熊谷守一は、岐阜県出身の洋画家でもっとも人気の高い画家でしょう。そして、日本の画家の中で異端の画家であることは誰もが認めるところです。
熊谷守一は、1880年に岐阜県中津川市付知町で生まれ1977年に97歳の天寿を全うします。70歳の頃から自然や生き物を赤い輪郭線と簡素な形と色で描き、自らの作品を「へたも絵のうち」として表現しています。晩年の引きこもりの仙人のような生活や文化勲章辞退など、世俗的なものが一切ない無二の芸術家でした。
岐阜県美術館で開催中の「守一のいる場所・熊谷守一展」は、人気の高いデフォルメ作品から、幼少から学生時代、青年時代と画家の生涯をくまなく現した展覧会となっています。その数は油彩画200点、水彩画や素描100点にも及ぶます。
今回の展覧会の中で、強烈な印象を持ったのが28歳の時に描かれた「轢死・れきし」妊婦の轢死の事故に遭遇し描いた衝撃的な作品です。当初は文展に出品する予定が拒否され、白馬会展で出品され、いまもなお調査されている作品です。妊婦の姿は肉眼ではとらえられないのですが、X線で浮かびあがった姿は、不思議に慈愛を感じるものでした。この作品をモチーフにした作品が数多く存在するのも、単なる飛び込み自殺した妊婦を超えた存在であったように感じます。
守一は晩年の30年間、自宅に引きこもり草木や蟻、猫、蛙など生きものを描いています。その作品は守一の人気を不動のものにしたと言っても過言ではないと思います。また、書や水墨画などの作品は、さらに独特な描線があり何とも言えない風合いがあり温かみを感じます。
世間から隔絶し、ただひたすらに自らの作品に取り組んだ守一。その作品には生きるものすべに対する慈しみと悲しみが混在しているように感じました。