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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

プリンス・エドワードはもうすぐ春

2021年05月08日 15時08分32秒 | プリンスエドワード島への旅
プリンスエドワード島の現状は?
https://kaz-yoshimura.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-f49fee.html

 プリンス・エドワード島と『赤毛のアン』のファンにはおなじみの写真家吉村和敏さんが、わたしもお世話になったPEIセレクトツアーズの増田勝江さんとの対談をYouTubeにアップしてくれました。

 普通の生活が戻りつつあり、今年のロブスター漁が始まっているそうです。グリーンゲイブルズは6月1日から通常営業、海外からの大型クルーズ船が来ないので島の人々をいかに惹きつけるかにかかっている、アンの扮装をした女の子がいつもいますが、今なら室内ではマスクをしたアンちゃんに会えるそうな、行けないですけどね。

 補助金でなんとか暮らしている、島の人々は持ち前のおおらかさで乗り切っている、島流し状態だけれど世界でいちばん美しい島は今世界でいちばん安全な島と話していると。島の人たちの、人なつっこい笑顔がなつかしく思い出されます。吉村さん、また海外に行けるようになった時には真っ先にプリンス・エドワード島に行く、フレンチ・リバーの駐車場からライブ配信したいと。待っています。

 勝手に心の故郷と思っているプリンス・エドワード島、この世にいる間にいま一度旅したい。背負っているいろいろなものを全部おろして、軽やかに旅したい。わたしがいなくなっても困る人はどこにもいない、なんのために生きているのかわからない、この世にとどまり続ける理由はどこにもない。この世にとどまり続ける理由は観劇と旅、そういう人生でもいいじゃないですか。











































Garden of Hope

2020年11月08日 11時52分33秒 | プリンスエドワード島への旅
春のプリンス・エドワード島への旅-PEIプリザーブ・カンパニー
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2962e492a9c0ad9812f68f1b9ebcbb02


Garden of Hopeと名付けられたプリンスエドワード島、プリザーブ・カンパニーの庭の10月の風景。レストランは9月13日でシーズンオフとなりました。11月の島はもう冬、かなわないとわかっていてもこの世にいる間に、いつの日かクリスマスのイルミネーションに彩られた島に行きたいものです。夏、春、秋と訪れたのであとは冬。

https://preservecompany.com/blogs/gardens-of-hope


 コロナで海外取材の予定をたてることができないプリンス・エドワード島ファンにはお馴染みの写真家の吉村和敏さん、いつの日かYouTubeをつかってプリンス・エドワード島からの生配信を行ってくれるそうです。時差12時間なのでどうなるでしょう。いつ訪れるかわからないその時を待ちます。コロナでことごとく仕事がキャンセルになっても吉村さんはあきらめていない。

https://kaz-yoshimura.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-df0329.html





秋のプリンス・エドワード島への旅-ハロウィーン

2020年09月17日 23時50分51秒 | プリンスエドワード島への旅
 2012年10月16日、秋のプリンス・エドワード島への旅の4日目、モンゴメリさんが学校の先生として赴任したビデフォード、ベルモント、ロウアー・ベデックを巡りました。いずれも僻地。モンゴメリさん、2歳になる前に母を病気で亡くし、25歳の冬に父も病死、てんがいこどくなったモンゴメリさんは、37歳の時、親戚の家である銀の森屋敷で結婚式をあげました。『赤毛のアン』でアンに無償の愛を注いでくれるマシューにはお父さんの姿が投影されていると言われているというツアーガイドさんのお話でした。今の自分でモンゴメリさんの孤独に想いを馳せると胸にせまってくるものがあります。

秋のプリンス・エドワード島への旅_4日目(1回目)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/5df8ee2886c5a7b670609cc20ae99356

秋のプリンス・エドワード島への旅_4日目(2回目)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/1f1a7902aed53407276d58e45be617fd

秋のプリンス・エドワード島への旅_4日目(3回目)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/d05c3ba62b0fa76753b10e6ffece126f

途中、トイレ休憩のために立ち寄ったガソリンスタンドのハロウィーンの飾りつけ。









 2013年の6月にブログを始めた頃はこうして続いていく未来を思い描いていなかったし、忙しく勤めに出ていると何年にもわたって写真を整理してきたので、自分でもあきれるぐらいまとめることができていません。ばらばらな過去記事の写真。よかったらご覧ください。

 秋の島は、夏にも春にもましてさらに夢をみているように美しく、ぴりっとかぐわしい香りがただよっていました。

秋のプリンス・エドワード島_ハロウィーン
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/1e00475c608c62b03b06491ffc939e98
 

秋のプリンス・エドワード島_ビクトリアB&B
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/bb1d0a26b642187e9de8bbd0157cb881

秋のプリンス・エドワード島_ハロウィーン(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/03bd3034b73896f614007e0c552de5bd

秋のプリンス・エドワード島への旅_ハロウィーン(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b63bf4d66d2a789f3df3e5a74520e1b4

 2012年9月、父と母と妹、三人一緒にようやく納骨をすませると自分の中でひとつなにか区切りがついたような思いがありました。そうして三度目の島への旅に出たのでした。悔いはありません。

 心のふるさと、プリンス・エドワード島。もう訪ねることは無理っぽいことまちがいないですがほんのひとさじ、心のかたすみに、この世にいる間またいつかという想いを残しておきます。いろいろと整理しきれないまま、また歩みだしていかねばなりません。灰色ではない未来を信じて・・・。

夏のプリンス・エドワード島への旅-ミュージカル『赤毛のアン』

2020年08月23日 17時15分29秒 | プリンスエドワード島への旅
(2008年NHK『3カ月トピック英会話「赤毛のアン」への旅』テキストより)

「毎夏、プリンス・エドワード島の演劇フェスティバルでは、シャーロットタウンにあるConfederation Centre of the Artで”Anne of Green Gables-The Musical"「ミュージカル赤毛のアン」が上演されています。このミュージカルは、日本では、劇団四季が上演しています。本家カナダのスタッフからも高い評価を受けているという「劇団四季ミュージカル『赤毛のアン』をご紹介します。

 物語の舞台はプリンス・エドワード島の美しい村アヴォンリー。マシュー・カスバートは、畑仕事の手伝いをしてもらう“男の子”を孤児院から引き取るため、馬車で駅に向かいますが、迎えを今か今かと待っていたのは、赤毛でそばかすだらけの11歳のおしゃべりな女の子。マシューは、新しい生活に思いを馳せる幸せそうな少女の様子に、手違いが起こったことを言い出せません。そのまま、妹マリラが待つ我が家に少女を連れて帰ります。

 赤毛の女の子、アン・シャーリーは、事の真相を聞かされて打ちひしがれますが、次第にマリラもアンを理解し、引きとります。アンは、とんでもない失敗を重ねながらも、持ち前の魅力で人々の心をつかんでいきます。

アン・シャーリー役を演じている吉沢梨絵さんにお話をうかがいました。
「劇団四季では1980年から再演を重ねている演目ですが、今回は5年ぶりの上演です。私は今回初めてアン・シャーリーを演じることになりました。『赤毛のアン』出版100周年の記念の年にアンを演じることができて幸せですし、またみなさんの『赤毛のアン』に対する愛情をすごく感じます。

 この作品はとにかくセリフの量が膨大で、普通の作品の3倍くらい大変です。アンの空想の世界と現実の世界の展開がとても速いのですが、そこがアンの魅力でもあると思います。

 すごく笑えて、とても感動できるミュージカルになっていますのでぜひ、アンの世界を楽しんでいただけたらなと思います」」



夏のプリンス・エドワード島への旅_五日目https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/988467709f6768c1d56b96734645973a

 
”Anne of Green Gables-The Musical"、2009年7月15日に観劇しました。チケットは日本からプリンス・エドワード島セレクトツアーズさんに依頼して入手、シャーロットタウンのホテルまで事前に届けてくれました。前方席でしたね。日本語訳で自分の中にイメージしている『赤毛のアン』とは違う、ここは日本人にはわかりづらい、本国の解釈なんだろうなと思った場面があったのですが残念ながら具体的には思い出すことがもうできません。笑いを誘う場面では体中で楽しそうに笑っているオーディエンス、英語が全部わかるはずはなくても楽しめました。
 
 劇場に入る前、コンフェデレーションセンターのお手洗いに入ったら、アン・シャーリー役の女優さんと一緒になりました。このアンの帽子をかぶり、衣装をつけたままで、目が合うとこの、アンのように大きな瞳でちょっと恥ずかしそうにされていました。当然、物語の中のように10代ではない。日本では劇団四季が翻訳上演していたりなどする、名だたる作品に出演してきたキャリアがある女優さん。プログラムの、わからい英語のわかるところだけをざっと今ながめてみるとレベルの高い舞台だと感じたことがうなづけます。


































2012年10月18日(木)、秋のコンフェデレーションセンター、

モンゴメリさんの葉書、手袋、ブローチなどが展示されていました。ミュージカルはシーズンオフ、ゆっくり写真を撮ることができました。

















シャーロットタウンのヴィクトリア・パーク



 成田空港のフライト情報を久しぶりにのぞいてみると夕刻出発するエア・カナダ004便のバンクーバー行、毎日飛んでいるんですね。モントリオール行の006便は週に4日、全日空・タイ航空とのコードシェア便なのも変わらないようですが、どれぐらいの乗車率なのか。懐かしいエア・カナダの機体。飛行機を一機とばすのに何千人もの力が必要だそうです。飛ばせないということはそれだけの人たちの仕事がなくなり収入が減るということ。どうなっていくんでしょうね。吉村和敏さんがまた海外取材に行けるようになるまで何年もかかるだろとブログに書いています。わたしがこの世にいる間にエア・カナダに乗ることはたぶんもうできない。帝国劇場の帰り、冷房対策にと持って出たエア・カナダの、枕にもできる膝かけを失くしてしまいました。忘れ物をいくつか問い合わせてみましたが見つからずで小さなショック。



モントリオール⇔プリンス・エドワード島を飛んでいるのはエア・カナダの小さな機体。風にあおられると揺れました。小さくても飲み物の機内サービス有。



















 日曜日の夕暮れ、外はようやく外に少し出られる状況になったでしょうか。一階のポストに入れたままにしている、見ても見なくても同じで気持ち削がれるだけなので見たくない封書を一応外で開封しなければならないエネルギーをこれから・・・。





 残暑見舞いのメール、ありがとうございます。かわらずブログを読んでくださっているんですね。みっともなくおはずかしい姿をさらしています。なんどめかの出口のみえないトンネルの中をさまよう日々。𠮟咤激励してがんばろうとしてもがんばろうとして、離れていた1年10カ月を取り戻すことはもう無理っぽいです。オーウェルコーナー歴史村で草むらにねころんで高いを空を見上げた時の幸せ感は今の心の引き出しの中に。幸せ記憶を胸に、ゴールの見えない道のりを人はどこまで進んでいくことができるのか、いつかどこかにたどり着くことができるのか。答えを出すことのできない宿題を背負いながら生きる日々・・・。

春のプリンス・エドワード島への旅-PEIプリザーブ・カンパニー

2020年08月13日 21時09分44秒 | プリンスエドワード島への旅


 2009年夏、2010年春、どちらも往復は個人のJTBフリープラン、一日目だけ赤毛のアン観光が組み込まれていて、現地の日本人ガイドさんの案内でグリーン・ゲイブルズなどをめぐりました。お昼をいただいたのがPEIプリザーブ・カンパニーというジャム屋さんにあるレストラン。


 松本侑子先生がNHKの番組で松坂慶子さんと庭でお茶会をしたジャム屋さん、DVDブックの第6回に登場します。



 プリンス・エドワード島はポテトの名産地(日本のマクドナルドのポテトフライにも使われているそうです)。クリーミィで濃厚なポテトサラダがついたロブスターをいただきました。シャーロットタウンにある地元の人たちが利用するお店のポテトサラダは、小柄な日本人にはみただけでお腹がいっぱいになるビッグサイズだったので、ここでいただいたポテトサラダは日本人向けに小さめになっていたのかもとあとから思いました。ちょうどいい量でおいしくいただきました。ロブスターも食べやすかったのは日本人向けになっていたのかも・・・。

 ニュー・グラスゴーという所にあります。

「教会やレストランがならび、美しい風景が広がる。(ニュー・グラスゴーは)スコットランド第二の都市グラスゴーにちなんだ地名で、スコットランド系移民の歴史が感じられる。」



 春(プリンス・エドワード島の春は6月)の島は色々な緑にあふれ、どこもかしこも湖面がキラキラと輝き、夢のようにきれいでした。2009年の旅では現地でどんな方と一緒だったのか全く思い出すことができませんが、2010年の旅のご縁はその後も続いています。ありがたいことです。トロントのピアソン国際空港で乗り継いで片道24時間、広いカナダは空港も広かった、歩いた、歩いた。旅に出るために働き尽くした日頃の疲労と時差でふらふらなのにPEIプリザーブ・カンパニーで、わたし、すごく幸せな顔をしたのだそうです。



2015年4月22日;春のプリンス・エドワード島への旅の思い出
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/a9ff148f438b2137633288a02f005f87

2010年6月7日(月)、

赤毛のアン観光で訪れたグリーン・ゲイブルズ郵便局の前、ブリージングハートという花。



モンゴメリさんの母方の親戚で、両親をなくし自分の家がなくなったモンゴメリさんが結婚式をあげた銀の森屋敷。






PEIプリザーブ・カンパニーの2009年のカタログ。

































サイトをのぞいてみるとオーナーは強いストレスにさらされながら色々と考えているのかな。それでもやっぱり花にあふれた6月の島の風景は穏やかですごくきれいです。

https://preservecompany.com/pages/about-us

 
 この世にいる間に訪れることはもうできなだろうと思うと、いっそう島での幸せ時間が愛おしい。無理に無理をかさねてもいってよかったです。

『FLYING SAPA-フライングサパ-』に登場する、背負いきれないつらい記憶を一瞬にして頭の中から消去してくれる緑色に光る装置(名前は認識できていない)、ほんとうにあったらいいのになとふと思います。幸せ時間だけ、いつまでもおぼえていたい。



夏のプリンス・エドワード島への旅-アヴォンリー・ヴィレッジ

2020年08月11日 10時24分08秒 | プリンスエドワード島への旅
「アヴォンリー・ヴィレッジ

 19世紀末の建物を移築し、グリーン・ゲイブルズがあるアヴォンリー村を、キャベンディッシュの一角に再現したテーマパーク。当時の服装で迎えてくれるスタッフの中には、アンやマシュウらしき人の姿も見られます。一番の見どころは、カメラを愛用していたモンゴメリ自身の撮影による写真の展示。かつての島の景色や人々のファッションなど、モンゴメリの関心事を窺い知ることができます。また21歳のときに教師として赴任したベルモント・スクールや、かつて通っていたロング・リバー教会など、敷地内にはモンゴメリとゆかりのある建物が、教会は夏場には劇場となり、オスカー・ワイルドをはじめ、アンが愛読した作品を上演しています。カフェでお茶を飲みながらゆっくりと過ごしたり、雑貨屋を模したショップで買い物をしたりと、アンの時代の町歩きを楽しめるのも魅力です。」



2009年7月15日(水)に訪れました。
宿から歩いていく距離ではなかったのですが歩きました。

2014年9月2日;夏のプリンス・エドワード島への旅_四日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f0435725c260eae6a9f92c958ddfe2e5

アンとダイアナのお茶会の場面では、酔っぱらったダイアナが頭からケーキをかぶっていました。



最後はめでたく、アンとギルバートの結婚式。



役者さんたちが役の扮装のまま、ダンスの輪の中にはいって一緒に踊っていました。



 モンゴメリさんが教えていたベルモントの学校、モンゴメリさんが通っていたロング・リバーの教会を移築。プリンス・エドワード島の建物は全部木造だから解体して車に乗せられるんですね、プリンス・エドワード島ではなんでも車に乗せて運んでしまうとは2010年秋のプリンス・エドワード島への旅でのガイドさんのお話でした。


入場料を払ったらこんなのを腕につけてくれました。



英語のパンフレット

この写真のギルバートはちょっとぽっちゃり気味かな。






プログラム

カナダの公用語は英語とフランス語なので英語の裏にフランス語も。





宿から海岸へも歩く距離ではなかったのですが夕暮れをみたくてなんどか歩きました。



長い坂をのぼっておりると海岸。

ゆっくり、ゆっくりと陽が沈んでいきました。
緯度が高いので現地時間で9時頃。
心の引き出しに焼きついた風景。











春のプリンス・エドワード島への旅‐キャベンディッシュ住居跡

2020年08月05日 22時46分37秒 | プリンスエドワード島への旅
2017年10月12日;のプリンス・エドワード島への旅_2日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/d/20171012

2017年10月16日;春のプリンス・エドワード島への旅_3日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6c65b1510de4f4ebd0083c89a7c1a3e2

 2010年のグリーン・ゲイブルズの日本語パンフレットには、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡の説明も加わっていました。

「🌸モンゴメリのキャベンディッシュ住居跡

2005年にプリンス・エドワード島国立公園は、グリーン・ゲイブルズに加え、モンゴメリのキャベンディッシュ住居跡を、新たにカナダ国定史跡に指定しました。この二つの場所は、世界的に有名なL.M.モンゴメリの書記の創作活動とその文化的背景を記念するものです。この風景の中の多くの場所は著者にとって特別な意味を持ち、この穏やかな環境が著作の創作すべてに、インスピレーションを与えています。

グリーン・ゲイブルズの見学に加えて、L.M.モンゴメリが人生の前半を過ごし、“アン・オブ・グリーン・ゲイブルズ”を書いた、祖父母マクニール家の美しい、自然そのままの住居跡をどうぞ訪れてみてください。今もマクニール家の子孫たちが住み、著者の話を語り継いでいます。

グリーン・ゲイブルズから徒歩圏内、6号線を東に行ったところに位置しています。入場チケットはグリーン・ゲイブルズでも、住居跡でもご購入いただけます。」

現地の日本人向け旅行がくれたキャベンディッシュの地図、
2009年のものですが2010年もなにも変わっていませんでした。



2010年6月7日(月)グリーン・ゲイブルズからの眺め



2010年6月8日(火)朝、グリーン・ゲイブルズ





2010年6月8日(火)朝、グリーン・ゲイブルズのある丘をくだり、モンゴメリさんの住居跡をめざしてお化けの森を通り抜けていきました。

















2010年6月8日(火)朝、お化けの森を通り抜けると、左手にモンゴメリさんのお墓があります。
かつてはここからグリーン・ゲイブルズが見えていたそうです。
今は木々が成長して全くみえません。



2010年6月7日(月)、モンゴメリさんのお墓をあとにして、6号線をわたるとキャベンディッシュ住居跡に入ります。





2010年6月7日(月)、キャベンディッシュ住居跡





2010年6月7日(月)、キャベンディッシュ住居跡からの眺め







2009年7月13日(月)、キャベンディッシュ住居跡、マクニールさんのお庭



2012年10月15日(月)、秋のモンゴメリさんのお墓





2012年10月15日(月)、秋のキャベンディッシュ住居跡



 キャベンディッシュ住居跡では、木々を見上げ、ぐんぐん流れる雲を眺めながら、モンゴメリさんもきいたであろう風の音に身をゆだねました。幸せなひとときでした。

 2010年春と2012年秋の旅でたくさん撮った写真をばらばらとアップデートしてきたので、グチ日記に使うばかりで、なかなか記事としてアップできませんでした。ようやく少しずつ、テーマごとにまとめてアップできればいいかなと・・・。

 

夏のプリンス・エドワード島への旅-グリーン・ゲイブルズ

2020年08月04日 15時31分17秒 | プリンスエドワード島への旅


(2009年7月の日本語パンフレットより)

🌸グリーン・ゲイブルズとL.M.モンゴメリ

グリーン・ゲイブルズはL.M.モンゴメリの古典的小説“アン・オブ・グリーン・ゲイブルズ(日本語タイトル;赤毛のアン)”で世界中に知られています。ここはその舞台を築く着想の源となったところです。実際には、デイビッド・マクニール二世とマーガレット・マクニール兄妹の農場であり、二人の住む家でした。デイビッドとマーガレットはモンゴメリの祖父のいとこにあたり、農場は最初1831年、デイビッド一世によって入植されました。L.M.モンゴメリ自身は近くの祖父母の家で育ち、生涯一度もグリーン・ゲイブルズに住んだことはなかったのですが、まわりの森や林を散策しながらこの農場を身近に親しみ、強い愛情を抱くようになります。そしてお気に入りの場所を見つけては、“恋人の小径”(Lover,s Lane)や“お化けの森”(Haunted Wood)と名付けたりしました。

“アン・オブ・グリーン・ゲイブルズ”が1908年に出版されると、時を置かずして人々はグリーン・ゲイブルズはもとより、小説中に登場する場所やアボンリーの住人達を捜してキャベンディッシュを訪れるようになりました。
小説の中でモンゴメリが描写したものの多くは彼女の創作であり、いくつかは現実のものからヒントを得てできたものです。

“アヴォンリーの大部分はキャベンディッシュである。グリーン・ゲイブルズはディビッド・マクニールの家をもとに描いた。しかし、家自体よりも、まわりの環境や景色の描写が中心である。私の書いた現実の描写の部分は人々の目にもそれと分かることで証明されている。”
-Selected Joumals of L.M.Montgomery Vol.1  1911年1月27日より

モンゴメリの精神的な故郷の地とのつながりは、生涯を通じて続いています。牧師の妻としてオンタリオに移り住んだ著者には、故郷を訪れる機会は限られていましたが、彼女の書いた20冊の小説のうち1刷を除いてすべての主な舞台は、プリンス・エドワード島におかれています。モンゴメリは島への里帰りのたび、しばしばグリーン・ゲイブルズに住みウェッブ一家(デイビッドとマーガレット・マクニールのあと、この農場を引き継いだアーネストとマートル・ウェッブ夫妻)を訪ね、何日か滞在することもありました。そして、1942年に亡くなったモンゴメリは、キャベンディッシュの墓地に埋葬されました。死後まもなく、カナダの歴史的記念物保護委員会によってL.M.モンゴメリは歴史的重要人物と公認され、グリーン・ゲイブルズに記念碑が建てられました。

🌸より充実した時間をすごしていただくために

1997年にはグリーン・ゲイブルズに敷地改造事業が完了しました。この事業の完了は、パークスカナダが目的とする“訪問者への最高のサービス”への大きな助けとなるものです。またプリンス・エドワード島国立公園におけるグリーン・ゲイブルズの意味と、歴史的重要人物としてのL.M.モンゴメリをよりよく理解できるようになりました。

改造事業の一部として、“アウトビルディング”(農家の母屋以外の建物)の建設も行われ、これは1930年代後半まで、この農場に実在した建物が元となっています。 」








資料館に展示されているモンゴメリさんのスクラップ・ブックのレプリカ。





デジカメをもっていった2010年春と2012年秋の旅から、写真をランダムに集めてみました。

2010年6月7日(月)春のグリーン・ゲイブルズ全景、恋人たちの小径を散策してもどってくるとみえてきます。



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズの台所の窓辺



2010年6月7日(月)、恋人たちの小径



2010年6月7日(月)、グリーン・ゲイブルズ、マシューの部屋




2010年6月7日(月)、グリーン・ゲイブルズ、アンの部屋







2010年6月8日(火)、バルサム・ホロウ・トレイル



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、客用寝室



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、客間









2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、マシューの部屋



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、配膳室



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、納屋、ドリーもいました。



2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、台所







2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、裁縫室









2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、マリラの部屋





2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、ディリー・ポーチ





2012年10月15日(月)、グリーン・ゲイブルズ、物置





2012年10月14日(日)、夕暮れのグリーン・ゲイブルズ、バターチャンカフェ



2012年10月14日(日)、グリーン・ゲイブルズからキンドレッド・スピリット・カントリーインに帰る道




2010年6月10日(木)シャーロットタウン



いずれの旅でもお世話になったプリンス・エドワード島セレクトツアーズのサイトを久しぶりにのぞいてみました。日本人が渡航することはできないので8月31日まですべての現地ツアーは中止とのこと。
わたしは残念ながらそこまで時間なかったのですが、すごく楽しいという小さい劇場で上演されてきているミュージカル『Anne & Gilbert』、客席を間引てコンサート形式で上演とのこと。

https://ameblo.jp/peiselecttours/entry-12615029597.html

 この世にいる間にプリンス・エドワード島を訪れることはもうできない可能性が高いですが、変わらず穏やかな景色が島にはあります。モンゴメリさんが歩いた道を歩き、お墓にお参りをし、『赤毛のアン』を書いた家の跡を歩き、モンゴメリさんもみたであろう景色を体で感じた思い出はずっと心の引き出しの中にあります。写真をみていると、島で感じた幸せ感が甦ってきます。

整理しきれていなかった思い出をようやく整理しつつの、断片的な旅の思い出し日記でした。


夏のプリンス・エドワード島への旅-Anne of Green Gables PASSPORT

2020年07月29日 12時53分49秒 | プリンスエドワード島への旅
 『赤毛のアン』が出版されたのは1908年、わたしがはじめてプリンス・エドワード島を訪れた2009年も100周年のお祝いが続いていました。『赤毛のアン』とモンゴメリさんゆかりの地を訪れると、こんなパスポートにスタンプを押してもらえました。グリーン・ゲイブルズ、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡、銀の森屋敷、モンゴメリさんの生家、キャベンディッシュ郵便局。シャーロットタウンのコンフェデレーションセンターの」でミュージカル『赤毛のアン』を観劇しましたがパスポートを呈示するのわすれちゃったみたいです。

 2010年も続いていましたが、残念ながら持ち歩いてうちに、疲れ果ててうっかり落し物をした際失くしてしまったようです。2012年も続いていて、無事手元にあります。心の宝物。この世を旅立つとき、少なくともプリンス・エドワード島に行っておけばよかった、まだプリンス・エドワード島に行っていないよう、と後悔することはありません。体力、気力、その他諸々、片道24時間の一人旅ができる条件がそろっていた時に思い切って旅立ったことはかえすがえすもよかったと思います。いろいろと間抜けなこともありましたが、モンゴメリさんの息使いを感じることができた島での時間、どこまでも穏やかな景色、ただただ幸せでした。

 シャーロットタウンの可愛らしい国際空港からモントリオールの巨大な国際空港へと戻ったときすでに夢の中にいたような心持ちでした。



 この時はまだデジカメを持っていなかったので写真はすべて使い捨てカメラで撮ったものをスキャンしています。


2014年9月18日;夏のプリンス・エドワード島への旅_帰国(バンクーバー空港にて)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/573ff54ee11f21845d14ee0297b54191


2014年9月13日;夏のプリンス・エドワード島への旅_帰国(モントリオール空港にて)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/332ffe5096c62b53ce4ce78ded05859e


2014年9月5日;夏のプリンス・エドワード島への旅_五日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/988467709f6768c1d56b96734645973a

2014年9月2日;夏のプリンス・エドワード島への旅_四日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f0435725c260eae6a9f92c958ddfe2e5

2014年8月28日:夏のプリンス・エドワード島への旅_三日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/0d19031c3211671e7453f3941335cc39

2014年8月22日;夏のプリンス・エドワード島への旅_出発&二日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/8eaa487f3e91518f9eb7525d92545130


夏のプリンス・エドワード島への旅-モンゴメリさんの生家

2020年07月28日 15時24分42秒 | プリンスエドワード島への旅
2014年8月22日;夏のプリンス・エドワード島への旅_出発&二日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/8eaa487f3e91518f9eb7525d92545130

2017年10月12日;春のプリンス・エドワード島への旅_2日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4264c1a73d954a5828439c37762fa29e

 今はニュー・ロンドンと呼ばれる所にある『赤毛のアン』の作者、モンゴメリさんが生まれた家のパンフレット。2009年7月12日(日)と2010年6月7日(月)に訪れました。農家のグリーン・ゲイブルズとは趣の異なる、商人らしい簡素でこじんまりとした家でした。今は駐車場になっている家の前に当時は何があったという現地ガイドさんの説明だったかな、残念ながらもう思い出すことができません。
 
 モンゴメリさんのウエディングドレスと靴のレプリカ、21㎝と小さい靴は手作りという説明だったかな、今のように左右対称にはなっていませんでした。モンゴメリさんが使った揺りかごも展示されていました。すでにこの世の人ではないモンゴメリさんの生まれた部屋が再現されていて、自分は今そこにたているというのはなんだか不思議な感覚だったことを思い出します。

 すぐ近くは海、グリーン・ゲイブルズのあるキャベンディッシュまで車で20分ぐらいだったかん、地図をみても近いように感じますが、当時は馬車で何時間もかけて移動したという説明でした。何時間だったかは忘れてしまいました。





 シャーロットタウンにあるお土産屋さん「Anne of Green Gables chocolates」のパンフレット。可愛いらしいフリルの帽子とエプロンをつけた女性たちが、プリンス・エドワード島らしい人なつっこい笑顔で迎えてくれました。

 この世にいる間に訪れることはもうできそうにないので、今でなければとの思いで旅に出たことは正解でした。旅の出会いもまた一期一会、思い出は心の引き出しの中にあります。だからこれからも生きていくことができます、たぶん・・・。





「1874年11月30日、キャベンディッシュから12キロほど離れたクリフトン(現在はニュー・ロンドン)にあるこの家で、モンゴメリはこの世に生を受けました。彼女がここに暮らしたのは、まだ23歳だった母親が亡くまるまでの、わずか2年ほど。束の間の日々でしたが、愛しい娘とともに過ごすヒュー&クレアラ・モンゴメリ夫妻の幸せがまだそこに息づいているかのように、こぢんまりとした家のなかはとても居心地のよい雰囲気です。

 1階の資料室には結婚式で着たウェディングドレスのレプリカや、モンゴメリが長年にわたり集めたファッション雑誌や新聞の記事のスクラップブック、写真、手紙などの貴重なゆかりの品々を展示。スクラップブックづくりは、19世紀の女性たちの間で流行ったものでした。ページをうめつくす切り抜きから、若かりし頃のモンゴメリの嗜好やセンスの良さがか垣間見えてくる興味深い内容になっています。」

(『プリンス・エドワード島&物語ガイド 赤毛のアンの島へ』より)