人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

かたち

2010-05-16 14:20:19 | 出来事
昨日、カリフォルニア州弁護士協会のホームページにて2010年2月の司法試験合格者の一覧が限定公開されました。受験者番号とファイル番号を打ち込むと、一覧に名前が記載されているかを確認できるシステムです。

受験者として恐る恐る番号を記入して「検索」ボタンを押すと、記載されている場合は「上記の名前は一覧に記載されています」と一行のテキストがあるだけ。10回ぐらい読み直し、「受かってるっていうことだよなぁ・・・」と迷いながらも少しホッとしました。謎めいた記載方法で喜びの波に乗り遅れてしまった感がありましたが、そのページをそのままメールに貼り付けてロースクールのアドバイザーに送ると「おめでとう!」との返信が戻ってきたので、やっと素直に喜ぶことができました。

早ければ1か月以内に宣誓を行い、晴れて「弁護士」と名乗れるようになります。

さて、ロースクール入学前には一度だけ、日本の司法試験を受けたことがあります。これには合格できず、(仕事をしながらですが)1年近く勉強したのに「かたち」にできませんでした。しかし、これが私の法律知識の土台となったことも事実であり、かたちにならなくても有意義なこともたくさんあるのだということを改めて感じました。

会社経営、医学部通学と並行で4年間、通信制ロースクールに通いました。その3つの中で割いた時間が圧倒的に少なかったのが法律の勉強でした。日米では民法か判例法かという大きな差があるものの、基本的人権から禁反言まで通じる概念は数知れません。日本法を独学した1年間は決して無駄ではなかった、と自信を持って言えるようになりました。

このように、人の努力にはかたちになるものとならないものがあります。しかしかたちにならなかったからといって、何も実らなかったということにはなりません。どこかで生きているはずです。

また、世の中では目標や夢を明確に設定することが要求されます。これは面接から中期経営計画まで幅広い場面について言えることですが、それはコミュニケーション上相手に理解される必要性と、達成したか否かも明確になり、客観的な評価が容易になることだと思います。

しかし、明確な言葉にできない夢や目標もあります。最近になって思えるようになったことですが、こういった目標も重要であり、人の支えにも励みにもなり、主観的には同等の喜びが得られるものだと思います。言葉にできなくてもなんとなくイメージがあればよく、他人にうまく伝えられないものこそが核心を突くものであることも多いと思います。

「人生で何がやりたいのかわからない」という人は、おそらく「どの職業を選ぶべきか」「どこのどういった地位・立場・状態を目指すべきか」ということが明確にイメージできないのだと思います。こういったことは誰にでもありますが、どっちの足で踏みだすかなどあまり考えないのと同じように、あまり考えずに何かを試してみるのが近道なのではないでしょうか。正直、事後的に(多少強引に)色んな経験を結ってひとつの「かたち」とすることもできると思います。それでもいいと思いますし、歴史上の人物もよく実践していることだと思います。

私はすぐに弁護士として仕事する予定はありませんが、資格取得や好奇心を満たすだけのために勉強したわけではありません。まだ公開できない、まだ明確な言葉にならない目的があります。そのために、有形・無形を問わず、色んなものを求め続けたいと思います。