歩行速度で筆者は書きました。
1.「後ろから蹴り倒したくなります。」
2.「こいつらを、突然大阪の人込みの中に放り出したらどうなんのかね?ショック死すっかね?」
よく考えたら、半世紀以上も前に結論が出ておりました。1942年4月のいわゆる「バターン死の行進」がそれです。
あの時はバターン-サンフェルナンド間、全行程60キロを4日-5日で歩いた(歩かせた。歩かせられた)。一日6時間、5日かけて歩いたとして
60km/6(houres/day)/5(days)*1000(m/km)/3600(s/min)=0.56(m/s)
捕虜の方々(米兵1万2000名、比兵6万4000名、非戦闘員2万名、資料によって差あり)は、栄養失調、マラリア、デング熱でふらふらだったことを勘案しても妥当なところじゃないかと思われます。
そら、健康な連中でもフィリピン人やアメリカ人一日12キロも歩かせたら死にますわな。
ちなみに死亡・行方不明者数は、マニラ軍事法廷の「起訴事実」によると
米人1200名(10%)
フィリピン人1万6000名(20%)
バターン死の行進」ってのも日本軍による捕虜虐待の代名詞のようにいわれてますけど、こっちもマラリアに罹患して、その上くそ重い装備担がされていらいらしてんのに、たらたら歩かれたら「後ろから蹴り倒したくなります」わな。
結論:フィリピン人を2キロ以上歩かせてはいけない。
当時の日本が「皇軍将兵は捕虜になどならん」との理由からジュネーブ条約を批准してなかったり、したがって日本軍が捕虜の取り扱いを将兵に教育していなかったのは事実。そんなことやってっから、余計「あいつらはジュネーブ条約も批准しとらん」とかいわれて針小棒大されっちゃうんだってば。
まあ、世界の動きにあわせて機械化(自動車化)したかったのに、貧乏でトラックを買えなかったので仕方なく歩かせたってのが本当のところ。真面目に戦争などする気もなかったのがこれでも分かる。
「日本は戦争などしない」との理由から、真面目に有事を考えてないのは今も変わらん。
2005年追伸:最近はかなり真面目に考えてますな。