たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

梅雨空の下で・・・

2014年07月18日 21時59分52秒 | 祈り
自死遺族の会に参加させていただきました。
自分の体験を語っていくことは、社会の中で必要とされていることなんだとあらためて感じました。
いろんな方がいらっしゃいます。
それぞれに事情が違います。状況も違います。
私が誰かと同じになって同じ気持ちを体験することはできません。
ただお話をきかせていただくことしかできません。

お話をきかせていただくと21年前のことが自分の中でリアルに思い起こされるきつさがあります。大きく心の中が揺れ動きます。
なんで死んだりしたんだと妹を責めたくなってしまう気持ち、
なんで話をきいてやろうとしなかったんだと自分を責める気持ち、
不憫なことをしてしまったという気持ち、悔しいという気持ち、
後悔し始めれば切りがなく、いろんな思いがあらためて交錯します。

直後は自分が生きているのか死んでいるのかよくわからなかった。
電車に乗って坐っていても涙がこぼれてくる、アルバイト先で入力したデータを
付け合わせるために下を向いていると涙がこぼれてくる。
そんな日々を思い出してしまいます。
自分の家族がどうしてこうなったのか、考え始めるとグチャグチャになります。
なんども同じことを書いていると思いますが、どうして?の答えがどこかにあるはずだと思って探し続けたけれど、答えはどこにもありませんでした。どこにもないということを引き受けながら生きていかなければなりません。

藁にすがる思いでカウセリングルームの扉を開けたとき、Y先生はよくいらっしゃいましたねと迎えてくださいました。50分間の面接の間、とめどなく涙を流しながら一生懸命に自分のことを語る私をY先生がうけとめてくださった、私の生きる力を信じてくださったことで私は救われました。

こうして今ブログを書くことであらためて自分と向き合いながら前に進んでいこうとしています。私が外に向かって語っていくことで妹の30年の人生にもちゃんと意味があったんだと、私自身が納得したい。これからも共に生きていきます。

今の混乱に区切りがついたら、大きな組織とは全く違うところで、私の力を必要としてくれる場所があればそこで生きていきたいと思います。妹の分まで生きるという大切な役割があることを忘れなければきっと大丈夫、進みべき道にきっと妹が導いてくれる、守ってくれる、そう信じて今は進んでいくしかありません。
30年で自ら人生にピリオドを打ってしまった妹の生きていた証を私が一生懸命に生きることで残したいです。
生きていくことは試行錯誤の連続、大変だけれどひたむきに自分の感性を信じて、これからも歩いていこうと思います。

20年前の私も一般的にみればかなり情けない状況でしたが、振り返ってみれば、やり直したいと必死でした。かなりきつかったと思います。よくやっていました。

「1995年7月16日(日)

外の梅雨空は、まだすっきりと晴れず、わたしの心もまだBlueのまま。
夜、ぐっすり眠れないものだから、さっきまたぐっすりと昼寝、まだぼうっとしていて、
かくして休日はあっという間に終わる。
早く夏休み旅行をしたいなあと思う。黒姫高原にいきたいけど、でもまだなんにもかんがえてない。
ほんとはもう今すぐやめてしまいたい、なんて思うけど、ただ逃げ出すみたいだし、かといってやめることを前提にいるなんて、キツイなあ。
やっぱり向いてないんだろね。この通りの字だし、もうすっかり自信を失っている。
くよくよ考えて落ち込んでも仕方ないけどね。
あまりつまらないことを気にするのはやめようと思うけど、なかなかできそうにない。
昨日、二度目の『回転木馬』をみたけど、リフレッシュになっていないかな。
まだ二幕目で泣いているうちに終わってしまった。
天国の入り口から、また地上に舞い戻ることを一日だけ許されて、我が子と妻にエールを送る姿にMちゃんのことを重ね合わせてしまうのだ。ジュリーにはビリーの姿がみえていないのに、ジュリーにはちゃんとわかっている、ビリーがそばにいるってことーこのポーチでのシーンがいちばん好きだ。9月の千秋楽の前にもう一度みたいなあ。
好きなミュージカルを楽しむためには、働かねばならないか。
役者さんの芝居もノッてきている。
また、近いうちにジュリーとビリーに会いたい。」

1995年のミュージカル『回転木馬』でジュリーを演じた涼風真世さん、ビリーを演じた石川禅さんは、今年5月-6月に帝劇で上演された『レディ・ベス』で素晴らしいパフォーマンスを魅せてくださり、感慨深いものがありました。またあらためて書ければと思います。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。