埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

今日のつい一言 2015.3

2015-03-02 15:03:44 | 意見交流
 27日、古賀茂明氏がテレビ朝日系「報道ステーション」で、自身が同番組を降板させられることになったいきさつについて、司会の古舘伊知郎氏と生放送中に「バトル」を展開したことが話題になっている。残念ながら、その日の放送は見損なってしまったが、リテラに前後の経過も含めてレポートされている。
 http://lite-ra.com/2015/03/post-980.html
 これによると、チーフプロデューサーも更迭、コメンテーターの惠村氏も降板させられるとのことである。言論抑制のための圧力があったのか、放送局側からの自粛なのかはともかく、政府に対するチェック機能としての言論の灯がまたひとつ消されていく。
 古賀氏が紹介したという、マハトマ・ガンジーの「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。 そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」という言葉に考えさせられた。(3月29日)

 [日本原子力研究開発機構(原子力機構)は、2009年1月に高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)の点検計画を自ら定めておきながら、計画を無視し、原子炉を冷却する配管類など極めて重要な設備の点検を適切に行っていなかったことが25日、分かった。](東京新聞3/26)
    http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015032602000126.html
 冷却材にナトリウムが使われるのが「もんじゅ」の特徴であるが、ナトリウムが漏れた場合には大火災を引き起こす危険性がある。そればかりか、当然核燃料を冷却することが出来なくなる。
 いわば心臓部にかかわる点検を怠っているという、この無神経、無責任体質は何なのだろうか!? 田中委員長をして「原子力やる資格ない」といわしめたこの体たらく。もう「核燃料サイクル」を錦の御旗にしがみつくことは許されない。
 「もんじゅ」の研究開発事業費は、10,028 億円(昭和55年度~平成26年度)とある(日本原子力機構)。これだけあれば、保育園も、老人ホームも建設できる。即刻、「もんじゅ」は計画ごと廃止すべきだ。(3月27日)

 22日、安倍首相は防衛大学校卒業式で訓示し、集団的自衛権の行使容認を踏まえた新たな安全保障法制の整備に強い意欲を示したとのことだ。
 その際、集団的自衛権の行使容認によって戦争に巻き込まれるとの批判には、「不安をあおろうとする無責任な言説だ。そうした批判が荒唐無稽だったことは、この70年の歴史が証明している」と反論したという。
 思わず耳を疑うような発言ではないだろうか? 「荒唐無稽」というのは、日本人避難民を乗せた米軍艦を日本の護衛艦が保護するとか、テロ組織に誘拐された邦人を「自衛隊を派遣して救出する」という繰り言のことをいうのではないだろうか?
 「この70年の歴史が証明している」にいたっては話が逆だ。戦後日本が戦争に巻き込まれなかったのは憲法9条があってこそのこと。その9条を有名無実する安保法制が作られようとしている。(3月23日)

 [自民党の三原じゅん子参院議員(党女性局長)は16日の参院予算委員会の質問で、「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります」と述べた。八紘一宇は「世界を一つの家とする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。](朝日デジタル)
 「ご紹介したい」とは笑わせる。亡霊というべきか、妖怪というべきか、こともあろうに国会でとんでもない言葉が飛び出したものだ。これでは過去の侵略戦争に対する反省も総括もありはしない。どうせ「大東亜戦争」は(「アジアは一つ」の理念のもと)「アジア解放」のための戦争だったと結論づけたいのだろう。
 自民党本部が事前にチェックできていないはずがない。どのような意図をもって、「八紘一宇」の発言を容認したのか? 国民世論を推し量っているのか? さしたる反論もでなければ、いよいよ新しい戦争のための「戦前」準備を本格化させるつもりなのだろう。(3月17日)
 ※「租税回避問題」は別に論ずべきとして、「教育勅語」にも理念的にはいいところもあった程度のノリにも似て、あまりに軽はずみすぎる!

 [冷戦下の1962年、米ソが全面戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機の際、米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄のミサイル部隊に核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で発射が回避されていたことが14日、同部隊の元技師らの証言で分かった。](東京新聞3/15)
 キューバ危機の際に核戦争寸前まで危機が高まったということは知っていたが、こんなにも具体的に沖縄が関係していたとは思いいたらなかった。しかも、攻撃命令が出されていたとは!
 核戦争が始まればもちろん沖縄も報復攻撃の対象となる。いや、沖縄だけでなく日本にある米軍基地はすべて標的とされるだろうし、核戦争にいたる前段階でも攻撃対象となることは明らかだ。
 政府は「集団的自衛権」行使のための法整備を急いでいるが、これが日本の「存立の危機」でなくして何であろうか!?
  ※ 
 [陸上自衛隊が購入したばかりの米国製の高性能無人偵察機が昨年11月、エンジントラブルから緊急着陸を試み、大破していたことが防衛省への取材でわかった。防衛省は公表していなかった。昨年5月にも国産無人機が訓練中に墜落しており、陸自が導入を進めている無人機の不調が相次いでいる。](朝日デジタル)
 ばれない限りは「不都合な真実」は隠しておこうということか!? 日本はすでに軍事機密優先の国に逆戻りしている。え? もしかして、こんなことを取材したり、報道したりしたら「秘密保護法」違反で検挙される時代がすぐそこまで?(3月16日)

 『東洋経済』が「日本は「戦争をできる国」にはなれない」と題して土居丈朗氏(慶大経済学部教授)の論文を掲載している。
  http://toyokeizai.net/articles/-/62639
 論文は、「政府債務は、いまや対GDP比で約230%に達している」ことをあげ、次のように述べる。

 「これほどの債務残高に達した国は、ナポレオン戦争直後のイギリスと、第2次世界大戦直後の日本とイギリスである。
 いずれも、戦費調達のために負った政府債務で膨張した。平時にこれほどの債務を負った国はない。別の言い方をすれば、戦争を始める前からこれほどの債務を負っていた国はない。戦費を賄うためにこれ以上債務を負おうにも、わが国にその余力は残されていない。」

 さらに、「日本に戦争を出来ない」理由として少子高齢化をあげ、戦争が起こっても実戦部隊になる部分が圧倒的に不足していることを指摘している。

 「少子高齢化の影響は、社会保障のみならず、自衛隊の階級構成と年齢構成にも及んでいる。」

 ただ、そのように述べられても私は安心することができない。論文は、

 「国債を日本銀行に引き受けてもらえば戦費は調達できる、といえども、それこそ悪しき戦前の二の舞である。」

 というのだが、昭和初期にそうした戦時経済をもたらした中心人物が安倍首相の祖父岸信介であり、その岸を尊敬して止まない安倍首相が進める政策はこれに酷似しているからだ。
 自衛隊についていえば、年齢構成はともかく、階級構成が士官クラスに膨らんでいるのはもともとの計画にあったと、何かで目にしたことがある。それは将来の徴兵制を見込んでいるということに他ならない。これも、赤紙1枚でいくらでも兵を補充できると考えた戦前の発想法のままなのである。(3月9日)

 [公明党は3日、防衛省の文官である背広組(内局)が制服組(自衛官)を監督する「文官統制」を撤廃する防衛省設置法改正案について了承した。](朝日デジタル)
 「平和の党」公明党に対しては自民党に対するブレーキ役への期待から、同じ与党でも批判は控えてきた。しかし、これはどうしたことだろう。
 安倍内閣が好戦的性格を有するからどのみち「シビリアンコントロール」は機能しないだろうとか、いざ戦争の危機が近づいたとき、かえって「プロ」の判断の方が戦争回避にいたる可能性が高いとか、とってつけたような理由で原理原則を歪めてはならない。
 第一、軍人が「政治的野心」を持たないなどという保証はどこにもなく、戦前史を振り返れば陸軍内の「統制派」と「皇道派」の確執だって、軍がどのような方法で政治を動かすかから起こった対立だった。軍隊という一国家内の最高の暴力装置の実権を持つものが、その力を政治の場面で発揮しようと目論んだとしたら、誰もそれを止めることは出来ない。
 陸海軍が「大臣を出さない」という強硬手段で内閣に揺さぶりをかけたなどということは何度もあったことだし、何といっても陸軍出身の東条英機が首相のときに太平洋戦争は起こったのだ。
 その意味で、防衛大学校を卒業した自衛隊出身の中谷氏が防衛大臣になるということはイレギュラーだった。氏は現在の防衛省設置法に「文官統制」の規定が盛り込まれた理由について「戦時中の軍部暴走の反省からか」と問われ「そういうふうには思わない」と述べた。この時点で問題化しなかったこと自体が異常だと思わなければならない。(3月5日)

 不正献金問題もうやむやにしてはならないが、現下の最大の問題は安保法制だ。人質事件を口実に自衛隊の海外派遣が実現してしまうようなら「歯止め」も何もない。知らぬまに日本が「戦争ができる国」になってしまうのを許してはならない。※URLは東京新聞(3月2日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015030202000177.html