たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

秋のプリンス・エドワード島への旅から帰国後の日々

2015年08月28日 18時38分03秒 | プリンスエドワード島への旅
観劇日記を書きたいところですが、頭の中グダグダで書けないでいます。
自分の居場所がひとつ見つかった、大事な役割があるのかなと思ってボランティア活動を頑張ろうとしたけれど、また頑張り過ぎてしまった結果、収入ないまま疲弊の上塗りで傷つくことになっただけなのかもしれません。話が大きすぎて私の身の丈を超えていたようです。

今の社会の中で何を信じればいいのかわからないし、何をしたいのかわからないし、何をすればいいのかわからないし、どこを目指していけばいいのかわからないし、結局頑張ろうとすればするほど思いは空回りし続けるだけで、どこにもたどり着くことができません。
どこかに信じられるものがある感じが全くしません。

何をしたいの?どうだったらいいの?自分がわからないのだから、人にたずねられてもわからないです。
一生懸命やったことが、また結果的に自分を疲弊させただけになってしまったかもしれません。妹の分まで精一杯生きて生きたいという思いは空を舞い続けています。
少し旅に出て心を休めたいのが本音です。
なんかやっぱり社会への幻滅しかないです。

過去を振り返って自分を責めても時間は戻ってこないけれど、あれはいったいなんだったんだろうとか、あんな会社でがんばらなければよかったと思う結果になったこととか、まだ受け入れていくのに時間がかかるし、どこに行っても結果的に自分が傷つきます。これ以上傷つきたくないと思うと、孤独なまま、もう社会へ戻っていくことはできないような気がします。

どうして不信感でいっぱいで、社会へ戻れなくなってしまっているのか、それだけのプロセスを踏んで、それだけの理由があるからですが、それを人に説明してわかってもらうのがすごく大変。それでさらに社会から孤立していくことになります。苦しい日々・・・。


秋のプリンス・エドワード島から帰国した日の自分に帰ってみたいと思います。
一生懸命に働いていた時のいやーなものがよみがえってきてしまう感じもありますが、旅の時間は本当に幸せでした。母とのお別れも訪れで、父・母・妹-三人の納骨をすませてからの旅でした。

「2012年10月27日(土)

PEIから帰って一週間。まだ少し夢の中にいる。行く前は煮詰まり過ぎていて頭と心が限界だった。よくもちこたえていたと思う。色々なことがあった。もうずっと先まで行けないのかと一時は思った。こうしてまた行くことができた。
13日夜半、島の空港の灯りが見えて来た時には、ああまたこの島に来れたんだなあ、とじいんとこみあげてきた。
懐かしい場所に帰ってきたような、ゆるやかに時間が流れるPEIはやはり特別な場所だ。こんなに心が休まる場所は他にない。
ゆるやかに連なる丘、キラキラと輝く入江、緑、赤土、灯台、高い空、遠く流れる雲。
心のエネルギーをチャージできる。なんだかわけもなく幸せ感に満たされて、生きててよかったなあと思えるのだ。
また行きたいと思う。
次回はハリファックスに二泊してルーネンバーグも訪ねたい。
2-3年おきにPEIに行く。そのために働く。そういうライフスタイルもあっていいと思う。
PEIは私の人生の一部になって行く。
自分を責め続けていてもどうにもならない。私が幸せだと感じる時間を二人分もつこと。
それでいいんだとようやく素直に思えるようになった。
原発事故で避難してる方々や被災地の方々に申し訳なく思ってしまった。
自分にできることを見つける努力もし続けたいと思う。社会の中での役割・・・。
それよりも地震のないPEIに家を買って住もうかな・・・!?」

写真はキングス地区、南海岸沿いの風景です。
心の宝物。

この記事についてブログを書く
« 名残惜しくて | トップ | 『エリザベート』七度目の観... »

プリンスエドワード島への旅」カテゴリの最新記事