たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

夏色の青空が広がっています

2014年07月11日 13時32分34秒 | 祈り
平日にパソコンを背負いながらあっちへこっちへと一日中出かける生活を続けていたら
股関節を痛めてしまいました。治療中なので過度な無理はできませんが、人が自然と集まる場所にちょこちょこと顔を出すようにしています。
そうしないと誰にも会わずに一日が終わってしまいます。
それはよくないので、ちょっとがんばりながらどうにかこうにかやっています。

たぶん、あのまま9-10時間労働の日々を続けていたら出会うことはなかったであろう人たちと出会うことができました。一緒にお昼を食べたりしながら、何気なくお喋りをしているうちに、自分の気持ちも少しずつ変わってきていることに気がつきました。大きな組織はもういい。それじゃあ何をしていけばいいのかわからないのが苦しいですが、なにかできることがきっとある、必要とされる場がある、そう信じてまずは精算をめざします。

その場所には、ベビーカーをひいたお母さんたちもいらっしゃいます。
私は結婚・出産・子育てを経験することなく年を重ねてしまったので、子供たちが成長していく様子に出会うこともできて、本当によかったと思います。
あらためて自分の母を思います。父を信じながら、一生懸命に育ててくれたんですね。

おぼろげに思い出すのは、私たちがまだ本当に幼かった頃の光景。
父は仕事で帰りがおそかったんだろうと思います。
母が私と妹をお風呂にいれてくれていました。乳飲み子だった弟がハイハイしてしまわないように開け放ったお風呂のドアにひもでくっつけて、母は一人で奮闘していました。
そんな光景を断片的に時々思い出します。

「あなたが今生きている、そのことが大切なのよ」
乳幼児精神保健学会のW先生が仰ってくださいました。

私が今こうして生きている、大変な時だけどなんとかやっている、
それでいいんだと思います。

21年前の私は自分に全く自信をもつことができずに苦しかったです。
でも妹とのお別れからまだ10カ月、本当に冴えなかったですが必死でしたね。
こうして振り返ってみるとかなり無理していました。

13年間同じ時間に同じ場所に行って過剰な業務量をこなしたのだから、わたし少しは強くなれたのかもしれませんね。今は自信もっていいですね。

「1994年7月8日(土)

ジメジメ、しとしと、雨の日が続いている。
この梅雨空のように、心身ともにミジメである。
梅雨に入ってから調子が悪くて、朝起きるのがツラかったのは事実だ。
あまり、眠れなかったし・・・。
だが、病人のように見える、と言われたのはショックだ。
今までも元気がなさそうだといわれたことはあるものの、そこまでいわれたのは始めてだから。精神的に限界にきていたのだろう。
わたしの説明の仕方が悪かったのか、結果として社長のカンちがいで採用されたということがわかって、経験あると思って採ったのにだまされたといわれ、校正なんかやってみれば基礎知識がないから仕事にならない、ひとつひとつきくこともできないし、5人しかいない所で各自黙々とやっている。続けていけるのかなあ、いいのかなあ、自分のペースがおそいんだかどうだかわかんないや、なんて不安を持ちながら続けられるはずがない。もう一度基礎から勉強し直して出直すしかない、ずっと仕事はしていきたいし、なにかひとつ、これはっていうものを見つけたい。
それにしても、わたしはきっちりと社会生活を営めるだけの体力と人間性に欠けるのだろうか。30才を過ぎてからめっきり体力が落ちたのはたしかだし、冷え症はキツイ、眼も疲れやすい、肩こりはひどいし、毎日の通勤に耐えられないのかな。睡眠への不安がいつもあるし、熟睡できないし、毎日同じ時間に同じ場所へいくってことが無理なのかな。すっかり自信がなくなってしまった。声が小さいことも、猫背なことも、ふらふらと歩いていることも、今までずっとそうだったし、誤解されやすいってことはわかってるけど、
特に今回は経験がないっていう負い目があって、自信のなさがよけいそんなふうに現われてたのかな。少ない所ってほんとにキツイね、わたしなりに吸収していこうっていう気持ちがなかったわけじゃないし、努力したつもりだけど、生来のんびりしているし、のみ込みがほんとうに悪いし、慣れるまでに時間がかかっちゃってなんかズレてるよね、やっぱりー。
3年前、Iさんにいわれたことがよみがえってくる。すごく無理してるみたいで、痛々しくってみていられない、さっさと田舎に帰って結婚しろよ、って。
そうした方がいいのかな、一人は向いてないのかな、あんまり人に相手にされないなんで、魅力ないのかな。存在感ないのかな。
でも帰りたくない。郷里は好きだけど、両親のもとへは時折帰るだけの場所だ。
Mちゃんのことを思い、父と母のことを考えるとわけがわからなくなってしまう。
どんどんマイナス方向へいってしまう。背負っていくのは重過ぎる。
まだまだつらいんだと思う。表面に出すべきことではないし、ひとりで泣けばいいんだって
強がっても、やっぱり強がりでわたしは弱い。妹は自ら命を絶ち、母はわけのわからないことを口走っていて・・・、なんてわたし自身への誤解につながりかねない。人に言えない、わたしもどっかおかしいんじゃないかなって不安が消えない。どう受けとめていいのかわからない。
閉鎖的なわたしに戻りたくない。
前だけみようと努めてきたけど、すっかり自信喪失。どんどん小さくなっていって、うずもれてしまいそうだ。自分自身も人も、なおのこと、こわくなってしまった。
Yクンに話すと、おれはそんなことまで考えない、って笑われるけど、わたしはあの父と母のもとに生まれたことがいまわしいとさえ思ってしまうのだ。
血のつながっていることがいやなんだ。
だってもういないMちゃんはどうなるの。こうしてほしかった。ああしてほしかった。
なぜ、こうしてくれなかった。ああしてくれなかった。社会生活を営んでいくための肝心なことをどうしてなにもおしえてくれなかった。
考え始めるとどうしようもなくなってしまうのだ。
あんなに一般常識からズレている人たちのもとで育ったんだもの、ズレてないはずないじゃない、どうでもいいところで、やたらと神経質なだけじゃやないの、なんて、否定的・・・。
逃げ出したくなってしまうヨ
自分自身のことで悩みたくはないのに、
なんかすっかり自信喪失・・・。
やっていけるのかな・・・。
力ぬけちゃった。」



ルピナスは、『赤毛のアン』には登場しないので、100年ほど前のプリンス・エドワード島にはまだなかったのかもしれませんね。今は島を代表するようなお花になっています。