【暮らしのマネー】:言ってはいけない年金制度の真実 「老後資金2000万円不足」の本当の意味(橘玲)
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【暮らしのマネー】:言ってはいけない年金制度の真実 「老後資金2000万円不足」の本当の意味(橘玲)
金融庁による「老後資金2000万円不足」の報告書が公表された直後にネット上で“炎上”したのが、日本年金機構による「わたしと年金」エッセイの募集だった。あまりにタイミングが悪かったが、過去の受賞作を見ると、公的年金の大切さを褒め称えるものばかり。
「誰も本当の事を言えないなら、私が代わりに言います」――ベストセラー『言ってはいけない』著者の橘玲(たちばな・あきら)氏が語る、誰よりも本質に迫る「わたしと年金」とは。
金融庁の報告書について答弁する麻生太郎金融相(写真:時事通信フォト)
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現役世代に老後の資産形成を促す金融庁の報告書が「存在しない」ことになってしまった。「『100年安心』のはずなのに『年金以外に約2000万円が必要』とは何事だ」という怒りが殺到したのだ。
しかし報告書を隅々まで読んでも、そんなことはどこにも書いてはいない。「平均的な高齢者世帯は年金等の収入約21万円に対して支出は約26万円」という総務省の「家計調査」で過去に明らかになっている数値をベースに、足りない5万円を貯蓄から取り崩している現状を説明し、その水準で暮らしたいなら、「65歳までに2000万円くらいは貯めておいた方がいい」とアドバイスしているだけだ。報告書はこう書いている。
〈公的年金の水準については、今後調整されていくことが見込まれているとともに、税・保険料の負担も年々増加しており、少子高齢化を踏まえると、今後もこの傾向は一層強まることが見込まれる〉
「調整」というのは現役世代の負担を上げて年金受給世代の給付水準を下げることを指すが、これも間違っていない。高齢化に合わせて負担と給付の調整を進め、年金制度を維持するのが「100年安心」だ。「100歳まで安心」ということではまったくない。
報告書に本当のことを書くとバッシングで黙らせるのはあまりよいことではない。賢いお役人は、これからはウソ(きれいごと)ばかり書くようになるだろう。
◆本当は5000万円必要
問題があるとすれば、「平均的」としている高齢者世帯設定が高すぎることだろうか。報告書は「持ち家+年金20万円+金融資産2000万円」の世帯を前提としているが、この条件を満たすのは、上位3割だけ。
今回の報告書とは別の金融広報中央委員会の調査では、60代の2割、70歳以上の3割が「金融資産を保有していない」と答えている。70歳以上の人口は2500万人なので、じつに700万人以上が「貯蓄ゼロ」で暮らしていることになる。この貧困高齢者が1000万人を超えるのも時間の問題だろう。
さらなる問題は、報告書の「2000万円」がむしろ少なすぎることだ。生活費の不足分を補うだけで、サービス付き高齢者住宅や有料老人ホームに入居する費用などは含まれていない。多くのファイナンシャルプランナーが「老後に備えて5000万円の貯蓄が必要」と唱えているが、さほど誇張したものとは言えない。
金融庁のお役人としては、「2000万円」はかなり控え目な金額にしたつもりで炎上することなど思ってもみなかったのではないか。
団塊の世代の全員が受給者側になった今、年金は最大の政治タブーになった。ちょっとしたことで大炎上になり、もはや年金について議論することさえ許されない――その現実が明らかになったのが今回の騒動だった。
「老後問題」の本質は、長寿化で「老後」が長くなり過ぎたことだ。
20歳から60歳まで40年間働きながら払った年金保険料だけで、サラリーマンの夫と専業主婦の妻が100歳まで、2人分で計80年間、年金だけで暮らせるなどという法外な話があるはずはない。
この「不都合な真実」に対処するには「老後を短くする」しかない。できるだけ長く現役を続け、年金に頼る期間を短くする。これで、老後に必要な資金は大幅に減る。これからは、早い時期から「生涯現役」を見据えて準備する者が有利になるだろう。
「働きたい高齢者」が大きく増えることが見込まれる中、不可避となるのは年齢にかかわらず働ける労働市場の整備だ。
そのためには、定年引き上げではなく、定年制を廃止しなければならない。英米を筆頭に、すでに世界の主流は定年制を法で禁止することだ。なぜなら、「終身雇用」とは本人の意思を無視して、一定の年齢になれば強制的に解雇する「年齢差別」だから。
企業側も有為な人材が定年で辞めれば人材資源の損失だから、定年制廃止は歓迎だろうが、実現には越えなければならない壁がある。それは「金銭解雇」だ。
いったん雇った社員をいつまでも解雇できないのでは、会社は高齢者の巣窟になってしまう。定年制廃止とセットで、企業が合理的な経営判断と公正な手続きで従業員を解雇できるルールがどうしても必要なのだ。
先進諸国はどこも解雇のルールを定めているが、会社への帰属意識が極端に強い日本は労働組合からの反発がはげしく、議論することすら長くタブー視されてきた。
だが「生涯現役社会」が不可避となった今、定年制の廃止のために、「働き方改革」はこの聖域に踏み込まなくてはいけない。
◆私なら、繰り下げる
今後、多くの人が「老後を短く」を実践すると、年金受給のトレンドも変わってくる。現在は、将来受け取れる年金額の先細りを見越して繰り上げ受給を選択する人が多いが、じつは繰り下げのほうが圧倒的に有利だ。
現行制度では、65歳より早く年金を受給する場合は1か月あたり0.5%ずつ年金額が減らされ、遅く受給する場合は0.7%ずつ増えていく。
これは、60歳で受け取る選択をすると毎月の年金が30%減、逆に70歳まで繰り下げると42%増になるということだ。
0歳で繰り上げ受給し、平均余命までの総額を65歳受給と等しくすると、受給額は17.4%減に止まる一方、70歳まで繰り下げた場合は24.4%しか増えない。「60歳からもらうと30%減、70歳からだと42%増」とだけ示されると、直感的にどちらが得かわかりづらいが、繰り上げは大きなペナルティが科せられ、繰り下げにはかなりのプレミアムが上乗せされていることがわかる。
働きながら年金を繰り下げていけば、その分だけ受給額は増えていく。現在は70歳が繰り下げの上限だが、75歳や80歳までの延長も検討されている。その場合は上乗せ率もより有利になるはずだから、「長く働く」+「年金を繰り下げる」メリットはますます大きくなる。すべての人が60歳時点で多額の資産を持てるはずはないのだから、これが高齢化時代の持続可能な人生設計のモデルになるだろう。
●たちばな・あきら/作家。
代表作に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎文庫)、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』、『もっと言ってはいけない』(いずれも新潮新書)など。近著に『働き方2.0vs4.0』(PHP研究所)などがある。
※週刊ポスト2019年6月28日号
元稿:マネーポストWEB 主要ニュース 【暮らしのマネー】 2019年06月17日 07:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。