たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

信じつづけよう

2014年07月09日 15時24分23秒 | 祈り
外は雨、気持ちがいくらか落ち着きます。
就寝中何度も目がさめてしまいます。それだけ不安定な状態なんだろうと思います。
歯を食いしばり続けていたら、食いしばり過ぎて、奥歯がボロボロになっていました。
それでも、お薬の力を少し借りながらこのまま進んでいくしかありません。


社会の仕組みは弱者に冷たい。そうわかった時、愕然とし言葉を失いました。
だれのための、なんのための仕組みなのだろう・・・。
歯ぎしりするような思いがしました。
そういうところへ、でもおかしいよねと言おうとしているのでかんたんではありません。
時間もまだまだかかりそうです。がんばっても無駄かもしれません。
でもだれかががんばらないと何も変わらない。
これが自分の役割なんだと思って、きっと妹が守っていてくれると信じて今はこのまま
進んでいきます。
妹の分まで生きるという大切な役割があることを心に刻みつづけます。


母との突然のお別れから一年後の私を振り返ってみます。
いろんなことになんだかヘンだなと感じ続けていました。
日航機事故関連本を読んでいた頃で、大きく心が揺れ動いていました。


「2013年1月25日(金)

心が揺さぶられて、言葉がオリのように沈澱して書かずにはいられない。
私にできることが・・・やるべきことがあるのではないか。
発信できることがあるのではないか、何を、どうやって・・・。
思いは空を舞い、空回りし続ける。

心が揺り動かされてどうしようもなく、Y先生に電話して話をきいてもらった。
物事には出会うべくして出会うタイミングというものがある。本との出会いもそうだ。
断捨離を続けて、母の一周忌を機にあらたに生き直していきたいと思い続けている今、
亡き人と共に生きていく、そのことがようやくストンとおりてきた。
自分を責め始めればキリがない。真っ白な時間を体が忘れることはない。
その事実を引き受けて生きていかなければならない。
引き受けられる自分でいるためには、ピアカウンセリングも必要かな。
私の話は、普通に喋るにはとりとめもなく、内容もきついようだ。
のたうち回るような思いの日々を糧に生きていくしかないんだ。
どうしてなのかはわからない。それが私に与えられた役目なんだ・・・。

アルジェリアの人質事件、80才を過ぎて我が子に先立たれた母がいる。こんな地獄のような時が何故訪れるのか、その答えはどこにもない。思いは空をさまよってどこにもたどり着くことができない。心がいたい。どんなに大変だろうと思うと言葉にならない。

1988年5月3日から一週間の北海道旅行の旅日記を間もなく捨てようとしている。
Mちゃんのbirthdayじゃないか。それから6年後に自死する日が訪れようとは、
こんな思いの日々が訪れることになろうとは、夢にも思わなかった私がいる。
家にTELしたら母の様子が変だった、と私は書いている。発症の予兆はあったのだろうか。
今となってはもう何をどうすることもできない。愚かだった私、若かった私とサヨナラするために断捨離を続ける。
サヨナラ、若かかりし頃の私・・・ひとつひとつ別れを告げていく。
新しい一歩のために・・・。」


今をがんばり通せたら、プリンス・エドワード島の風の音をききにいきたいですね。