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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

プリンス・エドワード島は心のふるさと

2020年07月01日 00時42分54秒 | プリンスエドワード島への旅
 思い返すと2009年7月、2010年6月、2010年10月と3回訪れたプリンス・エドワード島。地球の裏側、成田からトロントかモントリオールで乗りかえて片道24時間の旅。荷物整理をしながら、この世にいる間まだ紙で残しておきたいと思う旅の思い出をようやくクリアファイルにまとめました。プリンス・エドワード島は心のふるさと。心の底から幸せだと思える場所、やさしく自分を迎えてくれる場所、心のよりどころとなる場所がふるさと。

 茂木健一郎さんが著書の中で書かれているように『赤毛のアン』はモンゴメリさんの想像力が生んだもので、実際の島にはアンもダイアナもいません。北米の人にとっては単なる避暑地でゴルフ場がある場所、人なつっこい現地のおじさまに『赤毛のアン』を読んでこんなところまで来る日本人はばかだと言われたこともあります。(そのおじさまは日本大好きだそうで日本の神社仏閣を訪れて集めたキーホルダーの束をうれしそうにみせてくれました。秋のプリンス・エドワード島への旅日記だったかな?に書いていると思います。) それでもやっぱり遠いから、容易に手の届かないところにあるからこそなのかもしれませんが、いつまでもずっとあこがれの場所、心のふるさと。もう訪れることはできないかもしれませんがこの旅の思い出はこの世にいるかぎり、心の引き出しの中にずっとあります。現地時間で真夜中近く、飛行機が着陸に向けて高度をさげはじめ、ちらちらと島の灯がみえたときの、やっとたどり着いた喜びを忘れることはありません。大切な、大切な想い出、この思い出が心の引き出しにあるから生きていける・・・。




春のプリンス・エドワード島への旅_帰国後の日々

2017年11月06日 20時07分29秒 | プリンスエドワード島への旅
「2010年6月20日

プリンス・エドワード島から帰って一週間。
まだ少し夢の中にいるような心地だ。日本の気持ち悪さにも否が応でも同化せざるを得ない面もある。税金どっちゃり払って、年金も保険も負担が増えるばっかりだし、これからどうなっていくのだろう。〇〇才を過ぎたらどうしたらいいのだろう、と思うと右にも左にも動けないような感じになってしまう。なんだかあたたかさがない。ギスギスしている。
時々カッと熱くなってビショビショの汗がでてくるのはつらい。
なんだか二人分働いて、眼疲れて、ボロボロになって何やっているんだろう、私。
一年にたった一週間でも心の中から幸せだと思える時間があればいいか・・・。

『赤毛のアン』の原文の6月の朝の描写を読みながら、恋人たちの小径から続くトレイルを歩いた。がんばり過ぎちゃったけど、なんだか幸せな時間だったように思う。
明日からの会社はさらに辛い。Y君はいない、きついなあ、淋しいなあ・・・。
プリンス・エドワード島の穏やかで美しい風景が心の中にあればやれるだろうか。
がんばらなくていい。なんとかやっていこう・・・。」

この旅から7年が過ぎました。遠いことのようでもあり、ついこの間のことのようでもあり、こうして振り返っていると不思議な心持ちです。父も母もいなくなり、労働紛争を経て、めぐりめぐって運とタイミングで援助職のはしくれとしてあらたにスタートする機会を得ました。
きつい仕事のわりにはお金安いのつらいところですが、色々と学ぶところが多いです。
ずっと不幸だとしか思えなかった母の晩年が、比べるのはよくないですが色々な人生と出会ってみて幸せだったのではないかと気がつきました。心配してくれる、思い出してくれる、そんな人がいるだけで人生はイエスなのではないかと・・・。口には出せませんが、それだけでも新しい出会いは十分わたしにとって意味があるように思います。
来週またあらたなスタート、今年3か所目。それだけで頭くらくらしますが、全く知らないことではないので大丈夫、大丈夫。
どんなハードな出会いが待っているのか、まずは朝ちゃんと行けるかしら、ドキドキ、ドキドキ・・・。

どんな時でも前向きに生きる、曲がり角の向こうにはなにがあるかわからないけれど素晴らしいことが待っているにちがいない、きっといいことがあるって信じる、信じる心がわたしたちを幸福にする、それがモンゴメリさんが『赤毛のアン』に込めたメッセージだとは松本侑子先生のお話。

「幸せになっていいんだよ」、わたし。



春のプリンス・エドワード島への旅日記はこれで終わりです。お読みくださり、ありがとうございました。写真、見づらくって申し訳ないですが、チャンネルにまとまってきましたのでお時間とご興味あればのぞいてください。


緩やかに広がる丘の上をぐんぐんと雲が流れていく光景をみるとき、わけもなくただただ幸せでした。








春のプリンス・エドワード島への旅_帰国

2017年11月03日 20時00分16秒 | プリンスエドワード島への旅
朝のシャーロットタウン空港で搭乗を待ちました。



「タイツリ草

 ブリージングハート:ピンク色のハート型の花

 わすれなぐさ:水色の小さな花

 バターカップス:黄色の小さい花

 マロニエ:白い花がついた木

 ルピナス

 ライラック:紫と白の二種類あった

 タンポポの綿毛

 ダイコンの花:白と紫の小さな花

 6月のプリンス・エドワード島は春、色々な花が咲きほこって、色々な緑と青空、色んな形の雲、7月よりもさらに美しかった。冬が長くて過酷な分、なお輝いているのだろう。始めて島を訪れたアンの気持ちに触れられたかな・・・。

 現実にはアンもギルバートもダイアナもどこにもいない。でもモンゴメリさんの住居跡、愛した風景、風の音、海の鳴く声・・・、モンゴメリさんが歩いたのと同じ赤土の道を教会まで歩くとそこにはまだ息づかいがきこえてくるような、足元からエネルギーが湧き上がってくるような、そんなスピリチュアルを感じた。プリンス・エドワード島を離れる時は涙が出そうだった。またいつか、きっと行ける。トロントの空港では、入国審査のあと荷物を受け取る所にそのまま進めばよかったのだが、ウロウロと一瞬してしまったし、ターンテーブルの場所の番号も見間違えた。英語がききとれない。全く出てこない。12時間の飛行で眠れていないし、足はむくむし、やはりきつかった。一人はもう無理かもしれないなあ・・・。
滞在中も2‐3時間毎に目がさめて、睡眠不足のまま出かけてずーっと睡眠不足・・・。
きつかったー。バファリンで頭痛を抑えてがんばった。ビショビショの汗もでてくる。
それでも心のエネルギーチャージ。

明日からまたねじれに満ちた世界に戻るのかと思うと気持ちがひきつってくる。またすぐに脳みそがキュッキュッとなってしまうだろう。なんだかわっと叫び出したいような気持ちに、ずーっと日本にいるとなってしまうだろう。そんな時は心の風景を思い出せばいい。
また逃げ出せばいい。次はいつかわからないが、日本はなんだか気持ち悪くって仕方ないが、また鎧を着て、自分を信じて、一生懸命歩いていくしかない。がんばれ、わたし・・・。

2010年6月13日(日) まもなく夜10時・・・。」


 色々なことがありすぎて記憶が定かではありませんが、わたしこの手帳日記を自分の部屋で書いたんでしょうね。12日(土)の夕方帰国。頭の中も体のリズムもプリンス・エドワード島の時間なのに、帰国したら急に12時間時計が早くなってしまい、時差ボケ満載のまま、休み明けの月曜日は鎧を着てねじれに満ちた大会社という世界へと果敢に立ち向かっていきました。もう一人はフルタイムがいるべきところをわけわからん無責任アルバイトしかおらず、二人分労働の真最中でした。

 こうして読み返していると、大会社で働くことが、実質何年も継続していたのに3か月ごとの細切れ更新というハケンで働くことが、精神的に限界にきていると自分のなかでとうに気づきながら働き続けた苦しさと、島でのどこまでかぎりなく穏やかな幸せに満ちた時間、どちらも自分のなかに鮮やかによみがえってきます。ねじれに満ちた世界との闘いは、わたしと同じ年齢の独身オジサンが上に立つようになり、歳くってきたわたしがうざくなって使い勝手のいい若い女の子と取り替えたくて、お望みほど若い女の子はこなかったですがかんたんにお取り替えできて、そのやり方は合法で終わりを告げることとなりましたとさ。苦しかったけど、その給料があったから旅に出られたのは事実。残業も半端なかったので給料は増えました。(その分住民税の請求額も半端なかったですけどね)。父も母も見送り、妹と三人お墓にいれてあげたあと、2012年10月、三度目のプリンス・エドワード島への旅に出ることができました。

 もうすぐまたスタートしようとする仕事は、去年の仕事よりは時給にすると200円高いけれど大会社で働いたことによる収入にはとうてい及びません。あんな部屋にこれ以上いるのは体に悪いし、四度目のプリンス・エドワード島への旅はやっぱりきびしいなあ。それでも年齢と社会全体の流れを考えると、運とタイミングで国家資格を生かせることとなっただけ救いがあるわけで、今与えられた役割に粛々と立ち向かうしかありません。自分を信じてこのまま進んでいくしかありません。課題満載のまま進んでいくしかありません。「幸せになっていいんだよ」、わたし・・・。

ヴィクトリア村の可愛らしい灯台。



コンフェデレーションブリッジと青空と海と赤土と緑。



移動中の車窓からの風景。雲がぐんぐん流れていきます。




ポイント・プリムの灯台。




オーウェル・コーナー歴史村の学校にあったスレート(石板)。



お花畑ツアーから、ルピナスの花が咲き始めていました。



見づらく申し訳ないですが、コメントもまだですが、チャンネルの写真がようやくまとまってきたのでよろしかったらご覧ください。

春のプリンス・エドワード島への旅_5日目

2017年10月31日 19時28分48秒 | プリンスエドワード島への旅
「2010年6月10日(木)

なんとか5時間近く眠れた。11時過ぎに寝ついたようだ。
頭痛はひどいが、気持ち前向き。変なキュッキュッとなるようなストレスから解放されて、
心は真っすぐ元気。素直な笑顔が戻った。

相当へばっているが、このままでは帰れない。がんばって北海岸ツアーに参加。
青空が広がって、20度まであがった。暑くなってくる・・・、といっても北の空。
今日もバファリンを飲んで乗り切った。

車窓から見えるどこまでも続いている穏やかな景色に、やはりシャッターを何度も押してしまう。湖も入り江も全て輝いていた。

①ダルベイバイザシー

デッキチェアに坐って湖をながめていると風の音が耳元できこえてきた。
輝く湖水、高い空、色々な形の雲、本当に遠くの雲まで見渡せる。
庭には黄色いバターカップス。
緑の木々も輝いて、なんだか幸せ・・・。


②コープヘッド灯台


③プリンス・エドワード島プリザーブカンパニー

買い物と庭の散策。
奥の方まで続いていて、目の前の湖は一段と輝き、穏やかに流れる時間。
青空の下、ベンチに坐っているとなんとも幸せな感じ。
なんだか気持ちいーっていう感じ。体はヘロヘロだが心は元気。


④赤土の道でお写真

100周年で赤毛のアン(役の女の子が)歩いている道のようだ。


⑤インディアンリバー教会(セント・メアリー教会)

木造のゴシック様式。
あたたかい感じがした。


⑥ケープ・トライオン

雨があがって2日ほど経っているせいか、赤土のぬかるみはあまり残っていなかった。
ドライバーさんの運転もgood。海も穏やかで美しい。
青空と海、水平線がどこなのかよくわからない。
遠い雲、灯台、赤土と緑、去年なんだか逃してしまった風景の写真をやっと撮った。
赤い断崖も穏やかで美しい。


⑦ブルーウィンズでアフタヌーンティー

『赤毛のアン』にヒントを得たというムーンプティングは冷やしてあるとすごくおいしかった。アンが好きで30年以上前に、(日本から)来られたそうだ。
全てが可愛くて、サンドイッチもスコーンもおいしかった。


4時過ぎにホテルに戻り、しばし休憩と荷造り。

5時半にWater coner shopでTさん、Oさんと待ち合わせて食事。

マルペクオイスター、
その日獲れた2分の1ポンドのロブスターのムール貝添え。
3人でいただいたので、量にびっくりせず、ゆっくり味わうことができた。
やっぱり美味かった。
ワインかビール、飲みたいーって感じ。
なんだかヘロヘロできついのに、自分の中に心のエネルギーが戻っているのを感じる。

一時間ほど一人で散歩してホテルへ戻る。
11時に就寝。翌朝は4時起床。
心も体も疲れ果てた状態で、実感のないまま、また一人旅に出て、きついことをさせてしまうなあ、大丈夫かなあとすごく不安だったが、現地で一緒になった方達とフォローし合って、今無事帰路の途中。
帰る場所があるからこその旅。ねじれていた心が真っすぐになっていて心地いい。
本来の私を呼び戻してくれたPEI、有難う。
またきっとがんばれる。
それにしても昨年、全く本当に一人で2回の乗り換えを往復した私ってすごい。
老眼が始まっているので空港内の電光掲示板がみえない。
もう一人はきついかな。
過酷だよね・・・。

6月11日(金)15:38 成田行きの機内にて。

ツアーをつめ込んで、今回は忙しい日程にしてしまった。
6月のPEIは花が咲き、色んな緑があって夢のように美しかった。
また、ゆっくり振り返ろう。
今は眠い・・・。」

カナダの空港で成田行きの便名が表示された電光掲示板をみるとき、心の底から帰りたくない―!って叫びたい気持ちにかられていました。

こうして読み返してみると、島にいた時のわたしは、幸せ感にあふれていたんだなあとあらためて思います。この3か月後に訪れた父とのお別れ、東日本大震災、そして母とのお別れ。この旅の思い出が心の引き出しになかったら、これでもかこれでもかと訪れる試練を乗り切れなかったでしょう。旅は、この時と思ったら少しの無理で実現可能なら行くべき。
まだまだぐちゃぐちゃですが、春のプリンス・エドワード島への旅の写真は一応チャンネルにまとまりました。見づらくって申し訳ないですが、もしお時間とご興味あればのぞいてください。



ダルベイ・バイザシーより。




春のプリンス・エドワード島はあちらもこちらも「輝く湖水」。








コープヘッドの灯台。




もうすぐケープ・トライオン岬の灯台が見えてきます。



ケープ・トライオン岬の灯台。



ケープ・トライオン岬。







シャーロットタウンへ戻る車窓からの風景。




シャーロットタウン市内、モンゴメリさんが下宿していたとされる建物。
今はお土産物屋さん。




シャーロットタウン市内、道端のバター・カップス(きんぽうげ)。




シャーロットタウン市内。











春のプリンス・エドワード島への旅_4日目

2017年10月26日 18時13分29秒 | プリンスエドワード島への旅
 久しぶりの秋らしいさわやかな一日、荷物整理などまとまった時間がないとできなことをやろうとがんばっていますが、斜め向かいには引きこもりのおじさんがずっといるのがわかる狭い部屋に音もれに気を遣いながらずっといるのは心身共に不健康なので、電車賃を使ってもコミュニティハウスに出かけて、久しぶりにわいわいとおいしいごはんをいただきました。就労場所で誘っていただいたのをのぞけば2年近くぶりかな。まだまだ片付いていないいことやモノがたくさん、心の中には言葉があふれかえっていますが、なんとか写真整理が追いついてきつつあるので今日は旅日記を書こうと思います。

「2010年6月9日(木)

9時に組み込みツアースタート。
眼精疲労からくる頭痛がひどいのでバファリンを飲む。

ポイント・プリム灯台のあと、AMオーウェル・コーナー歴史村。
気温は13°ぐらいで寒いが心地よい青空。寒いせいか他に人はおらず静かだった。
車窓に広がる景色の美しさ、穏やかさに見とれて、何度もシャッターを切る。
寒いが青空の下で草の上に寝転んでみた。ぽっかりと浮かぶ雲、木々の枝のすき間からのぞく青空。なんだかとても幸せな気持ちになって、脳味噌が休まるのを感じる。なんとも心地よくて心穏やか。繰り返しになるが赤土と緑、青空。夢を見ているように美しく、土はあたたかだった。土のエネルギーを感じる。
映画の撮影で使われた馬車、100年前のゼネラルストア、ワンルームスクール等を見る。

午後はホテルには戻らず、そのままサマー・サイドへ。

『アンの幸福』のウィンディローズ荘のモデルになったとされる塔のある家を見る。
モンゴメリさんはサマー・サイドの街まで列車できて、小説のネタをさがしていたそうだ。
晩年、どんな思いで『アンの幸福』を書いたのだろう。

お屋敷街を少し散策。
人形工房でアンに扮して記念撮影。しばしテンションがあがる。
土産物屋は中国製が多くて買う物がなかった。

コンフェデレーションブリッジ見学後、ヴィクトリア漁村へ。
灯台も小さ目でかわいかった。

帰路、高級住宅街を(車で)通ってビクトリア・パークへ。
海は美しいが、セレブの家には感動しなかった。
車窓から眺めた小さな家々の、自分達なりの工夫を施した、根を下ろした生活感を感じる、そっちの方がいい。

なんとなく北の海に未練が残る。
ホテルで休んで、7時からデルタホテルでカントリーディナー。
ワインを飲んで疲れがでる。
外は晴れ。9時を過ぎても明るい。
ピークスワークの海辺にはまだリンゴの花が咲いていた。
少し散歩をして帰るがかなりへばっていた。
よくがんばった。

シャーロットタウン、ベストウエスタンホテル泊。
洗濯物を干したせいか、なんだかすごい臭いがする。」


ポイント・プリムの灯台。



オーウェル・コーナー歴史村から、ゼネラルストアの看板。




オーウェル・コーナー歴史村から100年前の建物と農工具かな。




オーウェル・コーナー歴史村村をあとにしてサマー・サイドへ向かう車窓からの風景。



サマー・サイドの塔のある家のモデルとされる家。
一般の方が住んでいるそうなので外観だけ。




コンフェデレーションブリッジと青空と緑と赤土。




ヴィクトリア村のかわいい灯台。



この日は写真をたくさん撮ったので、チェンネルが二つあります。
時系列でチャンネルを設定できていないのでわかりづらく、コメントを書くところまで追いついていないのですが、よろしければご覧ください。








春のプリンス・エドワード島への旅_3日目

2017年10月16日 19時15分09秒 | プリンスエドワード島への旅
「2010年6月8日(火)

晴、雲の多い晴。12度か13度ぐらい。寒い。ダウンベストが役に立った。
がんばって6時過ぎには起きて、というよりはあまり眠れず目がさめて、モンゴメリさんの住居跡を目指して再びホンテッド・トレイル散策。
雨が小粒だが降っているし、寒い。
足元がさらに濡れてぐちゃぐちゃになりながら、アンが始めてグリーン・ゲイブルズで朝を迎えた6月の描写を味わいたくて、原文と訳のコピーを片手にリンゴの木の辺りをしつこく歩きながら、原文を読み上げてみる。
見上げれば晴れ間が見えてきた。青い空に雲が流れていく。
輝くような緑が陽射しに映えて夢のように美しい。
ライラックや忘れな草も美しく咲いていて、誰もいない静かな朝。

モンゴメリさんの息使いを感じつつ、立ち去り難いが時間もあるので、教会までの道を抜けていく。再びお墓に手を合わせて、またここを必ず訪れると誓う。
この時点でかなり疲労を感じるが、恋人たちの小径を目指すため、またグリーン・ゲイブルズへ。
雨の降る合間で、緑も小川もキラキラと輝いている。アンがいつも笑っているのよと語った小川だ。

歩き疲れて宿に戻り朝食。
9時から10時にかけてゆっくり食べてしまった。
私一人おそくまで残る。
だんだん晴れ間が多くなってはきたようだった。

サンセットに未練を残しつつ、11時集合。シャーロットタウンに戻る。
けっこう疲れを感じ始める。
車、大丈夫かな・・・。大丈夫だった。
シャーロットタウンの街並みもやはり美しい。

ホテルで休んで、16時30分からのお花畑ツアーへ。
大きな雲が流れている。かなり疲れを感じているので、朝2時間もガンガン歩いたのがきていて、でもがんばった。
Tさん、Oさんと御一緒。
残念ながらリンゴの花はもう終わっていて、ルピナスが咲き始めていたので、ルピナスやだいこんの花、ライラック(紫も白もある)、マロニエ、レッドメープル等を楽しむ。

遠い空に雲が流れていて、私たちの乗った車から雲は離れていった。遠くどこまでも広がる穏やかな景色。じゃがいもの芽が咲き始めた赤土の畑。
切りがないぐらいシャッターを押す。
なんとも美しい。

おトイレを借りるため、ブルーウィンズ・ティールームに立ち寄り、ケーキを2個持ち帰り。

お昼はホテルの部屋でカップ麺。夜もさとうのごはんと春雨スープですませる。胃痛が止まらない。
ビクトリアパークに誘われるが、力尽きていた。とにかく早く休むようにしよう。

でもやっぱり寝つけなかった。
2時を過ぎて、体操でやっと寝つく。途中めがさめてしまうとしばらく寝つけないが、やっと5時間近く眠れたようだ。

シャーロットタウン、ベストウエスタンホテル泊。

(キャベンディッシュの)サンセットはあきらめ。
お花畑ツアーの後に行くことも考えたが寒いし、逃げ場がないことを考えるとあきらめざるを得ない。」


 2009年の夏のプリンス・エドワード島への旅で出会った夢のように美しいキャベンディッシュのサンセット。もう一度みたいという願い。この時はかなえられませんでしたが、2012年の秋のプリンス・エドワード島への旅でかなえることができました。


移動中の車窓から。



お花畑ツアーから。







ルピナスが咲き始めていました。








吉村さんのお写真によく登場する光景に似ているかもしれません。




高い青空と高い木々の緑とルピナス。
北の国にいることを実感しました。







キンドレットの室内。可愛い~。








春のプリンス・エドワード島への旅_2日目

2017年10月12日 17時52分41秒 | プリンスエドワード島への旅
「2010年6月7日(月)

くもり、あまり眠れないまま9時にアン・ツアー、スタート。
キャベンディッシュに向かう。

ケンジントン駅舎跡、フレンチ・リバー、モンゴメリさんの生家、
銀の森屋敷、再びPamキャンベルさんにお会いした。
嬉しいことを伝えたいのに英語がおぼつかなくて悔しい。
でも抱きしめてくれた。PEIの人なつっこい笑顔に触れてとがっていた心がやわらかく溶け始めていくような・・・。
PEIにまた来たのだという喜びが湧き上がってくる。
輝く湖水もフレンチ・リバーも昨年の7月とはまた違う表情をみせてくれる。

プリンス・エドワード島プリザーブカンパニーでお昼のロブスターをいただいた後、ニュー・ロンドン地区を抜けてキャベンディッシュへ。
キャベンディッシュ・ビーチ、教会、郵便局、そしてモンゴメリさんのお墓、グリーン・ゲイブルズを再び訪れる。

ツアー解散後、(キンドレット・スピリットで)少し休んで荷物の整理をした後、グリーン・ゲイブルズを再び見学。陽射しは柔らかく、日本の12月頃の気候で寒い。モンゴメリさんのお墓の花壇の花もこれから整えられようとしているところだった。去年見ているせいか、一つ一つがより心に残り、ああこうだったなと思い出し始める。

グリーン・ゲイブルズから恋人たちの小径、バルサム・ホロウ・トレイルを散策、ゆっくり歩いて40分ほど。なんだか緑が輝くように美しく、瑞々しい。眠いが変なストレスでキュッキュッとよじれていた脳味噌がやすらいでいく心地。体の底から気持ちいい感じ。
去年は恋人たちの小径を歩いていなかったんだな。トレイルにはアンの好きな小川が流れていた。

再びグリーン・ゲイブルズへ戻ってから、今度は去年と同様、ホンテッド・トレイルを歩いてモンゴメリさんの住居跡へ。前日の雨のせいで足元がかなり濡れてくる。
リンゴの木が少しばかり花が残っており、モンゴメリさんの息づかいが今も宿っているようで立ち去りがたい。
何度も何度もモンゴメリさんも眺めていたであろう木々たちの間を行ったり来たりする。
雲の流れが早い。晴れ間が顔を出すので、木々が輝くように美しく、枝と枝の間から青空に色んな形の雲が浮かんでいるのをいくつも写真におさめる。
立ち去りがたい。

モンゴメリさんが歩いたのと同じ赤土の小道をたどる。
足元からエネルギーが湧き上がってくるようだ。
家の跡がだんだんみえてくる道すがらも去年の7月とは景色が違っていて、春タンポポの綿毛が一面に広がっていた。
なんとも穏やかで輝くような時間。心が静かに溶けているような心地だった。

キャベンディッシュ・ビーチに夜も来る気になっていた。
だが、7時を過ぎたあたりだろうか、雨。靴はどんどん濡れてきてぐちゃぐちゃ。
それでもあきらめ切れず、部屋で食事をした後、海辺まで足を延ばしたが海は荒れていた。
赤土に打ちつける波は荒々しく、こわいぐらいだった。
誰もいないと本当に寂しい。赤い土の断崖も不気味に感じられる。
長い冬の寒い夜、電灯もない時代、暗い中でこんな海鳴りをきいたモンゴメリさんは、さぞ恐ろしかったであろうと想像する。
橙色の夢のようなサンセットを見ることができなかったのは本当に残念。次の課題だ。
これで満足して二度と来なくなってしまってはいけない、とモンゴメリさんが呼んでくれたと思うことにしよう。

雨にけむるグリーン・ゲイブルズもまた風情がある。写真におさめて、ぐちゃぐちゃの足で宿に戻る。可愛い部屋を汚くしてしまった。
夜はティー・パーティ。眠れていないし、頭が回っておらず英語が聞きとれない。
全く出てこない。情けない。

やはり眠れず、目がさめたりしてなかなかきつくなってくる。
直前まで必死で仕事をして、疲れたまま来ている身には応える。更年期障害の始まった身に過酷なことをしたのかなと思う。乳房が痛むが生理はこない。
それでも私の表情は穏やかになり、幸せな顔に変わっていたようだ。
PEIは私の心を幸せにしてくれる。足元からエネルギーをくれる。

今これを書いているのは(帰りの)トロントの空港、現実が戻ってくる。
なんとなく気持ちがキュッとなってくる。束の間の夢をみていたような気がする。

キンドレット・スピリット・カントリーイン泊。
寒いので、ガンガン暖房を入れて、眠れないが横になった。
換気扇がないせいか、湿気を感じる。もう一泊ぐらい・・・と思えるのがちょうどよかったかな。」


長文なので2回に分けるつもりが一気に書いてしまいました。
どこまでも穏やかで幸せだった時間が体のなかによみがってきました。
試練の連続、心の中にあるたくさんの幸せの引き出し、明日海りおさんのことばを借りれば
「心の点滴」がたくさんあるから、妹の分まで生きるのが私の役割なんだという想いがあるから、どうにかこうにかこうして生き延びている日々。明日は気温がぐんと下がり、しかも雨の予報。いちばん寒い時間帯に面接、きついね。大丈夫、大丈夫・・・。


チェンネルの写真の整理がようやく進んできました。
日付順に整理していないので見づらくて申し訳ないですがお時間と興味がありましたら
ご覧ください。コメントもつけれるといいですが今はそこまで手が回らず。少しずつ、少しずつ・・・。

http://blog.goo.ne.jp/photo/288907?fm=entry


フレンチ・リバーから一枚。




お昼にいただいたロブスター。
たぶん日本人の観光客向けに小さく食べやすくなっていました。
地元に人が入る普通のお店でロブスターを注文したら、大きくって大変、大変。




ニュー・ロンドンにあるモンゴメリさんの生家。



モンゴメリさんが生れた部屋。



キャベンディッシュの海岸。お昼に訪れたときはまだ穏やかでした。


春のプリンス・エドワード島への旅_出発

2017年10月09日 19時40分23秒 | プリンスエドワード島への旅
 春のプリンス・エドワード島への旅日記をまだ載せていないことにようやく気がついた次第。すっかり載せた気になっていましたが写真の整理が追いついていませんでした。断捨離を進めていますがいろいろとあふれかえっていて整理しきれず、こんなノートがあったねえと振り返っているそばから、そのノートがどこにいったのかまたわからなくなっている状態。すっきりと暮らせるまでにはまだまだ時間がかかるんだなあと再認識しました。少しずつやっていくしかありませんね。

 春のプリンス・エドワード島への旅は2010年6月6日(日)から13日(日)までとちょっと長めのゆっくり旅。前年夏のプリンス・エドワード島へ旅して、幸せ感に満たされた、夢のように美しい島にもう一度行きたいと思いました。今度はアンがはじめて島に降り立った春に行きたいと強く思い、年明けには旅行会社の窓口に申し込みに行ったと思います。まだプランが出ていないのでもう少しお待ちくださいと言われた記憶があります。父親の具合が悪くなることなど全く想定していませんでした。蒸し暑くなりはじめた頃、父親の具合がよくないと弟から連絡がはいっていました。それでも、妹とお別れしているのに自分の親がこの世からいなくなることなど思い描くことができなかったわたしは、7年ほど続いていた会社の二人分労働もとうに限界をこえていたのでつらくってつらくってつらくって仕方なかったわたしは、弟へのうしろめたさを抱えながらも実家には帰省せず予定どおり旅に出ました。今行かなかったらもう行けなくなるという気持ちがありました。2010年、真夏は連日40度近くまであがり酷暑と言われた夏でした。旅から3か月後の9月、父親とのお別れがおとずれました。そして2011年3月に東日本大震災、そして2012年2月に母親とのお別れ。試練の連続でした。心の引き出しの中にプリンス・エドワード島への旅の思い出がなかったら乗り切れなかったと思います。2012年9月、妹と両親の三人を一緒にお墓にいれてあげて三度目の、秋の島への旅をしました。そのあとに働いて働いて働いた会社から使い捨てにされるというかたちで日中の居場所をなくし突然社会から孤立するというまたまた大きな試練を経てようやくこの旅を少しずつ振り返ってみようと思います。


「2010年6月6日(日)

17時、AC0002便にて成田空港からトロントへ出発

 -日付変更線-

15時50分着、トロントピアソン国際空港に到着(時差13時間)

20時30分、AC8858便にてシャーロットタウンへ出発

23時34分、シャーロットタウンに到着(時差12時間)


成田→トロント→シャーロットタウン、
飛行中殆ど眠れないまま、夜半12時頃PEIに降り立つ。
雨and寒い。また来ちゃったPEI。信じられないような・・・、でも現実。

ベスト・ウエスタンホテル泊。

なんとか2時頃ベッドに入るが、何度も目がさめたりしてあまり眠れなかった。
金・土も眠れていないので、すでに体はへばっていた筈だ。

トロントの乗り換えはやっぱり大変。荷物がでてくる所を見間違えてたし、入国審査のあと違う方向に行きそうになった。危ない。」

 トロントで一人乗り換えなければならないのに緊張していました。日本人CAの「まもなく当機はトロントピアソン国際空港に到着します」のアナウンスにぼっとうしていたのが一気に緊張感高まり。降りるとき、「乗り継ぎの案内はありますか」ってCAにたずねたら「特にありません」っていう答えが返ってきたのはこの時だったかな。成田空港で預けたトランクをいったん受け取ってから入国審査を受けるのですが、しばらく違うターンテーブルで待っていました。6日の午前中自分の部屋を出発してから20時間近くが経過、日本は真夜中、疲労と時差でほとんど頭が回っていない上に、老眼が始まっていたので電光掲示板の赤い文字がちかちかしました。気づいてからあわてて正しいターンテーブルに行くと自分のトランクだけがまだ回っていたっけかなあ。それから入国審査を受けると今度は違う方向へ行きそうになり、係員の、えっ!あっ!っていう表情で気づいた次第。それから国内線への乗り換え口でまたトランクを預けると、搭乗口のゲート番号をたよりに広い広い空港の中をひたすらシャーロットタウン行きの搭乗口を目ざして歩きました。同じフリーツアーを利用されていた女性の二人連れに声をかけていただいたのは無事シャーロットタウン行きの搭乗口近くにたどり着いた時だったかな。すごく不安で一人で来ている女性がいるときいていたのでさがしましたって声をかけていただきました。声をかけていただいた時は、わたし日頃のストレスと疲労の蓄積で顔がひきつっていました。申し訳ないですとあやまりました。お二人とは帰国してからも何度かお会いしており、気にかけてくださっていてほんとにありがたいことです。旅の縁とは不思議なもの。たまたま同じ日程を選んでいなかったらお会いすることなかったですからね。





シャーロットタウンまではエアカナダのこんな小さい飛行機に乗ります。
風で大きく煽られるとちょっと緊張。
上空で安定しているときはおやつと飲み物がでます。





陽が落ちようとしているカナダの空を飛び、夜のシャーロットタウンを目指しました。
こうして振り返っていると、なんだか涙がでてきます。














春のプリンス・エドワード島への旅_フレンチ・リバー

2017年09月27日 22時02分20秒 | プリンスエドワード島への旅
 色々と書きたいことはありますが息抜き投稿。2010年6月7日に訪れたフレンチ・リバー。リバーと名付けられていますが、川ではなく入り江。吉村さんのお写真によく登場します。プリンス・エドワード島にはこんな入り江がたくさんあります。晴れ渡ったには、入り江がきらきらと輝いてどこもかしこも「輝く湖水」。プリンス・エドワード島は春も夏も秋もほんとにきれい。今度はまだ行ったことのない冬に訪れたい。この世にいる間に実現できるかな。

 今日は相談窓口を訪れて、また日中の居場所をみつけるべく少しの勇気と気力でもって今週中に書類をアップデートして提出することにしました。行ってみないと、やってみないとわからないのでスーパーウルトラハードだとわかりつつ漕ぎ出してみます。がんばりすぎずに、がんばれ、わたし。いつかきっとまたこの世にいる間にプリンス・エドワード島に、モンゴメリさんの眠る場所に、フレンチ・リバーに会いに行けるよ。

 大草原の写真をなかなかアップできずにごめんなさい。整理できていないものがありすぎて少しずつやっています。気長にお待ちいただければと思います。明日はまた宝塚のことが書きたくなるかな、他のことかな。こうして時間のある時に少しずつ、少しずつ・・・。

 昨日は電車に乗らずになんとか一日をやり過ごしました。ネットで調べて人気だという書き込みがあったカフェでランチ。値段のわりにはたいしたことなく個人の店はせまいのでそれはそれで居心地がいいわけでもなく、もう一度行きたいとは思いません。そのあと地図をみながら近くにあると知らなかった公園へ。湿気がすごかったですけど緑にしばし癒されました。そのあとはまたカフェで暗くなるまで過ごしました。明日はまた行くところがないんですよね。部屋にいないとやれないことたくさん、片付けたいことたくさんあるのに、苦労して家賃払っているのにずっと居ては危ない環境。いやあ疲れまする。外でPC立ち上げてやれることはできるだけ外で。明日は雨だしなんとか乗り切れるでしょうか。夜部屋に帰ってくると胃の痛みがとまらずの日々です。こんな生活していてはいけませんね。日本は今マニュアル通りの心がこもっていない「ありがとうございます」が多すぎてなんだか気持ち悪いし、希望がもてません。人懐っこいプリンス・エドワード島の人たちの笑顔がなつかしいなあ・・・。

















秋のプリンス・エドワード島への旅_グリーン・ゲイブルズに別れを告げた朝

2017年09月22日 22時51分52秒 | プリンスエドワード島への旅
 秋のプリンス・エドワード島への旅、キャベンディッシュのキンドレットに3連泊したあと、いよいよシャーロットタウンへ戻らなければならないという旅の4日目、荷造りをすませると朝食前に大急ぎで、グリーン・ゲイブルズを訪れました。

 キンドレットのスィートルームに三連泊。シーズンオフだから叶った贅沢でした。靄がかかって、モンゴメリさんが描いているようにぴりっとかぐわしい朝でした。すごく寒かったですが荷造りしながら少しドアを開けて秋の朝の香りをすいこみました。カナダギースの鳴き声がきこえる贅沢なひとときでした。こうして書いているとあの朝の静かな光景が体の中によみがえってきます。幸せでした。

 キンドレットはグリーン・ゲイブルズから徒歩5分なのでこの旅の間何度訪れたでしょうか。今度いつ来ることができるのだろうと思うといつまでも立ち去りがたく、いつかきっとまた来ることができる、そう言い聞かせながら、モンゴメリさんの息遣いを感じたキャベンディッシュでの滞在は終わりました。3連泊の間にも紅葉・黄葉がどんどん鮮やかになっていって、お化けの森もいちだんときれいでした。

 写真を振り返りながら、これ以降プリンス・エドワード島を訪れていないことにあらためて気づきました。5年が過ぎました。早いですね。いつかまたこの世にいる間に訪れることはできるでしょうか。叶うならばルーヴル美術館とオランジェリー美術館にもまた行きたいし、マウリッツハイス美術館にもウフィツィ美術館にも行きたいです。まだまだこの世にいる間に行きたいところがあるし、楽しみたいことがあるのですが胃の痛みが止まらない毎日が続いています。大丈夫でしょうかね、わたし。何しているんでしょうかね、わたし。これからどうしていくんでしょうかね、わたし。あれやこれやと、書きたいと思っていたことがあったような気がしますができませんでした。自分の部屋にいられないような状況ってどうしようもないですね。疲れました。また明日・・・。


グリーン・ゲイブルズから眺めたお化けの森。
つたない写真ではお伝えしきれませんが見事な紅葉・黄葉でした。