昨日14日の昼頃から「委員会での採決を省略して本会議で採決」という情報が伝えられた。その時点で自民党と民進党との国対委員長会談は決裂、あとは夜討ち朝駆けとでもいうのか、夜を徹した攻防ののち、一気に参院本会議での強行採決に持ち込まれた。
それにしても衆参両院で圧倒的な多数を占め、会期の延長も自由自在な与党・自民党はなぜこれほど乱暴な一手に出たのだろうか? 「加計隠し」とか都議選対策とかいわれているが、そればかりではないように思う。
特定秘密保護法や安保法制のときと同様、今回も「共謀罪」反対の市民運動が繰り広げられた。とくに安保法制反対運動では車道を埋め尽くした国会前集会など、若者たちも含めた大きな運動になった。それらを乗り切ってきた自信ともみえるが、むしろ反対運動をどうしても挫けさせたい、圧倒的な力を見せつけることで無力感というダメージを与えたいということではなかったか、と考えるのだ。
つまり、通常の国会運営のルールを踏みにじって強行された今回の採決は、与党・自民党の強さの表れというより、彼らの危機感や焦燥感の表れではなかったか、ということなのだ。
「共謀罪」の成立を許したのはもちろん反対運動がまだまだ弱かったからであるのは確かだろう。だが、ここで無力感や虚無感にとらわれたらまさに権力側の思うつぼだと思うのである。(6月15日)
YouTubeで先日の金田法相の発言を確かめて見た。質問は事前通告されていたのだから当然といえば当然だが、金田法相の答弁は文書を読み上げながらだった。つまり、「治安維持法は適法」発言は金田法相個人の思想や資質によるものではなく、内閣としての統一見解であるということになる。治安維持法による恐怖政治、社会運動の弾圧、言論封殺、多くの冤罪に対してまったく無反省であるということは、現政権の本質を示しているし、そのような答弁を行っても国民は抵抗しないと踏んでいるのだろう。
※
安倍首相はもともとだったが、冷静と見られていた菅官房長官も、国会答弁や記者会見での激昂ぶりや個人攻撃があからさまになっている。菅官房長官は前川前文部次官を攻撃して記者会見の後、オフレコながら「出会い系バーに50回も100回も通っている」などと付け加えたそうである。その回数を本当に把握していたとしたら、たまたま偶然にも誰かによって目撃された情報が伝わったのではなく、明確なターゲットとして継続的に尾行されたり監視されたりしていたことになる。
「共謀罪」法案が監視社会を生み出すと指摘されているが、監視社会はすでに進行しており、それが合法化され、「共謀」や「準備」の段階でフリーハンドに罪に問うことができるようになると考えるべきなのだろう。(6月6日)
あたかも「共謀罪」法案が審議中の折も折、よくもこのような発言が飛び出したものだ。しかも金田法相は(仮にも)担当大臣ではないか!
2日の衆院法務委員会で戦前の治安維持法への認識を問われ、金田法相は「(同法は)適法に制定され、勾留・拘禁、刑の執行も適法だった」と言い放ち、「損害を賠償すべき理由はなく、謝罪・実態調査も不要だ」と切り捨てた。質問に立った畑野議員(共産党)は1976年に当時の三木首相が「治安維持法については、その時でも批判があり、今日から考えれば,民主憲法のもとではわれわれとしても非常な批判をすべき法律である」と答弁したことを示し、金田法相の異常な態度を追及したという。
「悪法も法なり」という言葉があることはある。治安維持法が戦前の帝国議会で一応の審議をへて制定された、という程度の認識なのだろう。だが、国民よりも国家を優先させる強権政治がもたらした反省から戦後政治が出発したという観点がまったく抜け落ちている。戦前の国家主義と強権主義が最後は国を滅ぼしたことを振り返れば、治安維持法は繰り返し実態を明らかにし、反省し、否定しなければならない。
「共謀罪」審議において答弁不能な単なる無能力者ではなく、きわめて危険な思想の持ち主であることが明らかにされたし、その所属する内閣が最終的にめざす国家像ももはや隠しようがなくなったと言わなければならない。(6月4日)
※付け加えれば、またしてもマスコミはこの重大発言をまともに取り上げようとしない。今日の「オール埼玉」集会のゲストスピーチで伊藤千尋さんは「韓国では国民はマスコミを信じていない。だからネットを通じて自分たちで情報発信をし、100万人集会を実現させたと述べていた。日本も民衆からの情報の発信と普及が必要な社会になっているのではないか?
それにしても衆参両院で圧倒的な多数を占め、会期の延長も自由自在な与党・自民党はなぜこれほど乱暴な一手に出たのだろうか? 「加計隠し」とか都議選対策とかいわれているが、そればかりではないように思う。
特定秘密保護法や安保法制のときと同様、今回も「共謀罪」反対の市民運動が繰り広げられた。とくに安保法制反対運動では車道を埋め尽くした国会前集会など、若者たちも含めた大きな運動になった。それらを乗り切ってきた自信ともみえるが、むしろ反対運動をどうしても挫けさせたい、圧倒的な力を見せつけることで無力感というダメージを与えたいということではなかったか、と考えるのだ。
つまり、通常の国会運営のルールを踏みにじって強行された今回の採決は、与党・自民党の強さの表れというより、彼らの危機感や焦燥感の表れではなかったか、ということなのだ。
「共謀罪」の成立を許したのはもちろん反対運動がまだまだ弱かったからであるのは確かだろう。だが、ここで無力感や虚無感にとらわれたらまさに権力側の思うつぼだと思うのである。(6月15日)
YouTubeで先日の金田法相の発言を確かめて見た。質問は事前通告されていたのだから当然といえば当然だが、金田法相の答弁は文書を読み上げながらだった。つまり、「治安維持法は適法」発言は金田法相個人の思想や資質によるものではなく、内閣としての統一見解であるということになる。治安維持法による恐怖政治、社会運動の弾圧、言論封殺、多くの冤罪に対してまったく無反省であるということは、現政権の本質を示しているし、そのような答弁を行っても国民は抵抗しないと踏んでいるのだろう。
※
安倍首相はもともとだったが、冷静と見られていた菅官房長官も、国会答弁や記者会見での激昂ぶりや個人攻撃があからさまになっている。菅官房長官は前川前文部次官を攻撃して記者会見の後、オフレコながら「出会い系バーに50回も100回も通っている」などと付け加えたそうである。その回数を本当に把握していたとしたら、たまたま偶然にも誰かによって目撃された情報が伝わったのではなく、明確なターゲットとして継続的に尾行されたり監視されたりしていたことになる。
「共謀罪」法案が監視社会を生み出すと指摘されているが、監視社会はすでに進行しており、それが合法化され、「共謀」や「準備」の段階でフリーハンドに罪に問うことができるようになると考えるべきなのだろう。(6月6日)
あたかも「共謀罪」法案が審議中の折も折、よくもこのような発言が飛び出したものだ。しかも金田法相は(仮にも)担当大臣ではないか!
2日の衆院法務委員会で戦前の治安維持法への認識を問われ、金田法相は「(同法は)適法に制定され、勾留・拘禁、刑の執行も適法だった」と言い放ち、「損害を賠償すべき理由はなく、謝罪・実態調査も不要だ」と切り捨てた。質問に立った畑野議員(共産党)は1976年に当時の三木首相が「治安維持法については、その時でも批判があり、今日から考えれば,民主憲法のもとではわれわれとしても非常な批判をすべき法律である」と答弁したことを示し、金田法相の異常な態度を追及したという。
「悪法も法なり」という言葉があることはある。治安維持法が戦前の帝国議会で一応の審議をへて制定された、という程度の認識なのだろう。だが、国民よりも国家を優先させる強権政治がもたらした反省から戦後政治が出発したという観点がまったく抜け落ちている。戦前の国家主義と強権主義が最後は国を滅ぼしたことを振り返れば、治安維持法は繰り返し実態を明らかにし、反省し、否定しなければならない。
「共謀罪」審議において答弁不能な単なる無能力者ではなく、きわめて危険な思想の持ち主であることが明らかにされたし、その所属する内閣が最終的にめざす国家像ももはや隠しようがなくなったと言わなければならない。(6月4日)
※付け加えれば、またしてもマスコミはこの重大発言をまともに取り上げようとしない。今日の「オール埼玉」集会のゲストスピーチで伊藤千尋さんは「韓国では国民はマスコミを信じていない。だからネットを通じて自分たちで情報発信をし、100万人集会を実現させたと述べていた。日本も民衆からの情報の発信と普及が必要な社会になっているのではないか?