埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

今日のつい一言 2016.11

2016-11-03 10:00:20 | 意見交流
 20日、「駆けつけ警護」の新任務を与えられて陸上自衛隊が南スーダンに派遣された。憲法違反の「安保法制」の発動である。
 その南スーダンに関する資料について見逃せないことがあった。今年6月、標題以外をすべて黒塗りにして開示した「南スーダン国連平和維持活動(PKO)」に関する作成資料を、防衛省は今月になって公開した。
 時期が前後して話がややこしいのだが、この資料は今月派遣された派遣要員の「家族説明資料」(8月1日時点)の「反政府派の活動が活発な地域」とされていたものと同じものなのだが、黒塗りの時も今回公開された資料も、実は表題は「政府派・反政府派の支配地域」なのである。
 これまで稲田防衛相が「反政府勢力が支配を確立した領域はない」としていたことは意図的なウソだったことが明らかになった。これは「戦闘は起こっていない。衝突が起こっているだけだ」と訳の分からない言葉のすり替えをおこなってきた以上の偽り行為だ。
 現地で報道されていることすらも隠そう、小さく見せよう、との偽りを重ねてまで南スーダンへの派遣を強行した。その先に待っているかもしれない事態に日本政府は責任をとれるのだろうか。(11月24日)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-11-23/2016112302_01_1.html
http://www.huffingtonpost.jp/karin-amamiya/south-sudan-self-defense-forces_b_13159584.html

 日本はこんなことが起こる国になってしまったのか!と、驚きと嘆きを禁じ得ない出来事が東京新聞で報道された(11.23朝刊)。
 20日、東京・武蔵野市で天皇制に反対するデモを複数の右翼団体が襲撃し、デモを先導する車のフロントガラスが割られたり、負傷者まで出たというのである。
 これまでも市民団体等の集会やデモに対する妨害活動はあった。近年、エスカレートしてきたな、とは感じていたが、実際の暴力行為にまでいたったのは60年安保以来ではないだろうか?
 だが、驚いたのはそれだけではない。当日は100人ほどのデモ参加者に対して500人ほどの機動隊員がいたという。襲撃した右翼団体は3、40人だったそうだが、機動隊は一応制止はしたものの、逮捕者は一人も出なかったというのである。
 斉藤貴男氏は「警察は本質的には体制の擁護者。(中略)そうだとしても、目の前の犯罪を取り締まらないとは度を越している」と批判している。
 右翼は建前上は尊皇主義者。尊皇主義者といえば、先日「天皇の生前退位」について議論する政府の有識者会議で、桜井よし子ら右派知識人(知識人?)は「反対」を唱えている。つまり、彼らの「尊皇」とは体制(国体)としての天皇制であり、天皇に対する敬意なんて少しも持ち合わせてはいないのだ。各種の世論調査では8~9割の国民が賛成しているというのに。(11月24日)

 つい一言が滞りがちになっているが、書きたいことがなくなったのとは逆に書かなければならないことが山積みになっており、資料もそろえてあるのだが、どこから書いていいかパイプが詰まったような状態になっているのだ。そしてモタモタしているうちに、ホットな話題を心がけながら、あれよあれよという間に時機を逸してしまう、なんてことが続いている。
 現在、経産省の有識者会議ですすめられているという福島原発事故の損害賠償費用や全国の原発の廃炉費用についての議論の中で、新電力の事業者にも負担させようということが検討されているという。具体的には送配電網の使用量に上乗せするというものだが、つまる話は原発を持っていない電力会社の電気料金も値上げをさせて、そこから回そうということなのだ。
 人のいい私は、もし政府が脱原発を決意するならという条件でだが、廃炉はたしかに国民的課題なのだから、一定の負担をしてもいいくらいには思っていた。ただ、そうなってはいないことは明白であり、これが原発の延命につながったり、ましてや「安心して」新増設も可能になるようなことに道を開くなら反対だ、とは考えていた。
 だが、「バックアップ契約」(新電力で何らかのトラブルが起き、電力不足が起きた時に、東電などの地域電力が必要な電力を融通してくれる、という仕組み)との関係なのかどうか分からないが、これを批判する識者の中で「原発を嫌って新電力を選んだのに、原発を使った電力を使わされることになるから反対」というのがあり、にわかに危機感をかき立てられたのである。
 新電力の利用者が増えれば地域電力は原発を稼働させる口実がなくなる、と考えてわが家も新電力に切り換えた。少なくとも電力が不足するから、という理由は成り立たなくなり、残るとすれば安価な電力を供給するためということになる。
 だが、損害賠償費用や廃炉費用を上乗せしなければならないという一点で、原発=安価な電力という神話は崩壊しているはずだ。政府も電力会社も、まずそのことを認めなければならない。そこのところをごまかして、原発による電力はごめんだ、と思っている人々にまで無理矢理使わせようとすることに心の底からの怒りをおぼえる。(11月22日)

また腹を立ててばかりと言われそうだが、やはり書いておきたい。自民党の「2020年以降の経済財政機構小委員会」が「人生百年時代の社会保障へ」という提言を出したそうだ。何が書かれていたかというと、「現行制度では、健康管理をしっかりやってきた方も、そうではなく生活習慣病になってしまった方も、同じ自己負担で治療が受けられる。これでは、自助を促すインセンティブが十分とはいえない」ので、「医療介護版の『ゴールド免許』を作り、自己負担を低く設定することで、自助を支援すべきだ」というようなことらしい。(東京新聞「紙つぶて」11.4)
 健康管理に努力した人が報われるように、といえば聞こえはいいが、紹介してくれた荻上チキ氏がいうとおり、「貧困層や非正規雇用など健康リスクが高い人ほど、健康になる努力や検診にかける経済的・時間的余裕」がないのが現実だ。残業残業で追われて、健康増進のためにジムに通うどころか、病院にも行けない人ほど高負担になるという結果になる。
 予防医学に対する理解を広めることは大切だ。好きで病気になる人はいないのだから、健康への知識と意欲を持つように啓発することはますます重要だろう。だが、自分の健康には自分で責任を持つ、というのは個人の自覚の問題であって、国家が負うべき責任を個人に押しつけてしまおうというのは話が違う。柄谷行人によれば、国家とは「略取-再分配」という交換様式にもとづく社会構成体である。早い話が、税金は取るが国民が必要としても分配はしてやらないよ、ということだ。社会契約論からいっても間違いで、そんなことでは国家そのものの成立要件が突き崩されてしまう。(11月8日)

 昨日、菅官房長官はTPPについて、「国会で野党から『対米追従だ』と言われるが、今回だけは『2人の大統領候補が反対しているのになぜやり急ぐんだ』と、全く逆のことを言われている」と述べたという。
 つまらぬ皮肉だ、それ以上には何も言っていない、と思った。アメリカで大統領候補が反対しているのは選挙向けではないのか。それでいえば、自民党も選挙前にはTPPには反対だと言っていた。
 そして今日、その自民党と公明党・日本維新の会の賛成でTPP法案が衆院特別委員会で可決された。つい先日、「自民党は強行採決など一度も考えたことがない」などと言っていたのに二枚舌もここに到れりだ。
 食の安全や健康保険制度への圧迫のみならず、ISDS条項によって企業・投資家が国家を相手に提訴することが可能になり、莫大な賠償金を請求されるリスクがあるなど、国民の不安はまったく解消されていない。(11月4日)

 今朝の東京新聞「本音のコラム」欄で竹田茂夫氏が、「働き方の未来2035」なる報告書が厚生労働省によって発表されたことを紹介していた。あまりの内容なのでネットで調べてみると、確かに「働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために」懇談会が8月2日に報告書をまとめている。
 「約20年後には、働く者は個人事業主として会社や職場から独立し、世界を相手に自由に能力を発揮できる」ようになるというのだが、竹田氏は「労働者がすべて個人事業主になれば、過労死・過労自殺は自己責任で低賃金は自己決定、偽装請負・偽装派遣は合法となる」ことを指摘し、「空想的資本主義」として厳しく批判している。
 「格差や非正規層の不安定な身分、機械・IT・AIが職を奪う技術的失業」についても触れている。資本主義は「技術革新」によって剰余価値を得ようとする。今日、最も注目されているのはAIである。だが、企業は「技術革新」によって富を増大させることができるかも知れないが、そのことで働く人々が「余剰労働力」とされる未来は明るいといえるのだろうか?
 新自由主義とは「もうけ」を得られそうな資本がいっそう利潤を上げることを可能にするというシステムである。「世界中で一番企業が活躍できる社会」をめざすという安倍政権の本質に国民は気づかなくてはならない。事態は着々と進行している。特にこれからの時代を生きていく若者は怒りの声をあげなくてはならない。(11月3日)
 「自民党の小泉進次郎農林部会長が雇用の流動化を目指した解雇自由化法案を提案している」との次のような記事もこれと関連しているのだろう。
  http://saigaijyouhou.com/blog-entry-13805.html