NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

02007年007月021日(土)意味なし

2007-07-21 | 休み
昔の知識人なんかは巧いことを云うときに
孔子や孟子などの古代中国の知識人の
示唆に富んだ故事を引用したり
アリストテレスみたいな古代ギリシャ哲学者の
言葉を用いたり、ニーチェや現代哲学者の
思索を援用したりするのだろうけれど
知識人でもなんでもない、ただの現代人な
就職浪人の多浪の人間の口からは
JPOPの歌詞からしか何かを云えない。
でも何も云えてなかったりして
本末転倒で、泡沫と化す。


スキマスイッチの「きみがいいなら」では
男女の関係性を巧いこと表現してらっしゃる。

「きみは僕の名前を呼んで 僕はきみの名前を叫ぶ」

「きみ」と「僕」のその関係性が
よくよく表現されていて巧いなぁ。
どんどん相手の存在感が大きくなっちゃって
均衡が取れなくなってしまった
男の駄目さが最高で身につまされて凹む。

シカオちゃんの「黒いシミ」の

「僕らの毎日は少しづつ 川の流れのように
 何も変わらないようでいて ホントはすごいスピードで
 変わってしまう」

って部分がこの歳になって、今の状況にいて
本当の実際として感じられてしまう。
卒業式って昨日だよなぁ。って頭の片隅で
思っていたりするんだもの。

「小学生くらいの男の子 世界のどこまでも
飛んでゆけよ ロックンローラーになれよ
欲望を止めんなよ」

くるりの「男の子と女の子」を聞いたら
子供の頃を思い出して、今の自分を思って
時間の不可逆性の当たり前さに切なさと
悲しさが入り混じってしまって
不意に目の辺りがうずうずし始めてしまった。
ああ、僕はそういう風に云う立場なんだ。

「コンクリートなんか かち割っちまえよ
かち割っちまえよ」

ってのが止めを刺す。そうだ、かち割っちまえ。
コンクリートなんかさ。



やっぱり何も意味なんてないや。