埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」総会と学習会のお知らせ

2015-06-03 16:53:59 | お知らせ
 今年度の埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」総会と学習会が下記のように開催されます。
 今年は学習会の講師に沖縄から宮城達さん(沖縄県教職員組合那覇支部/沖縄革新懇事務局長)をお招きしました。
 集団的自衛権の行使容認にもとづく戦争法案が急を告げる中、ぜひふるってご参加下さい。



今日のつい一言 2015.6

2015-06-03 16:52:18 | 意見交流
 「安全保障法制をみても、安保環境の変化というのは、中国が怖いから対米追随を強めるんだ、と。つまり、安倍政権は、中国へのおびえから、立憲主義が崩壊するほど切迫した事態があるのだと言っているわけで、そんなのは強迫神経症だ。」(小林よしのり氏)
 25日、安倍首相に近い自民党の若手議員37人が、憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」の初会合を党本部で開いた。集会には百田尚樹氏が招かれ、「沖縄二紙をつぶせ」などと発言し、相変わらずのことながら物議をかもしている。
 同日、自民党内ではリベラル派の「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」も小林よしのり氏を招いて勉強会を開くはずであったが、中止となった。おそらくは何らかの圧力があったのだろう。上の発言は、後者の勉強会の中止を受けて、小林氏が朝日新聞の取材に応えた際の発言だそうだ。
 開かれた方の前者の集会では、「安保法案を批判する報道に関し「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」」との声も上がったという。この、どこに「自由・民主」があるというのだろう。
 先の衆院選・参院選で、国民は右翼政権を選択してしまったと思った方がいい。だが、国民までもが「強迫神経症」に感染してしまったら、日本はもう一度地獄をみることになる。(6月26日)

 何が何でも「安保法制」を成立させようと、国会では会期の大幅延長がはかられようとしている。だが、法案の審議がすすめばすすむほど、破綻を増すばかりのようである。
 「自己保存型の武器使用」などというのは国際的には存在しない概念であり、戦場での戦闘行為はひとしく「武力行使」となるのは子どもにだって分かることだ。
 「後方支援」というのも相当にあやしい。安倍首相の「安全な場所での武器弾薬等の引き渡し」という答弁を聞いていて思い出したことがある。
 2001年の9.11のあと、少なくない学校で沖縄修学旅行が取りやめになった。とくにアメリカがアフガニスタンでの軍事行動を始めてからが顕著になった。その理由は、「アメリカ軍の出撃基地がある沖縄が攻撃されるかも知れない」という、漠然とした不安だった。それはまったく根拠のない風評で終わってしまったのだが、本格的な戦争になればあり得ない話ではない。
 「後方支援」は軍事的には「兵站」を担うことだが、第2次世界大戦からはじまった「戦略爆撃」は兵站線どころか、敵国の軍需工場を潰滅させ、さらには国民の戦闘意欲を奪うことを目的として、各地を焦土と化した。
 ひとたび戦争に参加すれば前線も後方も一体なのだ。「国際平和のため」などといいながら、自ら戦争を引き寄せようとしている。何としても成立を阻止しなくてはならない。(6月22日)

 労働者派遣法「改悪」案が衆院可決した。終身雇用制に問題がなかったとはいわない。しかし、それに代わる労働慣行が確立しているわけでもなく、ましてや産業別労働組合も育っていない日本社会では、「多様な働き方」などというのは単なる美名でしかない。
 キャリアアップどころか、転職のたびに悪条件を押しつけられたり、一生派遣かも知れないというストレスをかかえながらでは、日本社会に歪みが生じないはずがない。
 つまりは「世界一企業が活動しやすい国」づくりのもと、労働者を使い捨てしたいという企業の欲求に従っただけなのだ。「決められる政治」というのは、企業の欲求と国民要求の間に政治が立とうというのではなく、一方通行にしただけの話なのである。
 2020東京オリンピックの国立競技場問題も変! 誰も未来に責任を持とうとしないまま、目先の利益だけを求めて重大なことがらが見切り発車されている。(6月19日)

 東京新聞・本音のコラムの担当者の一人に芥川賞作家の楊逸氏がいる。中国籍であることを意識してか、鎌田慧氏や斎藤美奈子氏と比較すると論調はおとなしく、毒気は少ない。
 だが、6日の「狼が来た」は面白かった。紹介すると、祖父が跡継ぎである孫に家畜を譲られたらどうするか尋ねる。孫は「残飯のみだった豚の飼料を改善し、犬小屋の水漏れを直し、ロバのために暗い製粉場に窓を作る」と答える。すると、祖父はがっかりした顔で嘆く。孫が慌てて、どうすべきかを尋ねると、祖父はこう答える。「狼が来るんだ、と告げるだけでよい。」
 文化大革命の体験者らしく、この先は毛沢東に話が及ぶのだが、もちろん昔話をしたかっただけではないだろう。
  ※
 衆院憲法調査会で憲法学者3人が「安保法制は違憲」との意見表明をしたことに対し、さっそく振り子を逆に戻そうとする動きが起こっている。私が傑作だと感じたのは読売新聞の「人選を誤った」と、高村自民党副総裁の「学者はどうしても字面に拘泥する」だ。この人々にいわせれば、学者はすべからく御用学者に甘んじていればいいのだし、憲法の条文など無視して差し支えないのだといっているようなものだ。これはデカダンスだ。いや、デカダンスなどと高級なものではない。劣化そのものだ。(6月7日)

 国会で審議が始まった「安保法制」(戦争法案)でいう「六つの事態」について、斎藤美奈子氏が「本音のコラム」(東京新聞)で整理してくれている。
 ①武力攻撃発生事態(「おいおい、ほんとに攻撃されちゃったぜ」状態)
 ②武力攻撃切迫事態(「どう考えても攻撃されるにちがいないぞ」状態)
 ③武力攻撃予測事態(「場合によっては攻撃されるかも知れないな」状態)
 従来の政府見解では武力行使(反撃)が許されるのは①の場合だけで、それが「専守防衛」の意味だったが、以上までが個別的自衛権(自分ちの安全)にかかわる「事態」。以下は集団的自衛権(よそんちの安全)に関係する「事態」になる。
 ④重要影響事態(「もしかしたら、わが家もヤバイことになるんじゃないか」状態)
 ⑤存立危機事態(「このままだとわが家は絶対やられてしまうぞ」状態)
⑥国際平和共同対処事態(「うちは安全だけど、まあ付き合いもあるし」状態)
 このうち、④⑥なら戦闘の手伝い(他国軍の後方支援)ができ、⑤なら武器をもって戦闘に参加できる(集団的自衛権の行使)ことになるという。
 ④と⑤の違いは答弁に立った大臣も分からなかったそうだが、「どう考えても」と「もしかしたら」と「場合によって」の区別は正しくつけられるのだろうか?
 はっきりしていることは、①以外は攻撃されていない状態なのであり、それ以外は「自分の側」から戦闘行為を始める、あるいは戦闘に参加する口実になり得るということなのである。(6月3日)