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NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年007月022日(日)3ヶ月後の今です

2007-07-22 | 休み
昨晩、妹様は就職したばかりの
友人が仕事を辞めてしまって凹んでいるので
漫画を片手に励ましに出かけた。

上場前であるためにほぼ休みなしの
状況やその他諸々のことが複合的に相まって
結局、辞表と云う結論になってしまったらしい。


気が付けば、今はもう7月も下旬になっており
4月から数えて、3ケ月という事もあるのか
ゼミ飲みの場でも、「辞めたい」という声や
大なり小なりの不満が多少渦巻いていた。


この種の話題はある種の旬のものなのか
活字に目を落としてみても、関連した話題が見られた。
今週号の「L25」の豊島ミホさんの連載でも
彼女の友人からの相談と云う形で「やめちゃいたい」を
取り上げられていた。

ノルマ達成の困難や上司からの叱責を受けた彼女は
自分には今の仕事は向いていないのかと彼女にこぼす。
それに対して彼女は以下のように応じる。

「どこかに「向いている」仕事があって、それに就けば
誰でもやりがいと楽しさを感じて働けるというのは、
誰かがつくった幻想だ」
というのが、友人の質問に対する彼女の答えだった。


今にして思えば、そういう風に思える。
やりたい仕事がやりたいなんてきっと”大人”から
すれば、子供の駄々でしなくて、むしろそんなものは
言い訳にしか映らないだろう。実際言い訳かも。

それは能力のある人のみが行使できる特権で
何の能力も無く、中流の家で資産も持ち得ない
人間であるところの僕は生きてゆくために
何でも良いから働かなくちゃならない。


でもそう上手く納得できるかと言われれば
納得できない面もある。それはわかるけれど
選べるなら、選びたいと思うのが人情じゃないか
と云うところもある。



そんなことを思って何気なく教育テレビを見たら
「打たれ弱さを克服する話」(『一期一会』)を
やっていた。相談者はまるで僕のようだった…

02007年007月022日(日)親子喧嘩の末

2007-07-22 | 休み
華やかに見える芸能界の仕事でも
常に当の人たちが本当にしたい仕事
じゃ無いんだろう。

つまらない脚本や演出を
「仕事」だから、しているんだと思う。
どんなに詰まらない、馬鹿馬鹿しいと
視聴者に思われても仕事だから
しなくちゃいけない。

誰もが賞賛するようなドラマを
作りたい人も居れば
皆が笑わずには居られないような
コントを作りたい人も居るはずで
それをしたいために
嫌だと思う仕事もしてるんだろうか。


だから僕がどんなに詰まらない
見るに耐えないものだと思っても
そこには何がしかの人の
表にはでないかも知れない
情熱があるのかも知れないとか
思ったら、自分は酷く馬鹿な、愚かな
奴に思われてくる。


どこでも、どんな仕事でも皆何かを
一生懸命やってるんだ。
それを拒絶できるのは何らかの
スキルを持った人か経験を持った人
でしかなくて、どちらも持たない僕は
目の前のことを一生懸命にする外は
無いんだと、悔い改めた…
かも知れない。

02007年007月021日(土)意味なし

2007-07-21 | 休み
昔の知識人なんかは巧いことを云うときに
孔子や孟子などの古代中国の知識人の
示唆に富んだ故事を引用したり
アリストテレスみたいな古代ギリシャ哲学者の
言葉を用いたり、ニーチェや現代哲学者の
思索を援用したりするのだろうけれど
知識人でもなんでもない、ただの現代人な
就職浪人の多浪の人間の口からは
JPOPの歌詞からしか何かを云えない。
でも何も云えてなかったりして
本末転倒で、泡沫と化す。


スキマスイッチの「きみがいいなら」では
男女の関係性を巧いこと表現してらっしゃる。

「きみは僕の名前を呼んで 僕はきみの名前を叫ぶ」

「きみ」と「僕」のその関係性が
よくよく表現されていて巧いなぁ。
どんどん相手の存在感が大きくなっちゃって
均衡が取れなくなってしまった
男の駄目さが最高で身につまされて凹む。

シカオちゃんの「黒いシミ」の

「僕らの毎日は少しづつ 川の流れのように
 何も変わらないようでいて ホントはすごいスピードで
 変わってしまう」

って部分がこの歳になって、今の状況にいて
本当の実際として感じられてしまう。
卒業式って昨日だよなぁ。って頭の片隅で
思っていたりするんだもの。

「小学生くらいの男の子 世界のどこまでも
飛んでゆけよ ロックンローラーになれよ
欲望を止めんなよ」

くるりの「男の子と女の子」を聞いたら
子供の頃を思い出して、今の自分を思って
時間の不可逆性の当たり前さに切なさと
悲しさが入り混じってしまって
不意に目の辺りがうずうずし始めてしまった。
ああ、僕はそういう風に云う立場なんだ。

「コンクリートなんか かち割っちまえよ
かち割っちまえよ」

ってのが止めを刺す。そうだ、かち割っちまえ。
コンクリートなんかさ。



やっぱり何も意味なんてないや。

02007年007月020日(金)人のことを嗤う

2007-07-20 | 休み
ニュースを斬る ハリーに揺れる米キリスト教原理主義 ハリー・ポッターへの反発が映す米国政治の構図(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース


こういったキリスト教徒の
日本人の、少なくとも僕にとっては
非常に下らなくどうでもよい問題
についての対立を見ていると
一体どうしてイスラムやヒンドゥーを
嗤えるのかと思ってしまう。

というか、こういうことを思っていいのは
世界で無宗教を嗤われる日本人の特権だと思う。
ホント傍から見ると、実に下らない。
魔法に対してのアレルギーは
「砂糖は人を凶暴にする」と信じることと
同じくらい欧米人の馬鹿馬鹿しさを
現しているよう。

でも日本も傍から見られれば
酷く馬鹿馬鹿しい異様なことも
あるんだろうなぁ。
握手して歩いて回るどぶ板選挙とか
拡声器で候補者の名前を連呼するどぶ板選挙とか
政策を問われないどぶ板選挙とか
選挙とか、選挙とか、選挙とか。

日本の民主主義をアメリカ人が見たら
きっと「単なる多数決じゃん」って
嗤うだろうな。いやイロコイ族に
嗤われるのか。

02007年007月019日(木)卒業後の服装

2007-07-19 | 休み
「(服装が)学生っぽいね」


昨日、ケーキバイキングに行ったときに
云われた台詞。ああ、確かに。
昨日は特にだったけれども
自分の服装を振り返ってみると
確かに学生っぽい。もっと云えば
子供っぽい。


社会人っぽい服装とか、大人っぽい服装とか
ってどうなんだろう。女子は何か「nonno」とか
でなければ、延長線上にそういう服装が
あるっぽいけれど、男子だと「smart」とかだと
多分「学生」っぽくなっちゃうんだろうな。

なんか、卒業後の進路と同じくらいに
大事なことに思えてきた。服装が切り替わって
それも無意識のうちに、初めて社会人に
大人になれるのかもしれないなぁ。

でもただ単に社会人というくくりだけでは
不十分な気もする。ここで云う大学は
年齢的に22歳くらいのことを想定して
いたけれど年齢のことではないようにも思える。

高校卒業したころあいの年齢でも
そこで就職すれば、服装は社会人っぽくなる。
そんな気がする。

つまりは社会の無言の要請に従って
服装は大人っぽく成ってゆくのかも。
フリーターの人はどんな年齢でも
社会人っぽい服装じゃないなぁ。


ってことはとっとと就職せねば
何を読もうが社会人っぽく成れないのか。
革靴でチノパンなのか、それとも
スラックスなんか、是非知りたいたい。