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あいちトリエンナーレ「平和の少女像」問題の一考察

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」に展示された「平和の少女像」

あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展・その後」での平和の少女像の展示について、抗議の電話やメールが殺到しています。その抗議は、主に保守論客の意見に端を発し、SNSを通じて広がっています。またも、声高に叫ぶ人々による言論の自由や表現の自由が抑え込まれ、様々な意見が封殺されてしまうのかと危機感を覚えます。そして、そこに政治的介入が加わってはいけないです。

そもそも、あいちトリエンナーレなかんずく現代美術の世界において、自らの思想信条を表現することが中心にあり、作品を通じて考える場となるのがトリエンナーレの意義でもあります。ですから、当然、今回の展示を通じて様々な考えがあって当然だと思います。

僕も、慰安婦像と平和の像は、作者が述べる主張とは異なると感じますし、アメリカや韓国で設置される慰安婦像や徴用工像には、日本人として嫌悪感はあります。しかし、表現の自由を支持するものとしては、たとえ自分と異なるものでも抗議にまで踏み込むことはしません。

ほかにも、昭和天皇の御影写真が燃えるような連作作品がありますが、天皇制や象徴天皇に対して意を異にする人がいる以上、中止や撤去は求めません。今回の「表現の不自由」展は、表現に対する権力の介入がテーマにあり、一方の意見を支持し、政治的な介入がなされたならば、それほど民主主義の根幹を揺るがすことだからです。

また、一部には国や県の補助で受けたイベントにこうした展示をするのは何事かと怒る人もいますが、異なる考えの権力の傘のもとでは自分たちの意見は抹殺される事を知るべきです。

こうした表現に対しては、映画でも文化庁の助成を受けている作品には、反体制的な表現の作品があります。嫌悪感を持つなら観なければいいし、お金を払ってこのイベントを体験しているアートファンがいる以上、この作品が撤去されたならば残念なことです。また、来場者の中には、展示を観てその場で抗議した人もいたそうですが、ほかの来場者にとっては迷惑でしかないです。

監督の津田大介氏は、抗議の人々に集中攻撃を受けていますが、以前、NHKの朝のラジオ番組で就任への経緯を述べていました。実はトリエンナーレ事務局から本人の承諾なしにメールで決定通知が送られ、芸術において知識が乏しく適任ではないと最初は固辞され、その後主催者や協力者の後押しがあり承諾。就任に際し、様々な芸術祭に参加、研究をされています。

津田氏の提案で、男女共同参画の観点からアーティストの男女比を5対5にしたことは、世界的にもある芸術の世界での圧倒的な男性優位の状況を打ち破る改革です。

そして、今回の「表現の不自由展・その後」は、芸術監督として、ジャーナリストとして、現在のネット社会に精通したものとして、あえて波紋を投げかけたもので、これこそ現代美術の持つ社会性を反映しています。

津田氏は、予想を超えた抗議に対して展示のあり方を変えると会見していますが、その反響の大きさからのイベントの継続の危機や来場者への安全を確保するもので、今後の動向を見守りたいです。できうるならば、過激で暴力的な抗議が起こらないことを祈るばかりです。抗議する方も、自分たちの主張が暴力への連鎖にならないよう注意喚起を促してほしいものです。

平和な社会は何か?僕は、様々な考えを持った人々が、お互いの意見が異なっても、お互いを認め合う広い心が必要だと思います。それができないなら、自分の主張だけを押し付けるべきではないと思っています。


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