皆さん、誕生日のお祝いのメッセージを送っていただきありがとうございました。
昨年70歳を迎えたときは、一里塚をひとつ重ねてしまったような感じでいましたが、71歳となり、また新しい出発のような気持ちでいます。
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それにしても、世界をみるとなかなか平穏でいられません。ロシアはウクライナへ軍事侵攻しました。「核の脅威」をも背景に、軍事力で無差別に人命を奪い、国土を蹂躙する野蛮に怒りが沸騰します。
ウクライナは1991年にソ連から独立し、米英ロは1994年の「ブダペスト覚書」でウクライナの領土の安全と独立国としての主権を保障するとしています。その約束を破っての軍事侵攻です。武力による一国の主権と領土の侵害は国連憲章に基づく世界の秩序を根底から脅かす暴挙です。
一方、国内では、この危機のもとで、一部メディアや日米同盟強化論者から「9条で国は守れるのか」「国連は無力」などとする攻撃が強まっています。さらに、安倍元首相がアメリカの核兵器を自国領土内に配備して共同運用する「核共有」について議論すべきと主張するや、日本維新の会がこれに追随する発言をするなど、非核三原則をもなし崩しにしようとする議論がまかり通ろうとしています。維新の会の松井代表にいたっては、エネルギー危機が到来すれば原発の再稼働も必要との発言までしています。
「侵略的意図をもった隣国」が存在するとき、国を守るためには憲法に自衛隊を書き込むことが必要だ、などとする論法は国民世論にも一定の動揺を与えかねません。
しかし、「力」には「力」をという論理は際限のない軍拡競争を誘発するものであり、とりわけ「核」には「核」をとする核抑止論・核均衡論は核戦争のしきいを限りなく低くするものとして、核兵器廃絶運動の中で克服されてきたものです。
「核共有」ニュークリアシェアリングが現実化すれば日本が核戦争に参加することになります。核戦争に勝者はいないといわれます。通常兵器による戦争においても、かつてアフガニスタンに軍隊を送ったソ連も、21世紀のアメリカも撤退を余儀なくされています。現代において誰も戦争の勝者にはなり得ません。敵にも味方にも後に荒廃が残されるだけです。
日本国憲法の理念こそ真の平和を構築するものであることに確信を持ち、いまこそ九条を守ろうという意見に私は賛成です。ロシアの軍事侵攻にいわば便乗し、平和憲法、脱原発の流れもなし崩しにしようとする「改憲論」を許してはならないと思います。
※FBに誕生日祝いのメッセージをいただき、そのお礼として投稿しました。転載させていただきました。(元西部A高校 Y.S)