埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

今日のつい一言 2015.7

2015-07-02 12:48:08 | 意見交流
 反原発コメンテーターを「個別撃破」 大西議員、エネ庁幹部に要求(東京新聞7月30日夕刊)
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015073002000254.html
 「マスコミ懲らしめ」論で物議をかもした大西議員がまたもや暴言騒ぎを起こしたらしい。「安保法制」審議の最中とはいえ、「個別撃破」とは意識はもはや戦闘モードだ。確信犯というべきか、ただのお調子者というべきか、ともかくこうした人物が権力の座にあることが最も危険だ。言論を封殺し、反対意見を許さず、「行けるところまで行ってしまえ!」では付き合わされる国民がたまったものではない。(7月30日)

 政府が説明不足であるとか、国民の理解が不十分だ、とかいっているのではない。我々は「不同意」であるといっているのである。(7月20日)

 新国立競技場建設が白紙にもどった。遅きに失したとはいえ、あのままゴリ押しされるよりは遙かにましだ。それにしても、支持率の回復のためとはいえ、つい数日前の「これしかない」などの発言から、みごとに手のひら返しをやってのけたものだ。
 さて、国会での答弁としての発言だったのだから、当然責任をとらなければならないと誰でもが思う。森喜朗東京オリンピック組織委員会会長はインタビューに答えて「責任は文部科学相にある」とし、ラグビーW杯ともからんだ自らの責任は棚上げした。ところが下村文相は、「建設費の高騰については誰に責任があったか、はっきりさせなくてはならない」と発言。えっ?と思ってよくよく話を聞いてみると、やはりご本人には何の責任もないというふうである。
 衆院での「安保法案」強行採決にあたって、自民党議員の一人が、「そのうち国民は忘れてしまう」と発言したと伝えられている。どうやら、政権担当者たる与党の意識は国民に対してその程度の評価であるらしい。だが、誰もがつい2、3日前の発言すら忘れてしまうほどの健忘症であるはずがない。むしろ、その無責任の体系を見破っていくだけだ。(7月18日)

 「安保法制」が野党の抗議や退席の中、衆院特別委で強行採決された。安倍首相本人が認めるとおり、国民の理解が深まるどころか、国会審議がすすめばすすむほど、反対の世論が広まっていく最中であった。これ以上、反対世論が高まらないうちに採決に持ち込んでしまった、というのが本当のところだろう。
  ※
 このところ、戦後史に関連した本を読んでいる。自分が生きた時代、ということでいえば、戦後史という観点は切り離せない。
 戦後史は当然「敗戦後史」であるから本来は「栄光」の歴史ではない。沖縄の翁長知事がしばしば強調する「沖縄は一度たりとも自ら基地を提供したことはない」ということばの重みを、日本国民はしっかりと考えてみる必要がある。
 そうした中で、憲法九条に象徴される「平和国家」建設を国民の大多数が承認し、国づくりの柱としてきたことは誇っていいことだった。
 与党単独による強行採決という場面は、これまでにも何回も見てきた。しかし、今日の採決ほど日本の進路を大きく変えてしまう予感に満ちたものはなかった。それは数少ない自分たちの誇りを捨て去ることを強制されたのといっしょだった。
  ※
 しかし、絶望してはいられないのである。
 まず、このまま世論を押さえ込むことが出来るという政府・与党の目算は外れないだろうか?
 反対運動・抗議行動には、これまで政治的関心に薄いとされて来た若者たちも次々に立ち上がっている。こうした動きは最近になってにわかに起こったものではない。2年前の「特定秘密保護法」のときから、さらにさかのぼれば東日本大震災と福島原発事故に直面したことで、危険な時代の流れを敏感に感じ取ったことによるのではないか。
 「特定秘密保護法」が施行されてしまったから反対運動が終息してしまった、というのではなく、確かな水脈として残り、しかもさらに太く、大きな流れとして成長してきている。
 今、日本が大きく変わっていこうとしているというなら、政府・与党が変えてしまおうとするベクトルとは違った方向に変わっていく力も働きはじめているのではないか? きっと、何度でも立ち上がるしぶとさで。(7月15日)

 与党自民党・公明党が「安保法制」の採決を決めた。60年安保では6月15日が特別な日となった。まだまだ流動的ではあるが、7月15日も日本の戦後史で特別な日として記憶されることになるのかも知れない。
 そんなわけで、焦点は「安保法制」にあるのだが、もうひとつ私が腹が立ってならないのは「国立競技場」問題である。
 つい最近飛び出したのは、「デザインが決まったのは民主党政権時代」という責任転化論である。「政権を取り返して何年になるの?」あるいは「政権をとってからひっくり返したものはどれくらいあるの?」といいたい。すぐにでも思いつくのは、「30年代までに原発ゼロ」方針である。
 「ここまで来たら行くしかない!」つまりは「毒食らわば皿まで!」は、「勢い」のあるうちに「成り行きまかせ」にすすんでしまえ!」という心性のあらわれである。かかる極右冒険主義に、日本はおのが運命をもう一度ゆだねることになるのだろうか!?(7月15日)

 安倍内閣に対する支持率が急落しているという。最大の要因は年金情報の流出問題、さらに2020年東京オリンピックにからんだ国立競技場問題があるのではないかとにらんでいる。
 本当は「安保法制」(戦争法制)のゴリ押し、九電・川内原発の再稼働の強行に、もっともっと国民の目が注がれていかなければならないのだが、年金の先行きや税金の使い道のような日常の問題からの距離が大きすぎるのか、運動の高まりは確かにあるのだが、もうひとつ浸透しきれないでいるような焦りを感じる。
 だが、やすやすと年金情報の流出させてしまったようなセキュリティの甘さで、さらには施工の実現性や予算の捻出が疑問視されている国立競技場の建設計画のような見通しの甘さで、本当に戦争法制を整備したり、原発を再稼働させていいものだろうか?
 昨夜の「報道ステーション」で、コメンテーターの立野氏が「立ち止まってみること」の重要性を訴えていた。
 「いきおい」や「はずみ」でことを運んでしまう日本人の精神構造については、かつて丸山真男がアジア・太平洋戦争に対する反省から厳しく指摘したところだ。
 「戦争法制」、「原発」に限らない。マイナンバー制にしたって、リニア新幹線にしたって、どうしても「立ち止まってみること」が必要だと思うし、それらをすすめようとしている政府・財界にそれが望めないならば、国民が「立ち止まらせる」ために立ち上がることが必要なのではないだろうか。(7月8日)

 自民党の勉強会に端を発した報道威圧問題で、朝日デジタルが西田亮介・立命館大学特別招聘准教授(情報社会論)の話として以下を紹介している。

 政治とメディアの関係性は変化している。自民党は戦後、メディアと協調体制をとって言論を統制しようとしてきたが、最近は露骨な「圧力」が目立ってきた。ネットを介して有権者に直接訴えられる時代になり、2000年代から力を入れてきたマーケティングやPRが選挙などで実を結んできたことが背景にある。いまや発信力に長(た)けた政治のメディア戦略が、メディアの権力監視機能を上回っている。勉強会の発言への批判が燃え広がったのはたまたまで、内容は目新しくない。メディアは政治の戦術を読み解き、環境の変化に対応して取材、報道手法の見直しを進めてほしい。

 ちょうど『日本の反知性主義』(晶文社)を読んでいるところなので話はよくわかる。たくみな情報戦略を立て、国民世論を操作できると考えている。メディアが真実を伝えようとするなら、それは敵視や抑圧の対象でしかない。
 しかし、「何となくよさそう」とか、反対に「狼が来るぞ」とかのムードを作りさえすれば、大衆はたやすく操作できるという発想は、国民に対する軽侮から始まっているのではないか。
 「デマ」宣伝も露骨になっている。沖縄の反基地闘争では「中国共産党員の工作員」が暗躍しているとか、慰霊祭での安倍首相に対するヤジは「動員」によるヤラセだとかいうものである。これも「デマ」の常道で、ときに手を変え品を変えしながら「繰り返し」戦法をとっている。(7月2日)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿