3日の研修でお話させていただくのに向けて資料を準備するために、21年間を時系列で振り返りました。辛い作業でしたが、やってよかったと思います。
忙しさのあまり、自分でも忘れてしまっていることもありました。
社会資源が少なかった21年前から今まで、逃げることなく自分の気持ちと向き合ってきた過程には大切なことがいくつもちりばめられていました。
どうやって向き合ってきたか、少しまとまったものを冊子にしてもいいのかなと一人で勝手に思ったりしているこの頃です。
人生の出直しの節目、いろんなことが見えすぎてしまってつらくなってしまっている私がいますが、こうして自分を客観視できる機会をいただいて、見えてくるものもあるかもしれません。
妹とのお別れから10年が過ぎたころ、カウンセラー養成講座の基礎科に通いました。
前期の終わり頃と修了間近な頃に書いたレポートの全文を載せようと思います。
10年前のわたしはこんな思いの揺れ動きの中にいました。今日は前期のレポートです。
長くなります、重い内容ですがよろしかったら読んでください。
「基礎科の授業を受けて感じたこと、考えたこと-ロジャースを中心に-
18年にわたって続けた慶応義塾大学の通信教育課程を3月に卒業し、「人間関係学」の学位を取得した。5月に満を持してカウンセリングスクールに入学した。始めて心の相談室へ足を運びカウンセリングを受けた時から約9年が過ぎていた。ようやく入学できたという喜びと、カウンセリングを学ぶ過程で自分自身のカウンセリング体験を思い起こして辛くなってしまうのではないかという不安が交錯していた。不安が現実になったのは、7月3日『来談者中心療法』の授業においてであった。諸富先生の語るロジャースのクライアント中心療法時代の話に涙が止まらなくなってしまっていた。クライアント中心療法時代はロジャースが典型的なカウンセリングの有り方を示した時代である。諸富先生はこの時代に示したロジャースのカウンセリングの有り方を著書の中で次のようにまとめている。「つまりカウンセリングとは、他者との関係の中で、人がはじめてほんとうの意味で「ひとり」になることができるという逆説的な関係のことなのです。そこで人は、自分の心のメッセージに耳を傾けて、徐々に「これが”自分だ”」と実感できる”自分”を取り戻していくことができます。”自分自身”になっていくことができるのです。」「ありのままの自分を受け容れること。自分の心の声に耳を傾けて、より深く”自分自身”になっていくその変化のプロセスを生きていくこと。これがロジャースの基本メッセージなのである。」(諸富祥彦『カール・ロジャース入門自分が”自分”になるということ』コスモス・ライブラリー、1997年発行、163-164頁)と。クライアントが自分の世界に没頭できるような世界をつくりあげているのがカウンセラーの役割であることをロジャースは示したのだ。
私が9年前に心の相談室で繰り返し受けた面接はまさにこのようなプロセスをたどって行ったにちがいない、という思いが溢れ出してきた。カウンセラーは私の気持ちに寄り添い、私はカウンセラーを通して見えてきた自分の世界に没頭した。「幾度かカウンセリングを重ねていく過程で、私は事実を事実としてあるがままに受け止めることができるようになり、カウンセラーを通して自分の足で歩き始める力を自分の中に見つけることができたように思う」、と入学申し込み時に提出した「私について」の文章の中でも私は記している。9年前の9月21日二歳下の妹が突然逝ってしまうという事実に戸惑いもがき苦しみ藁にもすがる思いで受けたカウンセリングによって、今の私はある。授業を聴講しながら、そんな思いが胸にこみあげ涙が止まらなくなってしまっていた。だが、私はまだ事実を事実としてあるがままに受け止めるということが十分にできてはいなかった。できたつもりになっていただけだった。そのことに気づいたのは、7月17日のカウンセリングによってであった。
7月17日、私は再び、妹が死の一週間前私に電話をかけてきたことを話さなければならなかった。その時私は妹の苦しみを受け容れるどころか、崖から突き落とすようなひどい一言を放ったことを話さなければならなかった。一週間後妹は自ら手の届かない所へ逝ってしまった。妹が、お姉ちゃん助けて、とSOSを送ってきていたのに全く気づいてやれなかった。いや気づこうとしなかった私がいた。その後数年間私は、あの時受け止めてあげていれば、と自分の愚かしさを繰り返し、繰り返し責め続けた。私にはあまりに重過ぎる荷物だった。時が癒してくれるなどと言う。少しでも楽になりたかった。面接の中で自分が繰り返し使った”楽になる”という言葉の意味を考えてみた。時間の経過と共に自分の中で背負い続けなければならない荷物が軽くなったような、そんな感じをもちたかった。私が言った”楽になる”ことというのはおそらくこんな意味合いを含んでいる。だが、事実が消えることはないし、背負ってしまった十字架が軽くなることもない。9年前の事実を再びカウンセラーに話したことはこうしたことを自分の中で確認していく過程であった。事実はあまりにも重く今もやっぱり苦しい。苦しくてたまらない。あふれ出した涙がそう語っていた。
ロジャースは、「治療的人格変化の必要にして十分な条件」の一つとして、「受容」もしくは「無条件の肯定的配慮」を挙げている。(前掲書、206頁、208頁より引用) つまり、気持ちの中のどの部分も否定しない、選択しない、どの部分にも積極的に「あるね」と存在を認めていくということである。これは容易なことではない。9年前とは違う、卒業論文を書いた後の私が今あるがままの事実を受け止めようとしてもがいている。今どんな私がいるのかまだわからない。今私の中には幼い頃からの様々な場面での体験、その時の思いが溢れ出してきている。それらを誰かに語ることで自分の棚卸をしたい思いにかられている。またカウンセリングを受けることが必要だろう。
日常生活とカウンセリングは大きく異なる。日常生活の中では自分の思いを表情に出さないように一生懸命閉じ込めている。カウンセリングの場とは全く逆のことを努力して行っているのだ。これから行っていくカウンセラートレーニングにおける自己受容、さらには自己開示には大きな苦痛が伴うだろう。今後カウンセラーになることを目指すかどうかはわからないが、普通の女性が「個」として自立していくことを援助できるような何らかの社会的な職業に就きたいと考えている。今自分がクライアントとして悩み苦しんでいることは宝となるにちがいない。ロジャースは、人間ジャガイモ論の中で、「人間もジャガイモも条件さえ整えば、自らの<いのち>をよりよく生きる方向へ向かうよう定められた存在である」(前掲書、165頁より引用)と述べている。自分が成長していく可能性を信じ、ロジャースと出会ったこと、今とても苦しい思いをしている、ということを大切に受け止めていきたいと思う。カウンセラートレーニングの第一歩は踏み出したばかりだ。焦らずに進んで行こう。」
10年前に私はこんなことを考えていたんですね。
私が本当に自分の中で納得できるようになったのは、母とのお別れのあとだったと思います。
これが正解、不正解という答えはどこにもなく、私にはそれだけの時間が必要でした。
重い内容を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
忙しさのあまり、自分でも忘れてしまっていることもありました。
社会資源が少なかった21年前から今まで、逃げることなく自分の気持ちと向き合ってきた過程には大切なことがいくつもちりばめられていました。
どうやって向き合ってきたか、少しまとまったものを冊子にしてもいいのかなと一人で勝手に思ったりしているこの頃です。
人生の出直しの節目、いろんなことが見えすぎてしまってつらくなってしまっている私がいますが、こうして自分を客観視できる機会をいただいて、見えてくるものもあるかもしれません。
妹とのお別れから10年が過ぎたころ、カウンセラー養成講座の基礎科に通いました。
前期の終わり頃と修了間近な頃に書いたレポートの全文を載せようと思います。
10年前のわたしはこんな思いの揺れ動きの中にいました。今日は前期のレポートです。
長くなります、重い内容ですがよろしかったら読んでください。
「基礎科の授業を受けて感じたこと、考えたこと-ロジャースを中心に-
18年にわたって続けた慶応義塾大学の通信教育課程を3月に卒業し、「人間関係学」の学位を取得した。5月に満を持してカウンセリングスクールに入学した。始めて心の相談室へ足を運びカウンセリングを受けた時から約9年が過ぎていた。ようやく入学できたという喜びと、カウンセリングを学ぶ過程で自分自身のカウンセリング体験を思い起こして辛くなってしまうのではないかという不安が交錯していた。不安が現実になったのは、7月3日『来談者中心療法』の授業においてであった。諸富先生の語るロジャースのクライアント中心療法時代の話に涙が止まらなくなってしまっていた。クライアント中心療法時代はロジャースが典型的なカウンセリングの有り方を示した時代である。諸富先生はこの時代に示したロジャースのカウンセリングの有り方を著書の中で次のようにまとめている。「つまりカウンセリングとは、他者との関係の中で、人がはじめてほんとうの意味で「ひとり」になることができるという逆説的な関係のことなのです。そこで人は、自分の心のメッセージに耳を傾けて、徐々に「これが”自分だ”」と実感できる”自分”を取り戻していくことができます。”自分自身”になっていくことができるのです。」「ありのままの自分を受け容れること。自分の心の声に耳を傾けて、より深く”自分自身”になっていくその変化のプロセスを生きていくこと。これがロジャースの基本メッセージなのである。」(諸富祥彦『カール・ロジャース入門自分が”自分”になるということ』コスモス・ライブラリー、1997年発行、163-164頁)と。クライアントが自分の世界に没頭できるような世界をつくりあげているのがカウンセラーの役割であることをロジャースは示したのだ。
私が9年前に心の相談室で繰り返し受けた面接はまさにこのようなプロセスをたどって行ったにちがいない、という思いが溢れ出してきた。カウンセラーは私の気持ちに寄り添い、私はカウンセラーを通して見えてきた自分の世界に没頭した。「幾度かカウンセリングを重ねていく過程で、私は事実を事実としてあるがままに受け止めることができるようになり、カウンセラーを通して自分の足で歩き始める力を自分の中に見つけることができたように思う」、と入学申し込み時に提出した「私について」の文章の中でも私は記している。9年前の9月21日二歳下の妹が突然逝ってしまうという事実に戸惑いもがき苦しみ藁にもすがる思いで受けたカウンセリングによって、今の私はある。授業を聴講しながら、そんな思いが胸にこみあげ涙が止まらなくなってしまっていた。だが、私はまだ事実を事実としてあるがままに受け止めるということが十分にできてはいなかった。できたつもりになっていただけだった。そのことに気づいたのは、7月17日のカウンセリングによってであった。
7月17日、私は再び、妹が死の一週間前私に電話をかけてきたことを話さなければならなかった。その時私は妹の苦しみを受け容れるどころか、崖から突き落とすようなひどい一言を放ったことを話さなければならなかった。一週間後妹は自ら手の届かない所へ逝ってしまった。妹が、お姉ちゃん助けて、とSOSを送ってきていたのに全く気づいてやれなかった。いや気づこうとしなかった私がいた。その後数年間私は、あの時受け止めてあげていれば、と自分の愚かしさを繰り返し、繰り返し責め続けた。私にはあまりに重過ぎる荷物だった。時が癒してくれるなどと言う。少しでも楽になりたかった。面接の中で自分が繰り返し使った”楽になる”という言葉の意味を考えてみた。時間の経過と共に自分の中で背負い続けなければならない荷物が軽くなったような、そんな感じをもちたかった。私が言った”楽になる”ことというのはおそらくこんな意味合いを含んでいる。だが、事実が消えることはないし、背負ってしまった十字架が軽くなることもない。9年前の事実を再びカウンセラーに話したことはこうしたことを自分の中で確認していく過程であった。事実はあまりにも重く今もやっぱり苦しい。苦しくてたまらない。あふれ出した涙がそう語っていた。
ロジャースは、「治療的人格変化の必要にして十分な条件」の一つとして、「受容」もしくは「無条件の肯定的配慮」を挙げている。(前掲書、206頁、208頁より引用) つまり、気持ちの中のどの部分も否定しない、選択しない、どの部分にも積極的に「あるね」と存在を認めていくということである。これは容易なことではない。9年前とは違う、卒業論文を書いた後の私が今あるがままの事実を受け止めようとしてもがいている。今どんな私がいるのかまだわからない。今私の中には幼い頃からの様々な場面での体験、その時の思いが溢れ出してきている。それらを誰かに語ることで自分の棚卸をしたい思いにかられている。またカウンセリングを受けることが必要だろう。
日常生活とカウンセリングは大きく異なる。日常生活の中では自分の思いを表情に出さないように一生懸命閉じ込めている。カウンセリングの場とは全く逆のことを努力して行っているのだ。これから行っていくカウンセラートレーニングにおける自己受容、さらには自己開示には大きな苦痛が伴うだろう。今後カウンセラーになることを目指すかどうかはわからないが、普通の女性が「個」として自立していくことを援助できるような何らかの社会的な職業に就きたいと考えている。今自分がクライアントとして悩み苦しんでいることは宝となるにちがいない。ロジャースは、人間ジャガイモ論の中で、「人間もジャガイモも条件さえ整えば、自らの<いのち>をよりよく生きる方向へ向かうよう定められた存在である」(前掲書、165頁より引用)と述べている。自分が成長していく可能性を信じ、ロジャースと出会ったこと、今とても苦しい思いをしている、ということを大切に受け止めていきたいと思う。カウンセラートレーニングの第一歩は踏み出したばかりだ。焦らずに進んで行こう。」
10年前に私はこんなことを考えていたんですね。
私が本当に自分の中で納得できるようになったのは、母とのお別れのあとだったと思います。
これが正解、不正解という答えはどこにもなく、私にはそれだけの時間が必要でした。
重い内容を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。