいことをおかしいでしょというために心身をすり減らしてしまいました。なんかもう無理なのかな・・・。よくわからないです。
グリーフに自分がどう向き合ってきたのか、手帳や電子ファイルに記録しています。
あとは手書きのものをデジタルに落としこんで、時系列に整理してまとめあげればいい。
それが大変ですが、だれが必要としているというわけではないですが、人が読むに足るものかどうかわからないですが、自分で勝手にそう思ってやろうとしています。

あとでまた過去の自分へと戻っていこうと思います。

訪問者がゼロの日はないので、誰かが心配して覗いてくれているということですね。
ありがたいです。一人でも読んでもらえれば嬉しいです。

『木靴の樹』シナリオ(4)

2015年03月13日 23時08分27秒 | 映画『木靴の樹』
1990年公開映画パンフレット(フランス映画社発行)より引用します。


農園の中庭(昼)

 石垣の外から物乞いジョバがやって来る。子供達が「ジョバさんだ」とはやしたて、家にかけこむ。


フィナールの家・台所

 食事どき。ジョバが入って来て、隅のマリア像に向かってぼそぼそと祈る。常の事なのでさして驚きもせず、(妻の)フィナルダが食前の祈りを上げる。

フィナルダ「”父と子と聖霊の・・・。主よ我らを健やかに働かしめ、不自由なきようにさせたまえ”(パンの一片をジョバに与え)そら、気の毒なお前さんにも」


ルンクの後家さんの家・台所

 続いてルンクの後家さんの家に入ったジョバは、再び祈り出す。またパンをもらい、嬉しそうに去っていく。そんな彼を、面白がってくすくす笑う子供達。


ルンクの後家さん「笑ってはダメよ。貧しい人ほど神様に近いのよ」


**************

寝台列車がまたなくなっていくんですね。
札幌から上野までの「北斗星」に20年以上前ですが乗ったことあります。
快適でなんだかワクワク感がありました。
眠ってしまうと景色をみることができないので
もったいない気がしたような・・・。
急ぐばっかりで、こんなゆっくり、のんびりの旅路は許されない社会にどんどんなっていく。
ゆっくり、ゆっくりじゃダメなのかな・・・。

いろいろな思いに揺れながら・・・

2015年03月12日 19時03分47秒 | 日記
話は進みません。この調子だと最後の本当にきつい場面を迎えなければならないかもしれません。苦しいところですが、自分の力ではどうすることもできません。
4年前の今日は、夜が明けてから動き始めた電車に乗って自分の部屋に帰りました。
街の中がしいんと静まり返っているのがなんだかこわい感じでした。
7時ごろ部屋に着くと停電していた形跡があり、それからテレビをつけて、全く眠れないまま夜を迎えました。お風呂の中で疲労から気が付いたらうとうとしていました。危ないですね。
当たり前すぎる、ありふれた日常を送っていけることこそが一番むずかしくてかけがえのないものだとあらためて思います。

今月に入って制服みたいなスーツ着た若者たちを、街中で、カフェでたくさん見かけるようになりました。大きな会社にどんどんエントリーして、何を求めているのだろう、何を目指しているのだろう。なんか気持ち悪い光景だなあと思ってしまいます。
そうやって入っても早ければ一年もしないで去っていく人たちをたくさんみてきました。


国家試験の前に実習に12日間行ったときのノートを先日読み返していました。
本当に苦しかった。完全に業務量オーバーワークのすごいストレスを抱えながら、休日のサイクルが違う施設との日程を調整してこなした12日間。
母のことを受け容れられずに苦しくって苦しくってたまらなかった自分と向き合いもがいていました。自己満足だけになっていても仕方ないですが、よくがんばったなあと思います。
自分の気持ちと向き合ってきた日々はかけがえのないものでした。
どうやってまとめられるか、勝手に日々考えているこの頃です。

グリーン・ゲイブルズの前の橋を渡って、お化けの森を通りぬけていくとモンゴメリさんが
『赤毛のアン』を書いた家の跡にたどりつきます。行ってみるまで知らなかったですが、
このあたり、ゴルフ場になっています。
プリンス・エドワード島らしくのんびりとしたゴルフ場でした。




「大草原の小さな家」への旅_ミネソタ州ウォルナット・グローヴ(博物館より)(2)

2015年03月11日 16時46分46秒 | 「大草原の小さな家」への旅
「ウォルナット・グローヴの博物館は、ぺピンの博物館より大きく、いくつかの建物に分かれていた。開拓時代の家具、衣服などの生活用品を展示した棟、当時の教会と学校を再現した棟など、開拓史の生活を立体的に見せている。

 ローラゆかりの品としては、彼女が縫った紅白のキルト、写真、ローラ生前の新聞記事、ドラマでメアリ役をしたメリッサ・スー・アンダーソンなどの来館記録などがあった。」

(松本侑子著『アメリカ・カナダ物語紀行』平成21年幻冬舎文庫、183頁より)


博物館前の幌馬車。



『プラム・クリークの土手で』の挿絵が何点かありました。









『シルバー・レイクの岸辺で』の挿絵ですね。



ローラのお裁縫セット。




だいじょうぶ、だいじょうぶと言い聞かせて

2015年03月09日 18時15分45秒 | 祈り
一年前の自分にはあり得なかったような困難な局面をいくつもいくつも通りぬけてきました。
ここを超えればきっと大丈夫。その連続で気がついたらここに来ていました。
もう終わっていもいいんじゃないの・・・、普通に考えればそうですがまだ許されません。
本当に困難な道のり、こんなつもりではなかったことの連続。
これで本当によかったのかどうか、一定の結果が出てもたぶんわからないでしょう。
ただ、私の気持ちに区切りをつけていくためにはここまでの道のりが必要だったんだとは思います。

一昨年の秋のレミゼの観劇日記に「明日への希望」と、私書いています。
そういう引き出しが今の私を支えています。
どこかにきっと希望もある、守ってくれている、きっと大丈夫と自分に言い聞かせるしか今はないです。自分ががんばったらこうなる、というものはもうありません。
もう少し辛抱していたら一定の納得できる結果で収束できるのか、そうでないのかわからないまま、まだ辛抱を強いられています。これが本当に正しい流れなのかそうでないのか、自分では判断がつかないですが、ここまで来てしまっているので他に行くことももうできません。

先週当事者として話をさせてもらって数日が過ぎてみると、ずっと長い間人に言えなかった、
言ってはいけないと思い続けてきたことを外に出してしまったことで、客観的なものとなり、自分の中でひとつ抜けた感じがあります。

ふたつの喪失体験を通して見えてきたものはたくさんあります。
一年前からの手帳に書いたものを読み返していると、大切な気づきがたくさんあります。
伝えたいことがたくさんあります。でもここに書くことはできないので、別のかたちで伝えようと思っています。

落ち着かない中ですが、今日はまた20年前のすごく情けない自分に戻ってみようと思います。
本当に情けない感じですが、受け入れようと必死にもがいていた私がいます。
書くことで私、自分の気持ちと向き合い続けました。
また長くなってしまいますがよかったら読んでください。
こうしてさらけ出してしまうにはどうかなと思うこともありますが、妹とのお別れから一年と二か月の頃で、精神医学の知識も全く持っておらず、、母の病気を理解することができずに苦しんでいました。今は日進月歩で技術も進んでいるし、考え方もどんどん変わってきているので、わたしの中での偏見もありません。

エリザベートの思い出、モーツアルトの観劇日記、旅の写真なども載せたいと思いつつ・・・。

「1995年11月3日(金)Fine

疲れているのに、こうして書かないではいられなくて、ペンをとってしまった。
自分の中で、ことばにして組み立てないのではいられないのだ。
まだまだ青いんだなあ、と我ながら思う。
自分の性格のことで悩んでなにになるんだよ。
そう思うのに、また頭の中でぐるぐる回ってる。
やっぱりきついのかなあ、なんて思ってしまう。
もしかしたら、言い訳にしてるだけかもしれないけど、自分の中でまたお勤めしていて起ってるジレンマ、口下手コンプレックス、気軽に話しかけられない、話題をみつけることが苦手だし、人はこんな自分と話していてもつまんないんじゃないかと思ってしまう。
つまんないこと気にしているよね。
わかってんだけど、こわいんだ。
求める気持ちが強すぎるからなおさらこわい。
夢中になり過ぎるところあるし、ほんとは人が好きなのに、新しい人間関係を求める気持ちいっぱいあるのに、こわいんだ。
とろいわたし、ドンくさいって今でも笑われることのあるわたし、大人の年齢なのに、
上から見下ろされることある。ばかにされてるな、なめられてるなって感じることある。
頭の回転がにぶい奴だっていう意識があるから、よけい臆病になる。
こわいんだ、母と似ていることがすごくいやなんだ。
この呪縛から解き放たれたいのに、まだまだ・・・だ。
自分にもおかしくなるような血が流れてのかもしれないし、
悪い所ばっかり、いやな所ばっかり似てるような気がして、どんどんマイナス思考。
ヘンな暗い考え方をするとこ嫌いだし、不潔なとこもいやだし、カーッとなると前後の
見境がなるなるとこもいやだし、頭の中で自分の理屈をぐるぐる回している、見てる方がしんどいよ。そういうとこ、みんなわたし似てる。マイナス面ばっかり・・・。
花を飾ろうともしない。寒くってしかたないよ。
母がつらいと家族みんながつらい。
太陽のように明るくいてほしいのに、前に進もうとしないなんて、許せない。
人に甘えてるだけなんて、わたしはいやだ。
ああはなりたくない。
こんなことを思ってしまうなんてひどい娘かしら、とまたジレンマ。
だけど、母の考え方は嫌いだ。すっとぼけるとこも嫌いだ。
人とつきあうことを、社会を生きるために必要な大切なことを、ちゃんとおしえてほしかった。ほんとに、ほのとに、どう受け止めていいのかわからない。
素直にやさしい気持ちになんかなれない自分をどうしていいかわからない。
また、カウンセリングが必要なようだ。
吐き出して、励ましてもらえればすっきりする。
親からはなれる作業をずっと続けているなんて悲しすぎるね。
勤めるのは疲れる。すっかりのどをやられたり、電車が混んでいたり。
休日は休日としてすごそう。
もう眠い。少しはすっきりしただろうか。
ブツくさブツくさいってばかりいないでサ、プラスになることだけ考えよう。
こんなわたしでいいじゃない。」


春のプリンス・エドワード島の、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡への入り口。グリーン・ゲイブルズから、お化けの森を通りぬけて道路を渡ります。
モンゴメリさんは晩年、旦那さんの病気にずいぶん苦しんだようです。
家族ってむずかしい・・・。





赤毛のアンを原書で読むセミナー(第37章死という命の刈りとり)

2015年03月08日 22時21分51秒 | 『赤毛のアン』
去年の12月20日に第37章「死という命の刈りとり」を読みました。
マシューとの突然の別れが訪れる場面で、父親とのお別れの時を思い出してしまいました。

さらなる緊張を強いられる場面にいかなればならないのか、その前に苦渋の選択を強いられて終わることができるのかのどちらか、緊張の日々が続いています。
思わず肩に力が入ってしまいますが、昨日体にアプローチして心の緊張をといていく方法を
教えてもらえる機会があったので、呼吸を整えながらようやく書いてみようと思います。



The news spread quickly through Avonlea,and all day friends and neughbors

thronged Green Gables and came and went on errands of kindness for the dead

and living. For the first time shy,quiet Matthew Cuthbert was a person of

central importance;the white majesty of death had fallen on him and set him apart

as one crowned.

「訃報は、またたくまにアヴォンリーに広まり、終日、グリーン・ゲイブルズは、お悔やみに訪れた友人や近所の人々が耐えなかった。弔問客は、亡き人と残された二人のために、何くれとなく世話をやいてくれた。人見知り屋で無口だったマシューが、初めて、人々の関心をひき、その的となった。死という青ざめた王者の威厳がマシューにそなわり、彼に王冠を載せ、生ける人々と引き離したのだ。」

When the calm night came softly down over Green Gables the old house was

hushed and tranquil.In theparlor lay Matthew Cuthbert in his coffin,

his long gray hair framing his placid face on which there was a little kindly smile

as if he but slept;dreaming pleasant dreams.

「やがて夜の静寂が、グリーン・ゲイブルズにそっと訪れた。古い家に人声はとだえ、ひっそりと静まりかえった。マシューの棺は、客間に安置された。安らかな顔は長い白髪にふちどられていた。まるで楽しい夢を見て眠っているように、微かに優しく微笑んでいた。」

In the night she awakened,with the stillness and the darkness about her,

and the recollection of the day came over her like a wave of sorrow.

She could see Matthew,s face smiling her as he had smiled when they parted

at the gate that last evening--she could hear his voice saying,

"My girl--my girl that I,m proud of."

Then the tears came and Anne wept her heart out.

Marilla heard her and crept in to comfort her.

「夜ふけ、アンはふと、目が覚めた。あたりは静まりかえり、真っ暗だった。すると、今日一日の出来事が、悲しみの波となって一挙に押しよせてきた。昨晩、木戸のところで別れぎわに、アンに微笑んでくれたマシューの笑顔が、目にありありと浮かんできた。「わしの娘だ、わしの自慢の娘だよ」と言ってくれた声も、耳によみがえってきた。そのとたんに、涙があふれ、アンは胸が張り裂けんばかりに泣いた。マリラはその泣き声を聞きつけると、アンを慰めようと、そっと部屋に入ってきた。」

”There--there--don,t cry so dearie.

It can,t bring him back.

It--it--isn,t right to cry so.

I knew that today,but I couldn,t help it then.He,d always been such a good,kind

brother to me--but God knows best."

「「さあ、さあ、そんなに泣くのはおよし、いい子だから。泣いても、マシューは帰ってこないんだよ。そうだよ、そんなに泣いちゃいけないよ。それを私もわかっていたけれど、今日は堪えきれなくて泣いてしまったよ。私にとってマシューは、いつも心根の優しい、いい兄さんだった。でも、これは神様のおとりはからいだからね」」

”Oh,just let me cry,Marilla,"sobbed Anne."The tears don,t hurt me like that ache

did.Stay here for a little while with me and keep your arm round me--so.

I couldn,t have Diana stay,she,s good and kind and sweet--but it,s not her sorrow

--she,s outside of it and she couldn,t come close enough to my heartto help me.

It,s our sorrow--yours and mine.Oh,Marilla,what will do without him?"



「「ああ、マリラ、でも今は泣かせて」アンは泣きじゃくりながら言った。「涙は私を楽にしてくれるの。悲しい時のあの胸の傷みは、私を苦しめるけれど。もう少しここにいて、私を抱いていて、そう、ありがとう。ダイアナには、いてもらうわけにはいかなかったの。親切でおもいやりのある友だちだけれど、でも、これは彼女の悲しみじゃないもの。ダイアナは、悲しみの外にいるに、だから、私の心に近づいて慰めることはできないのよ。これは私たちの悲しみよ、マリラと私の悲しみよ。ああ、マシューがいなくなって、これから私たちどうすればいいの」」

"We,ve got each other Anne.I don,t know what I,d do if you weren,t here--

if you,d never come.Oh,Anne,I know I,ve been kind of strict and harsh

with you maybe--but you mustn,t think I didn,t love you as well as

Matthew did,for all that.I want to tell you now when I can.

It,s never been easy for me to say things out of my heart,

but at times like this it,s easier.I love you as dear as if you were my own flesh

and blood and you,ve been my joy and comfort ever since you came to Green Gables."


「「私がついているよ、それに私には、アンがいるんだね。ああ、もしあんたがいなかったら、もしもこの家に来ていなかったら、私は途方に暮れていたよ。私は頑固者で、あんたに厳しかったと我ながら思うよ。だからといって、マシューほどあんたを愛していないだなんて、想わないでおくれ。今なら言えそうだから、言うよ。自分の気持ちを口にするのはどうも苦手だけれど、こういう時なら、言えそうだからね。私はあんたのことを、血と肉を分けた実の娘のように愛しているんだよ。グリーン・ゲイブルズに来たときからずっと、あんたは私の歓びであり、心の慰めだったんだよ」」

『Anne of Green Gables』L.M.Montgomery
(松本侑子訳『赤毛のアン』2000年、集英社文庫427-430頁より)



the calm night came softly down over Green Gables-
夜が静かにおりてきてグリーン・ゲイブルズを包み込む-

原文だからこそ味わうことのできるモンゴメリさんの美しい表現。
翻訳するのはむずかしいという松本先生のお話でした。


Oh,Marilla,what will do without him?"-
私たちこれからどうすればいいの?

農場の担い手だったマシューがいなくなって私たちこれからどうやってごはんを
食べていくの?とアンはマリラにたずねている、という松本先生のお話でした。


映画『赤毛のアン』でコリン・デュハート演じる、気むずかしいけれど本当は豊かな愛情と優しさを内側に秘めている、ごつごつっとした感じのマリラがアンを抱きしめながら、初めて素直に愛情を伝える場面は印象的です。
自分の思いを言葉にして相手に伝えることがなかなかできないマリラの不器用さに
共感できるものがあります。そんなマリラが、アンとの出会いによっていつしか変わっていき、素直に気持ちを言葉で表現する姿に心が動かされます。
アンとマシュー、マリラは血のつながりがないからこそ、より深い愛情で結ばれて本当の家族になることができたのかもしれません。


「それまでのマリラはアンを大事に思っていても、素直に愛情を伝えられませんでした。しかしマシューが急逝した日、マリラは初めてI love youとアンに語ります。アンを育てることで愛情表現のできる成熟した女性へと変わったのです。
第36章では、マシューが「わしの自慢の娘だよ」とアンに語りました。第37章では、マリラも「血肉を分けた子どものように大事に思って愛している」とアンに言います。こうしてグリーン・ゲイブルズの3人は本当の親子でなくとも、情愛で結ばれた父と娘、母と娘になったことを、物語の終盤で、作者は感動的に伝えています。」

(松本侑子著『英語で楽しむ赤毛のアン』㈱ジャパン・タイムズ、2014年7月、184頁より)

写真は、グリーン・ゲイブルズの居間。
亡くなった人の髪の毛をリースに編み込む習慣があったそうです。
金髪だと違和感がないですね。

カウンセリングスクールの後期のレポートより

2015年03月05日 15時07分43秒 | 祈り
カウンセラー養成講座の基礎科の授業の後期のレポート全文を書こうと思います。
また長く重い内容ですが、よろしかったら読んでください。

「基礎科の授業を受けて感じたこと、考えたこと
-なぜ自分は基礎科の授業に通い続けたのかー

 このレポートを記している現時点ではあと2回の授業を残すのみとなった。なんとか認定時間をクリアすることはできたという安堵感と共にこのレポートを記している。後期の授業は金曜日が中心であった為、毎週金曜日の夜仕事を終えて授業に出る、という行為そのものが非常にきついものとなった。金曜日の夜6時に退社するために上司の了解を得、木曜日まで仕事をがんばって、金曜日は朝からずっと時計を気にしつつ過ごし、やるだけのことはやって、それでも帰りづらい雰囲気の中を振り切って退社し、金曜日の夜スクールにようやく辿り着く頃には心身共に疲れ果ててしまっている。そんな状態を繰り返してきた。

 毎回私が教室に入るときには、すでに授業は始まっている。まずドアを開けて教室内を見渡してみると、ほとんどの机が両端はすでに人が占め、真ん中だけがぽっとあいている。非常に入りづらい状況である。講師の声が静かに響く中、どこの席に坐ろうかとしばらく入り口で立ち止まって考えている私がいる。グループワークの日ともなると、特に自分の席を決めることに躊躇してしまう。時々、いちばん後ろの席に坐っている方が隣にどうぞというように促してくださることもあるが、視力の弱い私は一列丸ごとあいている一番前の席にたいてい坐ることになる。席を決めて坐り、顔は講師の方を向いていても、メモをとっていても、まだ頭の中は仕事モードから切り替わってはいない。職場で受けたストレスと疲労感でいっぱいである。諸々の怒りが駆け巡っている。怒りの感情はとても大切ですよ、というある講師の言葉が頭の中で繰り返される。体中に溢れている怒りの感情をどうすればいいのかわからない。前期のレポートでは、日常生活の中では自分の思いを表情に出さないように一生懸命閉じ込めていると記したが、そんな必要はないのかもしれない、という気が最近ではしてきている。私の課題の一つであろう。

 先に記したような状態を繰り返しながらも、なぜ私は毎週通い続けようとがんばってきたのか、ということをここで改めて考えてみたい。心の問題を学習するということは、私にとってむしろ苦しみである。こんなことをしてないで、楽しく遊ぶことだけを考えるようにしている方がよかったのではないか、会社の中だけでも十分に神経をすりへらしがんばっているのに、その上こんなことをなぜしようとしたのか。

 あちらこちらで報道されている阪神淡路大震災から10年のニュースを見ながら、自分が今「生きている」ということに思いを馳せる。私には一歳年下の妹がいたが、妹は阪神淡路大震災を知らない。その前年の9月、突然逝ってしまったからである。母が精神を患ってからは10年が過ぎている。なぜ私はこうして生き続け、妹は自ら死を選ばなければならなかったのか、その人生にはどんな意味があったのか、なぜ母は生きながら精神を病み続け廃人のようになってしまっているのか、そんな母の人生の意味は? 誰が悪いわけでもないのに、私の家族になぜ不幸はやってきたのか、多くの?に対して、決して消すことのできない自分を取り巻く事実に対して、何らかの答えをみつけたかった。精神疾患の素因は遺伝するものかどうか、ということも確かめたかった。自分もどこかおかしいのではないか、そんな恐れをずっと抱き続けてきた。こんな私がもし結婚して子供をもつようなことになったら決して幸せにはなれない。そんなことをしてはいけない。そんなことさえ思ってきた。だが、重い荷物が軽くなることはないし、時が癒してくれることもないのだ。前期のレポートで、少しでも楽になりたい、私にとって”楽になる”ということは、時間の経過と共に自分の中で背負い続けなければならない荷物が軽くなったような、そんな感じを持つことだと記した。だが、そういう意味での楽になるということはあり得ないであろう。

 妹の死から10年が過ぎたが、私の中には、まだ事実を事実としてあるがままに受け止めたくない、という思いが潜んでいるようだ。私を取り巻く家族によってもたらされた事実を疎ましいとさえ思っている。そんな自分がいるのだ。多くの人々が故郷へと帰省する年末年始の休暇期間中、今年もまた実家に足が向かないまま一人で過ごした。一人でいながら、心の中は忘れたくても忘れることのできない家族のことでいっぱいである。

「物理的には一人でも、心の中では、内在化されたさまざまな他者の声に支配され、捕われ、がんじがらめになっていて、身動きとれなくなっている」(諸富祥彦『カール・ロジャース入門-自分が”自分”になるということ』コスモス・ライブラリー、1997年、162頁より引用)といった状態であろうか。家族のことに囚われ続けていることによって、私はまだ「自分のほんとうの声」(前掲書、163頁より引用)が聞こえていないのかもしれない。妹を私が救ってやることはできなかっただろうか、母をなんとかしてあげることはできないだろうか、そんな思いをいつも心の片隅に持ち続けながら私は日々を過ごしてきた。赤の他人であれば突き放して考えることができるが、家族であるが故に私は母と妹を自分の中に引き込み、自分のこととして考え続けてきた、だが、家族であるが故にどうすることもできないのだ、ということを私は今受け容れなければならない。

「安定した看護、治療、相談は、「守秘義務をもった他人」だけができる。家族だから話せることもあるが、家族だから話せないこともある。どんな看護師も医師も自分の家族の治療はできない。客観的にみることがむずかしいし、どこまでやったらよいという限度も、いつまで続くという限度もなく、十分すぎてあたりまえであって、足らないところは相手が責めなくても自分が責める」。(中井久夫・山口直彦『看護のための精神医学<第二版>』医学書院、2004年、5頁より引用)。中井久夫は、『看護のための精神医学』の中でこのように述べている。私にとって、”楽になる”ということは、母と妹を、自分のこととして取り込まないこと、自分に引き寄せすぎないでいられるようになることなのかもしれない。どうやら、私は「本当の意味で「ひとり」になることができ」(諸富祥彦、前掲書、163頁より引用)たつもりになっていたが、できていなかったようだ。本当の意味で「ひとり」になり、自分自身を取り戻していくということは容易なことではない。人が自分自身になっていく過程は試行錯誤の連続なのだ。

 臨床心理士の福島哲夫は、心理療法について次のように述べている。「心理療法とは、治療者としてささやかな試行錯誤を繰り返すという形で、その人自身の人生における試行錯誤を支えるといくことではないだろうか。試行錯誤は、衝動的な行動化でもなく、一発逆転の革命でもない。奇跡を待ち望むという姿勢でもないし、さりとて不安なまま現状にしがみつくことでもない」(福島哲夫「アニミズムと臨床心理学-個人的な体験から-」慶応義塾大学通信教育補助教材『三色旗 633号』2000年12月、8頁より引用)。さらに、福島は、人間の心の健康について考えると、「バランス」がとても大切であると述べている。「「バランス」とは、たとえば、論理と情のバランス、暖かさと厳しさのバランス、独立と和合のバランスなのである。これらの中央値を求めるのではなく、自分なりのバランスを探りながら安定する、いわば揺れ動きながら安定するヤジロベエのようなありかたである」(前掲書、8頁より引用)と。

 ヤジロベエはゆらゆらと揺れながらも芯は安定している。人の心に絶対値というものはない。鋼のようにがっちりとしていて何事にも全く動じないのではなく、ゆれながらも芯は安定しているヤジロベエのようでありたいと思う。そして、誰もが一人の人として自分の足で歩いていくことができるように手を差し伸べていく、ささやかながら支えていく、そんな社会的な何かが私にもできないだろうかと考え始めている。基礎科の授業を受けてきたことによって、さらに?は増え、多くの?が私の中に渦巻いている。さらに学び続けていきたいと思う。「精神を病む、ということはそんなに簡単に解明できるものではない」という、精神医学の講師の言葉が胸に響いている。」

10年前のわたしはこんなことを考えていたんですね。
そのままさらけ出して書いてしまいました。
読んでくださリ、ありがとうございました。


空から見守ってくれていますように・・・。


 

伝わったかな・・・

2015年03月04日 20時13分49秒 | 日記
昨日はじめて当事者として人前で話をさせていただきました。
21年という歳月は本当に長くて、いろんな思いがあふれてしまいました。
限られた時間で全部を伝えることはとうてい無理ですが、妹が教えてくれたことの
ほんの少しでも伝えることができていれば、きっと魂も喜んでくれていると信じています。

少し前に図書カードをいただいたので、書店にコーナーが作られていた後藤健二さんの
著書を一冊購入しました。わかりやすく書かれていて、文字サイズも大きめです。
何を教えてくれているのかを、大切に考えたいと思います。

さらに緊張を強いられる場面に進んでしまうことになるのか、その前に収束できるのか、
じっと待つしかない状況です。私がなにをどうがんばって、どうなるということはもうありません。辛抱の時はまだ続いています。

昨日話をさせていただいたことで、ようやくほんの少しだけこれでよかったんだと思うことができるようになりました。これでよかったのか、否か-生きていくのにこれが絶対に正解だというものはどこにもありません。

どこかに希望があることを信じる心を持ち続けながら今はまだじっと辛抱です。
きついですが・・・。

秋のプリンス・エドワード島への旅_ロウアーベティック

2015年03月03日 18時47分11秒 | プリンスエドワード島への旅
息抜きに久しぶりに秋のプリンス・エドワード島に帰ってみようと思います。

3日目に訪れたプリンス地区、モンゴメリさんの3つ目の赴任地ロウアーベティックから。


ワンルームスクールの敷地内の一枚。




モンゴメリさんが下宿した家。



またいつか行きたいな・・・。