埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

つい一言 2017.9

2017-09-05 14:59:55 | 意見交流
 明日にはどんな言い方をするのかは知らないが、「国難突破解散」には空恐ろしさをおぼえた。戦争前夜の「国家総動員」を連想させられた。まさにファシズム(全体主義)は国民の不安と動揺に乗じて生まれてくる。これで自民党が勝利することがあったら、今度こそ日本の民主主義は死ぬ。
 民進党の代表選挙で前原氏が勝ったころから暗雲がたちこめてきた。一度、4党による「野党共闘」にもどるきざしもあったが、今日の希望の党の発足で民進党はいっきに腰砕けになってしまったようだ。
 希望の党の政策発表は来週であるという。あれほど「政策の一致」にこだわっていた民進党であるのに、「希望者は希望の党から立候補させる」とか「合流を模索する」とか対応が早すぎませんか、と突っ込みたくなる。まあ、情報は事前につかんでいたということかも知れないが、「民進党は終わった」と思った人は少なくないのではないだろうか。
 二大政党制は日本では実現しないし、政界再編は自民党が分裂しない限りあり得ないと思って居る。ただ、保守とリベラルがきちんと分離されれば、(それぞれの政党が複数であったとしても連立は可能なのだから)、国民にとって選択を問う体制は築かれるだろう。
 「野党共闘」は市民運動と結びつきながら、やっとここまで積み上げられてきたものだ。民進党の中にも中道からリベラルに近い人たちはいるはずだ。たとえ少数でもその立場でとどまろうという人たちで立て直しをはかり、旗幟を鮮明にしてもらいたい。そのために、これまで内部で足を引っ張ってきた人たちには早々に立ち去ってもらおうではないか。
 「1対1」は実現しないかも知れない。しかし、「1対1対1」を必要以上に恐れるなといいたい。そのうちの「1+1」は保守の分裂なのだから。
 最後に、小池百合子氏の「改革保守」についても一言。私は戦前に戦争体制を押し進めていった岸信介らが「革新」官僚と呼ばれたことを想起した。多少とも期待するという人々は「改革」の中味をよく見てから判断しよう。(9月27日)


 1923(大正12)年の関東大震災直後、折口信夫は帰宅途中にいわゆる自警団に呼び止められ、発音が特異であったため朝鮮人と間違われ、あやうく命を奪われそうになった。後年、その体験を次のように記している。


 大正12年の地震の時、9月4日の夕方ここ(増上寺山門)を通つて、私は下谷・根津の方へむかつた。自警団と称する団体の人々が、刀を抜きそばめて私をとり囲んだ。その表情を忘れない。戦争の時にも思ひ出した。戦争の後にも思ひ出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思つてゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切つてしまふ。あの時代に値(あ)つて以来といふものは、此国の、わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふやうな事が出来なくなつてしまつた。(折口信夫による自歌自註。『日本近代文学大系 46巻 折口信夫集』)


  おん身らは 誰をころしたと思ふ。
   かの尊い 御名において─。
   おそろしい呪文だ。
   万歳 ばんざあい
(初出では)
  おん身らは、誰を殺したと思ふ
   陛下のみ名においてー。
   おそろしい咒文だ。
   陛下万歳 ばあんざあい


 9月1日、墨田区の横網町公園で、関東大震災時に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式典が、市民団体によって開催された。小池百合子都知事は、例年知事が出していた朝鮮人犠牲者への追悼文を拒絶、さらに墨田区の山本亨区長も追悼文を断った。
 小池氏は「民族差別という観点というよりは、災害の被害、さまざまな被害によって亡くなられた方々に対しての慰霊をしていくべき」と拒否の理由を記者会見で説明した。「自然災害と民族差別による被害とを混同してよいのか?」という追及を受けながら、のらりくらりとインタビューをかわし持論は撤回しなかった。
 そんな中、同じ横網町公園で、朝鮮人犠牲者追悼碑の前で行われた追悼式典のほんの10数メートルの地点で、“虐殺否定論”に立つ在特会系市民団体「そよ風」が仕切る集会が行われたという。
 集会は30人ほどの規模であったらしい。大量の警察官が動員され、関係者以外の立ち入りを制限するという中での開催だった。その様子は集会を取材した写真からも知れる。
 集会名は「真実はここにある!関東大震災石原町犠牲者慰霊祭」とあるが、「慰霊祭」とは名目にすぎず、「六千人虐殺は本当か! 日本人の名誉を守ろう!」いう看板を掲げて朝鮮人虐殺を否定し、毎年開かれてきた追悼式典に対抗しようという集会であることは明らかである。
 ゆゆしきは在特会などヘイト運動界隈でおなじみの顔ぶれだけでなく、現役の墨田区議会議員・大瀬康介氏までも参加し、スピーチをおこなったというのである。
 同氏に対する後の取材では、「朝鮮人暴動は流言飛語ではなく事実です」と主張しているという。つまり、デマにまどわされた「虐殺」ではなく、「正当防衛」だという論理?である。
 さすがに多数の朝鮮人殺害の事実までは否定できなかったというところだろうが、「あったこと」を「なかったこと」にするために、「なかったこと」を「あったこと」にしてしまおうというのは反知性主義・歴史修正主義のきわまった形態である。
 しかし、そのことによって「日本人の名誉」を守ったことになるのだろうか? むしろ「恥」をさらしたことになるのではないだろうか? 
 どのような民族、国家にも「負」の歴史はある。その「負」の歴史を真正面から受け止めてこそ、民族の尊厳は守られるのではないだろうか? そうでなければ、きっと同じ歴史を繰り返すことになる。(9月5日)
 http://lite-ra.com/2017/09/post-3426.html
  ※
 久しぶりの「つい一言」である。やはり黙っていてはいけない、と思った。それにしても安倍晋三にせよ、小池百合子にせよ、トップに立つ者の姿勢によって、こんなにも歴史修正主義者や排外主義者の跋扈を許してしまうものなのか? 「平らかな生を楽しむ国びと」の伝統はどこへ行った。