たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

カウンセリングスクールの後期のレポートより

2015年03月05日 15時07分43秒 | 祈り
カウンセラー養成講座の基礎科の授業の後期のレポート全文を書こうと思います。
また長く重い内容ですが、よろしかったら読んでください。

「基礎科の授業を受けて感じたこと、考えたこと
-なぜ自分は基礎科の授業に通い続けたのかー

 このレポートを記している現時点ではあと2回の授業を残すのみとなった。なんとか認定時間をクリアすることはできたという安堵感と共にこのレポートを記している。後期の授業は金曜日が中心であった為、毎週金曜日の夜仕事を終えて授業に出る、という行為そのものが非常にきついものとなった。金曜日の夜6時に退社するために上司の了解を得、木曜日まで仕事をがんばって、金曜日は朝からずっと時計を気にしつつ過ごし、やるだけのことはやって、それでも帰りづらい雰囲気の中を振り切って退社し、金曜日の夜スクールにようやく辿り着く頃には心身共に疲れ果ててしまっている。そんな状態を繰り返してきた。

 毎回私が教室に入るときには、すでに授業は始まっている。まずドアを開けて教室内を見渡してみると、ほとんどの机が両端はすでに人が占め、真ん中だけがぽっとあいている。非常に入りづらい状況である。講師の声が静かに響く中、どこの席に坐ろうかとしばらく入り口で立ち止まって考えている私がいる。グループワークの日ともなると、特に自分の席を決めることに躊躇してしまう。時々、いちばん後ろの席に坐っている方が隣にどうぞというように促してくださることもあるが、視力の弱い私は一列丸ごとあいている一番前の席にたいてい坐ることになる。席を決めて坐り、顔は講師の方を向いていても、メモをとっていても、まだ頭の中は仕事モードから切り替わってはいない。職場で受けたストレスと疲労感でいっぱいである。諸々の怒りが駆け巡っている。怒りの感情はとても大切ですよ、というある講師の言葉が頭の中で繰り返される。体中に溢れている怒りの感情をどうすればいいのかわからない。前期のレポートでは、日常生活の中では自分の思いを表情に出さないように一生懸命閉じ込めていると記したが、そんな必要はないのかもしれない、という気が最近ではしてきている。私の課題の一つであろう。

 先に記したような状態を繰り返しながらも、なぜ私は毎週通い続けようとがんばってきたのか、ということをここで改めて考えてみたい。心の問題を学習するということは、私にとってむしろ苦しみである。こんなことをしてないで、楽しく遊ぶことだけを考えるようにしている方がよかったのではないか、会社の中だけでも十分に神経をすりへらしがんばっているのに、その上こんなことをなぜしようとしたのか。

 あちらこちらで報道されている阪神淡路大震災から10年のニュースを見ながら、自分が今「生きている」ということに思いを馳せる。私には一歳年下の妹がいたが、妹は阪神淡路大震災を知らない。その前年の9月、突然逝ってしまったからである。母が精神を患ってからは10年が過ぎている。なぜ私はこうして生き続け、妹は自ら死を選ばなければならなかったのか、その人生にはどんな意味があったのか、なぜ母は生きながら精神を病み続け廃人のようになってしまっているのか、そんな母の人生の意味は? 誰が悪いわけでもないのに、私の家族になぜ不幸はやってきたのか、多くの?に対して、決して消すことのできない自分を取り巻く事実に対して、何らかの答えをみつけたかった。精神疾患の素因は遺伝するものかどうか、ということも確かめたかった。自分もどこかおかしいのではないか、そんな恐れをずっと抱き続けてきた。こんな私がもし結婚して子供をもつようなことになったら決して幸せにはなれない。そんなことをしてはいけない。そんなことさえ思ってきた。だが、重い荷物が軽くなることはないし、時が癒してくれることもないのだ。前期のレポートで、少しでも楽になりたい、私にとって”楽になる”ということは、時間の経過と共に自分の中で背負い続けなければならない荷物が軽くなったような、そんな感じを持つことだと記した。だが、そういう意味での楽になるということはあり得ないであろう。

 妹の死から10年が過ぎたが、私の中には、まだ事実を事実としてあるがままに受け止めたくない、という思いが潜んでいるようだ。私を取り巻く家族によってもたらされた事実を疎ましいとさえ思っている。そんな自分がいるのだ。多くの人々が故郷へと帰省する年末年始の休暇期間中、今年もまた実家に足が向かないまま一人で過ごした。一人でいながら、心の中は忘れたくても忘れることのできない家族のことでいっぱいである。

「物理的には一人でも、心の中では、内在化されたさまざまな他者の声に支配され、捕われ、がんじがらめになっていて、身動きとれなくなっている」(諸富祥彦『カール・ロジャース入門-自分が”自分”になるということ』コスモス・ライブラリー、1997年、162頁より引用)といった状態であろうか。家族のことに囚われ続けていることによって、私はまだ「自分のほんとうの声」(前掲書、163頁より引用)が聞こえていないのかもしれない。妹を私が救ってやることはできなかっただろうか、母をなんとかしてあげることはできないだろうか、そんな思いをいつも心の片隅に持ち続けながら私は日々を過ごしてきた。赤の他人であれば突き放して考えることができるが、家族であるが故に私は母と妹を自分の中に引き込み、自分のこととして考え続けてきた、だが、家族であるが故にどうすることもできないのだ、ということを私は今受け容れなければならない。

「安定した看護、治療、相談は、「守秘義務をもった他人」だけができる。家族だから話せることもあるが、家族だから話せないこともある。どんな看護師も医師も自分の家族の治療はできない。客観的にみることがむずかしいし、どこまでやったらよいという限度も、いつまで続くという限度もなく、十分すぎてあたりまえであって、足らないところは相手が責めなくても自分が責める」。(中井久夫・山口直彦『看護のための精神医学<第二版>』医学書院、2004年、5頁より引用)。中井久夫は、『看護のための精神医学』の中でこのように述べている。私にとって、”楽になる”ということは、母と妹を、自分のこととして取り込まないこと、自分に引き寄せすぎないでいられるようになることなのかもしれない。どうやら、私は「本当の意味で「ひとり」になることができ」(諸富祥彦、前掲書、163頁より引用)たつもりになっていたが、できていなかったようだ。本当の意味で「ひとり」になり、自分自身を取り戻していくということは容易なことではない。人が自分自身になっていく過程は試行錯誤の連続なのだ。

 臨床心理士の福島哲夫は、心理療法について次のように述べている。「心理療法とは、治療者としてささやかな試行錯誤を繰り返すという形で、その人自身の人生における試行錯誤を支えるといくことではないだろうか。試行錯誤は、衝動的な行動化でもなく、一発逆転の革命でもない。奇跡を待ち望むという姿勢でもないし、さりとて不安なまま現状にしがみつくことでもない」(福島哲夫「アニミズムと臨床心理学-個人的な体験から-」慶応義塾大学通信教育補助教材『三色旗 633号』2000年12月、8頁より引用)。さらに、福島は、人間の心の健康について考えると、「バランス」がとても大切であると述べている。「「バランス」とは、たとえば、論理と情のバランス、暖かさと厳しさのバランス、独立と和合のバランスなのである。これらの中央値を求めるのではなく、自分なりのバランスを探りながら安定する、いわば揺れ動きながら安定するヤジロベエのようなありかたである」(前掲書、8頁より引用)と。

 ヤジロベエはゆらゆらと揺れながらも芯は安定している。人の心に絶対値というものはない。鋼のようにがっちりとしていて何事にも全く動じないのではなく、ゆれながらも芯は安定しているヤジロベエのようでありたいと思う。そして、誰もが一人の人として自分の足で歩いていくことができるように手を差し伸べていく、ささやかながら支えていく、そんな社会的な何かが私にもできないだろうかと考え始めている。基礎科の授業を受けてきたことによって、さらに?は増え、多くの?が私の中に渦巻いている。さらに学び続けていきたいと思う。「精神を病む、ということはそんなに簡単に解明できるものではない」という、精神医学の講師の言葉が胸に響いている。」

10年前のわたしはこんなことを考えていたんですね。
そのままさらけ出して書いてしまいました。
読んでくださリ、ありがとうございました。


空から見守ってくれていますように・・・。