たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

秋のプリンスエドワード島への旅-シャーロットタウン・ビーコンズフィールド

2022年12月22日 16時16分16秒 | プリンスエドワード島への旅
 もう訪れることのないカナダ。プリンス・エドワード島を三回訪れることができたのは奇跡でした。夢をみていたような気がします。コロナ騒動であらわになったカナダにも言葉がありません。この世にいる間、もう飛行機に乗ることも長時間のフライトで地球の裏側を訪れることもないでしょう。今となっては全て幻。高いお金を出して購入した風景写真集はバリューブックスに出してわずかばかりの値段がつきました。大切にとってきたパンフレットなど、断捨離するためにもう少し思い出をのせていこうと思います。 


















「ビーコンズフィールドへようこそ

この邸宅は、1877年にジェームス・ピークとその妻イデスによって、建てられました。
プリンスエドワード島(以下、P.E.Iと略します)の建築家:ウィリアム・C・ハリスによってデザインされ、土地とあわせて$50,000もかけて造られた、豪邸でした。(当時、1年分の給料は、約$300でした。)
台所には水道が完備され、全25部屋に伝統と暖房が行き渡っており、うち8部屋には装飾された暖炉があり、輸入物のシェンデリアもあります。
この地では、「ビーコンズフィールドは、P.E.Iでも指折りの豪華な邸宅だ。」と言われていました。
そして、1879年には、ビクトリア女王の娘;ルイーズが出席するパーティーの主催者を務めるほど、栄華を極めました。

しかし、残念ながらピークー家は、たった5年間しか、ここに住むことができませんでsたい。
彼が経営していた「木造船の造船業」は、次第に衰えていったのです。
「この家を建てるための多額の借金」と「投資の失敗」が重なり、1882年、彼はついに破産。
ここは、土地の地主であるヘンリー・カンドルと、その姉妹ミリセント、ペネロピのものとなりました。

カンドルー一家は、この邸宅を「贅沢すぎる」と感じながら、暮らしていたようです。(彼らは質素な生活を好んでいました。)とはいえ、結局30年余りをこの家で暮らし、生涯を終えました。
カンドルー一家は3人ともに独身であったため、1916年、最後に亡くなったヘンリーは「この家を、若く・孤立し・恵まれない女性たちの”駆け込み寺”として使ってほしい」と遺言。ここは「生活保護の必要な女性たちの、仮の住処」として活用されることになりました。

その後、1935年からは「看護学生寮」として使われていましたが、
1973年7月3日、P.E.I博物館として史跡保存財団の本部事務所となり、今日に至ります。
現在私たちは、この建物を、当時のままに保存(ならびに修復)しようと努めています。

この素晴らしい邸宅を、そしてここから見える花いっぱいの庭やシャーロットタウンの港を、どうぞ、ごゆっくりご覧ください。






































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