埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!9.17集会

2019-09-18 18:56:42 | 活動報告

 

 17日、「日朝ピョンヤン宣言17周年 朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!日朝国交正常化交渉の再開を!9.17集会」に参加してきた。会場は文京区民センターである。

  「朝鮮半島と日本に非核・平和の確立を!市民連帯行動」実行委員会の名はこの集会で初めて知った。「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」と「2019 3・1独立運動100周年キャンペーン」の呼びかけで3月11日に結成され、6月にも集会とシンポジウムを開催したとのことだ。

  昨年来の日韓関係の悪化、韓国内の進歩派と保守派の対立は日韓という小状況の中で起こっていることであるが、視野を広げてみると東アジアが大きく動き始めていることがわかる。現時点では流動化というのに近いが、いったいこれからどの方向に向かっていくのか、行かなければならないのか考えなくてはならないと思う。しかし、日本のマスコミは韓国バッシングを過激化させるばかりで、むしろ見えるものも見えなくさせているようで苦々しい思いでいる。このところブログで「韓国のこと」を連続で書いているのもそのためだ。集会のことを知ったとき、選ばれたスピーカーから生の話を聞けるように思ったのだ。

  和田春樹氏(日朝国交正常化連絡会顧問)からは「安倍首相と韓国・朝鮮」と題してスピーチがあった。1997年、安倍晋三は中川昭一と立ち上げた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長となって以降、韓国・朝鮮に対する強硬姿勢をとり続けている。河野談話に反対し、教科書から慰安婦記述を除かせた。2006年、総理に就任すると、北朝鮮に対しては拉致三原則を掲げ「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」とした。

  拉致問題の根本的解決が必要であると私も思っている。北は13人拉致し、8人死亡、生存者は日本に返された5人としている。死亡とされた8人の死因について説明されたが、その当時からまるごと信じられるものとは思えなかった。日本側が認定した17人との差も埋まっていない。しかし、数百人とされる特定失踪者のすべてが拉致被害者で、全員が生きていて、全員が即時帰国されなければ国交正常化はあり得ないとすることは正しいのか?

 真実を明らかにするには合同調査委員会のようなものを設置する必要があると思うが、それも国交が回復してのことではないのか?  2002年の「日朝平壌宣言」は国交正常化の糸口となったかも知れない。トランプ政権になってからの米朝会談で日本はすっかりカヤの外に置かれてしまった。もしかすると安倍首相は戦後の東アジア世界の枠組みの変化を望んでいないのではないのか、その永続化を願っているのではないかという和田氏の指摘には説得力があった。

  リ・ビョンフィ氏(朝鮮大学校教員)のスピーチは「朝鮮民主主義人民共和国側から見た朝鮮半島情勢」だった。第2次世界大戦後、二つの朝鮮に分断されてしまった後、南側だけの単独選挙に踏み切ろうとした李承晩に対し、南北総選挙を提案したのは確かに金日成である。しかし、北朝鮮が終始平和統一路線を堅持していたというのは、にわかには信じがたい。朝鮮戦争は国民党軍との内戦に勝利して中華人民共和国を樹立した中国共産党の影響の下に始められたというのが正しいと思う。(南側の韓国でも国内の労働党員らが李承晩政権によって激しく弾圧された歴史も見なくてはならない。)

  ただ、北朝鮮(共和国)側の人の話を直接聞く機会はめったにない。国際・国内情勢に対応しながら、どのような論理で政策が展開されているのか、興味深く聞くことが出来た。金正恩は金正日を継承しているようで微妙な違いがあるなと感じていた。リ氏が紹介した「社会主義強国」論(2016.5第7回党大会)でいう①経済発展に向けてた周辺環境の整備、②東アジア冷戦の解体をめざすという道が正しく進められたらよいだろうと思った。

  休憩の後、「8.14~15ソウル行動」の映像が紹介された。光化門広場に数万人で開かれた「自主・平和・統一大会」の様子は光復節の祝賀ムードもただよう明るい催しだった。夜になってから同じ光化門広場で10万人が参加した安倍糾弾キャンドル集会も決して殺伐としたものではなかった。

  スピーチの最後は韓国からゲストとして招かれたカン・ヘジョン氏(アジアの平和と歴史教育連帯国際協力委員長/正義記憶連帯運営委員)だった。強調されたのは日韓の現状認識のへだたりである。法務部長官に就任したチョ・グク氏が「たまねぎ男」と呼ばれているというのを日本に来て初めて知った、という話からはじまった。(「たまねぎ男」というような呼ばれ方はされていないというのは韓国在住者のブログ「コリ92」にもあった。ネット等ではどうか分からないが、少なくとも一般社会に普及した呼び方ではないようだ)2015年の日韓政府による「慰安婦合意」でも日韓社会の反応には大きなギャップがあったという。

  この20~30年で日本に対する意識は大きく変わりつつあるという。かつては金浦空港を渡日者はいちように日本製の電気釜を持ち帰ったというようなことがあったが、今や韓国製品に対する信頼は絶大であるとのことだ。自国に対する信頼を深めているし、日本と対等な社会であるという認識が広まっている。そうした中で市民、とくに若者層の意識は大きく変化してきている。不買運動も政府に煽られてのことではなく、自分たちが政府の対応を牽引するのだという意志がみられるという。ソウル市中区で自治体がかかげた「NOJAPAN」の幟を即座に撤収させたのも官主導の運動を嫌ったからだという。集団知性ともいうべきものが働いていて、ただ感情を爆発させているというのではなく、その主張や行動は戦略的である。それはキャンドル革命の経験から続いていることで、ソウル市街を埋め尽くしたデモの際にも「ガラス一枚割れなかった」のが自慢であるという。

  集会参加は380人と紹介された。短い時間だったので、もっと聞きたかったという物足りなさは残るが、意義ある集会だったと思う。