季節外れの、バレンタインに関するお話です。
大学4年生のとき、男5人で寮に住んでいました。やはり、夜中になっても色んな話題について語り合っていました。
ところで、2月の2週目になるとアメリカでは薔薇の値段が、通常の2倍にもなります。バレンタインには薔薇が高くても売れる、逆にバレンタイン以外は安くても売れない。市場の法則としては当然のことかも知れませんが、消費者としてどうも納得が行きませんよね。そこで、ひとりが言い出しました。
「バレンタインなんて人の発明だろ。薔薇売るためのマーケティング技法なんだよ。こんな日を祝わなくてもいいじゃないか。」
このような話題は、大学では良く出る議論なのです。理論と現状の乖離について考えると頭の運動になるだけではなく、ビジネスアイディアに繋がる場合もあるのです。
確かに、理論的にはごもっともの話です。しかし私には、バレンタインを祝いたい理由が幾つもあります。それは、薔薇に2倍の額を払っても価値のあるものだと思います。
① 薔薇を送る言い訳ができる。
確かに言い訳は必要ではないのですが、付き合いが長くなると恋人に素敵な思いをさせたいという気持ちは、当初より弱まってしまうのではないでしょうか。ケンカなどしている場合は、薔薇を買っていくにはかなりの勇気が必要です。そんなとき、バレンタインは愛を一層強くさせる、もしくは仲直りするきっかけになってくれるのではないでしょうか。恋人がいないときも、薔薇には誰かを幸せにすることはできる力があると思います。恋愛に拘らず、日頃の感謝の気持ちを表すのにもいい機会なのではないでしょうか。
② 人を喜ばせることができるから。
ある程度定着している、誕生日、結婚記念日、バレンタインなどの日は、人にある程度の期待感、夢を与えてくれます。もしかしたら、何かいいことが起こるかもしれない。もしかしたら、あの人が素敵なディナーに招待してくれるかもしれない。そんな期待に、応えてあげたいと思うのは自然だと思います。期待をちょっとだけでも超えてあげることができたら、特別な人に特別な思い出をあげることができるでしょう。
そして、究極的には・・・
③ そのために、この地球に生まれてきたから。
「バレンタインなんてバカバカしい」などと言われたら、「では、何がバカバカしくないのか」と逆に聞きたくなります。極端ですが、私は人はバレンタインを祝うためにこの地球に生まれてきたとすら言えると思います。
大げさでしょうか?少し補足しましょう。
確かに、2月14日が愛の日であると言われたからって人に言われたことをすべて真に受けて、言われるままに行動するのは望ましくありません。何のための個性だかわからなくなります。しかし我々のすべての行動は、ある程度共通した「枠」の中で行われるのです。
たとえば、ダイエット飲料のマーケティング・キャンペーンでいつものアイドルの変わりに、ドラえもんグッズを使ったプロモーションを採用したとしましょう。斬新かも知れません。(上手くいくとは思えませんが)売上が伸びるかも知れません。ですが、結局は「マーケティング・キャンペーン」という枠の中の発想なわけです。マーケティングという概念は、確かに人が発案したものです。ではマーケティングをやったら、個性が失われるのでしょうか。むしろ逆だと思う人が過半数を占めると思います。
同じように、「バレンタイン」という日の枠の中で、個性的な祝い方をすればいいのではないでしょうか。その日の意味は自分で作り出すものであり、「バレンタイン」などという名前はきっかけに過ぎないのです。薔薇ではなく、手料理を用意するのでもよければ、千羽鶴を折ってもいいでしょう。一日中一緒にサッカーして泥まみれになってもいいでしょう。
上記「祝うために生まれてきた」というのは、「地球の何億年もの歴史が築いた素晴らしい枠の中に生まれてきたことを大事にしたい」ということです。人が考え付いたことがすべてバカバカしいのであれば、政府も、正義も、数学も、お金も、勝利も、地位も、家族も、愛も、パイオニア製70インチのフラットパネルディスプレイも、みんなバカバカしいということになってしまいます。それでは命すらバカバカしくなってしまいます。
我々は無数の枠の中で暮らし、その中で喜びを覚えます。現時点の前提のみに捕らわれるのは良くありませんが、その前提はすべて限界を作り出すもの、個性を抑制するものを考えてはいけないと思います。一人だけの地球ではなくて良かった、私はこう考えたいと思います。
バレンタインなどを祝う人を見て、何かに「騙されてる」「踊らされてる」と思う人もいるかも知れません。いいじゃないですか。楽しく思えるのですから。思い切り踊らされちゃいましょう。お酒より身体にいいと思いますよ。
ということで、バレンタインや誕生日などの記念日を大事にしましょう。それを大事にしないのなら、何を大事にするのですか?少し、考えてみる価値があるのではないでしょうか。
大学4年生のとき、男5人で寮に住んでいました。やはり、夜中になっても色んな話題について語り合っていました。
ところで、2月の2週目になるとアメリカでは薔薇の値段が、通常の2倍にもなります。バレンタインには薔薇が高くても売れる、逆にバレンタイン以外は安くても売れない。市場の法則としては当然のことかも知れませんが、消費者としてどうも納得が行きませんよね。そこで、ひとりが言い出しました。
「バレンタインなんて人の発明だろ。薔薇売るためのマーケティング技法なんだよ。こんな日を祝わなくてもいいじゃないか。」
このような話題は、大学では良く出る議論なのです。理論と現状の乖離について考えると頭の運動になるだけではなく、ビジネスアイディアに繋がる場合もあるのです。
確かに、理論的にはごもっともの話です。しかし私には、バレンタインを祝いたい理由が幾つもあります。それは、薔薇に2倍の額を払っても価値のあるものだと思います。
① 薔薇を送る言い訳ができる。
確かに言い訳は必要ではないのですが、付き合いが長くなると恋人に素敵な思いをさせたいという気持ちは、当初より弱まってしまうのではないでしょうか。ケンカなどしている場合は、薔薇を買っていくにはかなりの勇気が必要です。そんなとき、バレンタインは愛を一層強くさせる、もしくは仲直りするきっかけになってくれるのではないでしょうか。恋人がいないときも、薔薇には誰かを幸せにすることはできる力があると思います。恋愛に拘らず、日頃の感謝の気持ちを表すのにもいい機会なのではないでしょうか。
② 人を喜ばせることができるから。
ある程度定着している、誕生日、結婚記念日、バレンタインなどの日は、人にある程度の期待感、夢を与えてくれます。もしかしたら、何かいいことが起こるかもしれない。もしかしたら、あの人が素敵なディナーに招待してくれるかもしれない。そんな期待に、応えてあげたいと思うのは自然だと思います。期待をちょっとだけでも超えてあげることができたら、特別な人に特別な思い出をあげることができるでしょう。
そして、究極的には・・・
③ そのために、この地球に生まれてきたから。
「バレンタインなんてバカバカしい」などと言われたら、「では、何がバカバカしくないのか」と逆に聞きたくなります。極端ですが、私は人はバレンタインを祝うためにこの地球に生まれてきたとすら言えると思います。
大げさでしょうか?少し補足しましょう。
確かに、2月14日が愛の日であると言われたからって人に言われたことをすべて真に受けて、言われるままに行動するのは望ましくありません。何のための個性だかわからなくなります。しかし我々のすべての行動は、ある程度共通した「枠」の中で行われるのです。
たとえば、ダイエット飲料のマーケティング・キャンペーンでいつものアイドルの変わりに、ドラえもんグッズを使ったプロモーションを採用したとしましょう。斬新かも知れません。(上手くいくとは思えませんが)売上が伸びるかも知れません。ですが、結局は「マーケティング・キャンペーン」という枠の中の発想なわけです。マーケティングという概念は、確かに人が発案したものです。ではマーケティングをやったら、個性が失われるのでしょうか。むしろ逆だと思う人が過半数を占めると思います。
同じように、「バレンタイン」という日の枠の中で、個性的な祝い方をすればいいのではないでしょうか。その日の意味は自分で作り出すものであり、「バレンタイン」などという名前はきっかけに過ぎないのです。薔薇ではなく、手料理を用意するのでもよければ、千羽鶴を折ってもいいでしょう。一日中一緒にサッカーして泥まみれになってもいいでしょう。
上記「祝うために生まれてきた」というのは、「地球の何億年もの歴史が築いた素晴らしい枠の中に生まれてきたことを大事にしたい」ということです。人が考え付いたことがすべてバカバカしいのであれば、政府も、正義も、数学も、お金も、勝利も、地位も、家族も、愛も、パイオニア製70インチのフラットパネルディスプレイも、みんなバカバカしいということになってしまいます。それでは命すらバカバカしくなってしまいます。
我々は無数の枠の中で暮らし、その中で喜びを覚えます。現時点の前提のみに捕らわれるのは良くありませんが、その前提はすべて限界を作り出すもの、個性を抑制するものを考えてはいけないと思います。一人だけの地球ではなくて良かった、私はこう考えたいと思います。
バレンタインなどを祝う人を見て、何かに「騙されてる」「踊らされてる」と思う人もいるかも知れません。いいじゃないですか。楽しく思えるのですから。思い切り踊らされちゃいましょう。お酒より身体にいいと思いますよ。
ということで、バレンタインや誕生日などの記念日を大事にしましょう。それを大事にしないのなら、何を大事にするのですか?少し、考えてみる価値があるのではないでしょうか。
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