たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

桜の舞い散る日に思う

2014年04月05日 22時29分39秒 | 祈り



年明けの混乱から今も半端ではない緊張感の日々が続いています。
もうすぐなにか納得できるものをもって終わることができるかどうか、まだわかりません。

肩に力が入り過ぎていて疲れますが、今は仕方ありません。
異常な緊張感の中で普通に仕事をし続けたので本当に疲れていますが、もうしばらく我慢の時が続きます。

21年前の私も、今の私も一生懸命に生きています。
そんなにがんばらなくてもよかったのかもしれませんが、がんばってしまいました。

過去の情けない自分をさらけ出してしまうのは恥ずかしいものがありますが、ブログを自分で読み返しているうちに書きたくなってしまいました。
小さな編集プロダクションに何かの間違いで採用されてしまった頃でした。
よろしかったら一緒に読んでやってください。

「1995年4月1日(土)

春-おだやかな陽射しの中で過ごす休日の夕暮れ時、「四季」をききながらぼんやりしている。やることはあるのだが仕事でかなり集中力を使っているのでなんにもしたくない。
家事をすませたらあとはのんびりだ。
仕事はかなりきつい。いくつかの意味で・・・。
続けられるだろうか、と思ったりする。
一人一人の責任が重いだけに、緊張している。
今までずっと不本意な事務職に就いてきたことを思えば少しはわたしに向いていることに近づけたかもしれない。
やっていくしかないね。
休日にゆっくりエネルギーをためて
また月よう日からがんばろう。」


「1995年4月29日(土)

身体ってほんとに正直だなあって思う。
自分で自覚している以上に、精神的に疲れていたらしい。子供のみずぼうそうの大人の症状というのにかかってしまった。お腹のまわりに帯状にブツブツができてとても痛かった。治療をはじめて一週間。だいぶよくなった。
仕事でかなりエネルギーを使っているのだろう。
慣れないことで、集中して考えないと進んでいかなし、まだまだ大変な日々は続きそうだ。
いやなことをやってるわけじゃないし、今までのように、こんなことのために自分の時間を費やしてるのか、なんて思わなくてもいいんだから、力まないでがんばろうね。
Mちゃんのことを思わないではいられないこともやっぱり精神的負担になっているのだろう。
Mちゃんのことを思うと、両親のことに考えが及んで、そうすると、どうやって自分を納得させればいいのか、わけがわからなくなってしまうのだ。
どんどんマイナス方向に考えが向かってしまう。
ほんとにMちゃんの死という事実からぽんと抜け出して前へ進んでいくには、まだ多くの時間が必要なようだ。なにをしていても、ほんとは心から笑っていないのかもしれない。いつも心の片すみがさびしい。所詮はひとりだ。
だからこそ、人とのつながりも大切にしなきゃね。家庭をもつなんてことは、とてもこわくて望んでないけど、パートナーがいたらいいなあっていう思いはある。どっかにいるかなそういう人。」

今もあまり変わっていないと言えば変わっていないのかもしれません。
ぱっとしない私がいますが、妹とのお別れからまだ数カ月、必死に自分を建てなおそうと
もがいていました。普通の生活を送ろうと必死でした。結果はぱっとしませんでしたが、
よくやっていたと思います。


写真は、プリンス・エドワード島、インディアン・リバー教会の中です。





この記事についてブログを書く
« 井村君江著『ケルト妖精学』... | トップ | 「3.11石巻復興祈念ゼミ合宿... »

祈り」カテゴリの最新記事