第136回芥川賞受賞作が掲載されたので、めったに買わない『文藝春秋』三月特別号を購入して読んでみました。(前回『文藝春秋』を買ったのは、2003年に20歳でダブル受賞を決めた『蛇にピアス』『蹴りたい背中』が掲載されていた号。)
受賞作は、すでに単行本化されている青山七恵『ひとり日和』。
青山氏も23歳とかで、芥川賞受賞作家としては、金原ひとみや綿矢りさに次ぐ若さ。
読んでみようと思ったキッカケは、事前の報道された選考委員の選評。村上龍は「読んでいる途中から候補作であることを忘れ、小説の世界に入ってしまった。」というし、石原慎太郎は「都会で過ごす若い女性の一種の虚無感に裏打ちされたソリテュードを、決して深刻にではなしに、あくまで都会的な軽味で描いている。」という(石原評は何だか意味不明ながら)。
こういった選評を先に知らされては、『読んでみようかなー』という気にさせられます。
設定は、20歳の女性が遠い親戚筋にあたる71歳のおばあさんと同居する春夏秋冬を描いたもの。場所は京王線沿線。主人公のちょっとした悪い癖や、主人公とその彼氏、そしておばあさんとその彼氏(笑)との関係などがサラリと描かれているのですが、設定としては「ありえないよなー」と思いつつ「でもこれが純文学(私小説系)だよなー」と思いながら読みました。
大衆文学が読者を楽しませる作品であるとすれば、それとは違って、純文学は作者の好みの問題だと思いますので、純文学を評価するのは難しいでしょう。あの、太宰治を、小生は好きですが、選考委員の川端康成は嫌っていましたし。小生と川端を比較するのもおこがましいことですが・・・。
金原ひとみにせよ、綿矢りさにせよ、そして青山七恵にせよ、「今時の20歳ぐらいの女性の感覚というのはこんな感じなんだな」と理解するには、それが正しい理解であるかどうかは別にして、恰好の材料でしょう。思うに、守ってあげたいような弱さっていうのが感じられませんね。いや、弱さは十分にあるのですが(『ひとり日和』でも主人公は自分の弱さを露呈している)、どこか斜に構えているというような、すぐに降りてしまうというような、醒めてしまっているというか、おじさんから見れば、「どーも、弱っちゃったな」といった感じです。その点でいえば、島本理生『ナラタージュ』は、おじさんでも共感できる作品でした(もっともこちらは大衆文学かもしれませんが)。
というわけで、書評にも何にもならない感想ですが、ぜひ、現役の学生さんの読後の感想を聞いてみたいところです。
受賞作は、すでに単行本化されている青山七恵『ひとり日和』。
青山氏も23歳とかで、芥川賞受賞作家としては、金原ひとみや綿矢りさに次ぐ若さ。
読んでみようと思ったキッカケは、事前の報道された選考委員の選評。村上龍は「読んでいる途中から候補作であることを忘れ、小説の世界に入ってしまった。」というし、石原慎太郎は「都会で過ごす若い女性の一種の虚無感に裏打ちされたソリテュードを、決して深刻にではなしに、あくまで都会的な軽味で描いている。」という(石原評は何だか意味不明ながら)。
こういった選評を先に知らされては、『読んでみようかなー』という気にさせられます。
設定は、20歳の女性が遠い親戚筋にあたる71歳のおばあさんと同居する春夏秋冬を描いたもの。場所は京王線沿線。主人公のちょっとした悪い癖や、主人公とその彼氏、そしておばあさんとその彼氏(笑)との関係などがサラリと描かれているのですが、設定としては「ありえないよなー」と思いつつ「でもこれが純文学(私小説系)だよなー」と思いながら読みました。
大衆文学が読者を楽しませる作品であるとすれば、それとは違って、純文学は作者の好みの問題だと思いますので、純文学を評価するのは難しいでしょう。あの、太宰治を、小生は好きですが、選考委員の川端康成は嫌っていましたし。小生と川端を比較するのもおこがましいことですが・・・。
金原ひとみにせよ、綿矢りさにせよ、そして青山七恵にせよ、「今時の20歳ぐらいの女性の感覚というのはこんな感じなんだな」と理解するには、それが正しい理解であるかどうかは別にして、恰好の材料でしょう。思うに、守ってあげたいような弱さっていうのが感じられませんね。いや、弱さは十分にあるのですが(『ひとり日和』でも主人公は自分の弱さを露呈している)、どこか斜に構えているというような、すぐに降りてしまうというような、醒めてしまっているというか、おじさんから見れば、「どーも、弱っちゃったな」といった感じです。その点でいえば、島本理生『ナラタージュ』は、おじさんでも共感できる作品でした(もっともこちらは大衆文学かもしれませんが)。
というわけで、書評にも何にもならない感想ですが、ぜひ、現役の学生さんの読後の感想を聞いてみたいところです。