たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

キキちゃん退団会見

2024年09月03日 16時35分52秒 | 宝塚

(写真は毎日新聞さんのツィーターよりお借りしました)

退団会見、劣化著しい記者たちに荒らされることなく、無事に終わったようです。キキちゃん、穏やかな笑顔。

 

各社アクセスを増やしたいのでしょう、なにがなんでも見出しで昨年9月の宙組生の自死と関連性があるようにみせてひきつけようと必死。スポーツ報知に至っては宝塚担当記者が退団発表でOSKのトップスター就任にスペースをさけないとかツィートとしていてひどすぎます。ヤフーニュースのコメントもちらっとみましたがひどいのばかりなのでご本人の視界に入れないでほしいです。往年の宝塚ファンらしき方々のまどかちゃんのインタビュー記事のコメントもひどかったのでヤフーニュースはこんなものかとは思います。

紅ゆずるさんがトップスターになったとき5作で退団しようと決めて劇団には早々に伝えていたことを退団後に明かしています。引き際をすっぱりと決めてあとを育て引き継いでいくことがトップスターとなった人の一番大きな仕事なのかもしれません。お披露目公演がわずか2日で止まってしまい東京公演は幻となったこと、10数年ぶりで宝塚に戻ってきて『金色の砂漠』のジャーにひかれたことを思うと非常に辛いですが全て巡り合わせ。いろいろな人がいていろいろなことのあるのが人生。『ル・グラン・エスカリエ』の成功如何がこれからの宙組にかかっていたと思います。もう舞台に戻ることはないのかもしれないという気持ちがよぎったこともありましたが宙組をたてなおすという大きな仕事を成し遂げました。芸名と写真をさらされ続けどれだけ誹謗中傷されてもなにも言えず耐えてきた生徒さんみんな舞台人としての力をみせてくれた作品でした。舞台から届けられるものが全てだと思います。

今のままの日本では、いつまたパンデミックをつくりだされ緊急事態宣言発令となるかわかりません。地震煽り、台風煽りに米不足煽りの結果をみれば恐怖と不安を煽ることはいとも簡単だということが可視化されました。次々とおかしな法案を成立させているので、遠からずまた仕掛けられるでしょう。卒業の日まで全ての公演が無事に上演できること、タカラジェンヌとしての時間を全うできることを今は祈るばかりです。

 

『パガド』『スカイ・ファンタジー』、スカイステージで記録用映像を収録しているなら配信してくれないものか・・・。

 

わたしが視界にはいってきた範囲で毎日新聞とディリースポーツの見出しには余計なことが入っていません。

 

2024年9月3日毎日新聞、

宝塚宙組トップ・芹香斗亜さんが退団会見 「3作と決めていた」 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

「宝塚歌劇団を2025年4月に退団すると発表した宙(そら)組トップスターの芹香斗亜(せりか・とあ)さんが3日、大阪市内で記者会見を開いた。芹香さんは退団を決意した経緯について「芸の道には明確なゴールがない。トップスターに就任した時に本公演3作品を自分のゴールとして決めた」と語った。

 芹香さんは07年に入団。星組、花組を経て17年から宙組で活躍し、23年6月にトップスターに就任した。

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白いスーツ姿の芹香さんは冒頭、「愛する宝塚で過ごした日々は毎日が学びの連続で、私を大きく成長させてくれた。舞台と自分自身に向き合うことができたのは応援してくださるファンのみなさんのおかげ」とあいさつした。

 公演が再開した時の思いについて「すごく緊張していた記憶しかないが、それ以上に温かい拍手を聞いた。今までの18年で最も幸せで最も温かい空気を感じられた公演だった」と振り返った。劇団員の女性が亡くなったことが退団に影響したかを問われると、「3作というのを心に決めていたので、直接関係があることではない」と述べた。」

 

2024年9月3日ディリースポーツ、

宝塚 宙組トップ芹香斗亜 退団会見「非常にエキサイティングな宝塚人生だった」/芸能/デイリースポーツ online (daily.co.jp)

「宝塚歌劇団宙組トップスター・芹香斗亜が3日、大阪市内のホテルで退団会見を行った。パールがかった白のスーツで登場した芹香は、終始穏やかな笑みを浮かべ「非常にエキサイティングな宝塚人生だった」と語った。

 退団公演は本拠地・宝塚大劇場で来年1月1日開幕の「宝塚110年の恋のうた/Razzle Dazzle」。東京宝塚劇場の千秋楽4月27日付で退団する。

芹香は「ある学年になったときから、退団は考え、トップスターに就任したときに3作と決めていた」と退団時期について語った。昨年9月に宙組劇団員が急死したことは「直接関係あることではない」とした。

 18年の宝塚人生を振り返り、学んだこととして「自分自身と誠実に向き合うこと」を挙げた。「人生の半分以上を宝塚で過ごしているので、私という人間を作った」と振り返った。

 退団については、相手役の春乃さくらには「Le Grand Escalier -ル・グラン・エスカリエ-」東京公演中に伝え、他の宙組劇団員にはLINE(ライン)で報告したという。

 芹香は真風涼帆の後任として、23年6月にトップスター就任。宙組では同9月29日に、兵庫・宝塚大劇場で、本拠地お披露目公演「PAGAD」の初日を迎えたが、翌30日に25歳の劇団員が急死し、上演2日のみで、残り全日程が中止になっていた。

今年6月にショーのみの特別公演「Le Grand Escalier -ル・グラン・エスカリエ-」約9カ月ぶりに公演を再開。「最も幸せで最も暖かい空気を感じたときでした」と振り返った。また今後の宙組についても「みんな健康で、心から幸せになってほしいと思っています」と言葉を贈っていた。」

 

べーちゃんのメッセージがあたたかい、

『金色の砂漠』のジャーとビルマーヤ姫、

公演再開までどれほど心をいためてきたことか、

桜咲彩花/Ayaka Osaki(@ayaka.osaki) • Instagram写真と動画

「宝塚歌劇というかけがえのない道のりを
共に志し、歩んだ大切な人です。
道を歩み続けるその姿を最後の瞬間まで
変わらぬ心で。
心の底から応援しています」

 

キキちゃんが一番大きな羽根を背負うようになったら、今度はゆっくりと宝塚ホテルに泊まって大劇場で観劇したいというささやかな夢を抱いていましたが、コロナ騒動で医者を信じられなくなり手術などもはや恐ろしくてとても委ねる気持ちになることはできず、トアラセット一日一錠でどこまで今の痛みと痺れに耐えらえるかわからなくなった人生、残念ながらもはや叶えられそうになくあっという間に時が過ぎ去っていきます。

 

 


『アンナ・カレーニナ(中)』-第三篇-32より

2024年09月03日 10時47分35秒 | 本あれこれ

『アンナ・カレーニナ(中)』-第三篇-31より

「兄の発った翌々日、リョーヴィンも外国への旅にのぼった。汽車の中で、偶然、キチイの従兄(いとこ)のシチェルバッキーに会ったとき、リョーヴィンの暗い顔は、ひどく相手を驚かせた。

「きみ、どうしたんだい?」シチェルバッキーは彼にたずねた。

「いや、べつに。ただ、この世の中にはおもしろいことってあまりないからな」

「とんでもないよ。それじゃ、そんなミュルハウゼンなんてとこよりも、ぼくといっしょにパリへ行こうじゃないか。この世がどんなにおもしろいか、わかるよ!」

「いや、もうぼくにはなにもかも終ってしまったのさ。そろそろ死ぬ時分だもの」

「いやあ、こいつは驚いた!」シチェルバッキーは、笑いながらいった。「ぼくなんか、これからはじめようとしているのに」

「ああ、ぼくもついこのあいだまでは、そう思っていたけれどね。今はもうじき死ぬってことがわかったのさ」

 リョーヴィンは、近ごろずっと真剣に考えていたことを口にしたのである。彼はなにを見ても、ただその中に死か、死への接近だけを見るようになっていた。しかし、いったん計画した仕事は、そのためにかえって、ますます彼の心をとらえていった。死が訪れるまでは、なんとかしてこの人生を生きぬいていかなければならなかった。暗黒がすべてのものを彼の目からおおいかくしてしまった。しかし、ほかならぬこの暗黒のために、彼はその中の唯一の導きの糸は、自分の仕事であることを感じ、最後の力をふりしぼって、それをつかみ、しっかりとそれにしがみついていたのであった。」

 

(トルストイ『アンナ・カレーニナ(中)』昭和47年2月20日発行、昭和55年5月25日第16刷、新潮文庫、216-217頁より)