埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

九条の会アピール 集団的自衛権行使に反対

2013-10-10 09:42:50 | お知らせ
 10月7日、九条の会は「集団的自衛権の行使による『戦争をする国』づくりに反対する国民の声を」を発表しました。本文は九条の会のHPからダウンロードできます。
 アピールでは、安倍首相は「集団的自衛権行使に関する憲法解釈を転換し、『戦争をする国』をめざして暴走を開始している」とし、国会の発議や国民投票の手続きを経ずに閣議決定だけで実現しようとしていることは「立憲主義を根本から突き崩す」ものだと批判しています。
 そして、「草の根からの世論で包囲し、この暴走を阻むための行動にたちあがりましょう」と呼びかけています。
 11月16日には全国草の根「九条の会」第5回全国交流・討論集会を開催することも発表されました。(日本教育会館)
 

今日のつい一言 2013.10

2013-10-04 13:05:51 | 意見交流
 東京新聞でも、特定秘密保護法の成立によって、政府や企業の内部告発が処罰の脅威にさらされる問題をとりあげていた。
 例にあげられていたのは防衛省の官製談合問題である(たしか戦闘用ヘリコプターをめぐって富士重工が外され、三菱重工に発注が回った事件と記憶している)。政府の違法行為は特定秘密にあたらないとされているが、このケースでいえば証拠となる仕様書などは防衛上の秘密として特定される可能性は高いという。
 森担当大臣は「公益通報者保護法」があるから内部告発者は守られるというが、同法は民事上の不利な取り扱いを受けないためのルールを定めたもので、刑事罰には該当しないことも指摘されている。
  ※
 特定秘密保護法については新聞各社は連日キャンペーンを張るべきだ、と以前に書いたが、東京新聞はけっこうがんばっている。たぶん同じ系列の中日新聞なんかも奮闘しているのではないだろうか。
(10月31日)

 フリージャーナリストの三宅勝久氏が、特定秘密保護法案について「この法律では、不正に憤る組織内部の良心と言える人が最初のターゲットです。そこに手を差し伸べ、接触を図ろうとするジャーナリストや弁護士、市民が次の標的でしょう」と述べている(「赤旗」10.30)。
 新入隊員が自殺においこまれた海上自衛艦たちかぜ事件を取材した経験では、遺族による「艦内アンケート」の情報公開請求に防衛省は当初「存在しない」と虚偽の説明をしていた。発覚したのは公益通報を黙殺された幹部隊員が遺族側の弁護士に告発したからだそうだ。
 おそらくは自らの進退をかけて内部告発に至ったのだろうが、今度の法案が通れば処罰(禁固10年)の対象になる。国民の「知る権利」のみならず"良心"も閉ざされようとしている。
  ※
 韓国やアメリカの軍隊にもいじめやセクハラが常態化しているという。日本の軍隊だけが清廉潔白なんてあり得ない。「隠してしまえ」「なかったことにしよう」ではなく、きちんと情報公開することが問題解決への第一歩ではないのか。(10月30日)

 特定秘密保護法案とセットになっているのが日本版NSC(国家安全保障会議)の創設だ。2006年、第1次安倍内閣時にすでに創設が提唱されていた。これもアメリカとの政策協議において、米国NSCとの継続的協議を行える組織を設けるように要請されたこと始まりだそうだ。
 今日のニュース番組で、ある解説者が「日本のタテ割り行政を克服できるかどうかがキーだ」と述べていたのを聞いて考えたことがある。
 日本版NSCとは、つまりは戦時中の"大本営"のようなものではないのか。いうなれば戦時となれば戦争指導の大本になる部署であるわけだが、太平洋戦争中の"大本営"ほど情報が活かされなかった機関はない。
 軍部と外務省はおろか、海軍と陸軍との間でさえ情報が共有されず、重大な情報(ソ連の参戦など)が握りつぶされるばかりか、お互いに偽の情報を流しあっていたことが今ごろになって暴露されている。
 "特定秘密保護法"なんて作ってしまったら、会議に集まった閣僚がお互いに腹の探り合いに終始するようなことになるのではないだろうか。歴史はくり返されるのである。
 今日の国会では、小池百合子議員(自民)が「首相の動静が逐一新聞に報道されるのは問題だ」という趣旨の質問をしたとか。早くも"秘密"のベールを厚く、濃くする動きが始まっている。(10月28日)

 特定秘密保護法案が国会に提出された。もともとはアメリカと軍事情報を共有することが目的だが(※)、ひとたび法案が通れば国民に知らせて都合の悪いことは秘密に「特定」され、政権維持の隠れ蓑になることは目に見えている。
 だいたい、これまでだって政府は国民に隠し事をしてはシラを切ってきた。沖縄返還にからむ密約もしかり、福島事故についてだって放射能の流れやメルトダウンのことなど、国民に知らされたのはずいぶん後になってからだった。
 今度は処罰をチラつかせて、秘密そのものに迫ることを牽制し、聖域化(絶対不可侵)することを企んでいるのだろう。国会答弁では「原発情報が秘密になることはない」としているが、実務にあたっている内閣情報調査室は「秘密指定されることはありうる」と政府交渉の場で回答している。
 条文が新聞に公開された。「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人これを強要」(第12条)することがテロリズムの定義だなんてあり得るのだろうか? これでは国会前の集会やデモまでもが処罰の対象になってしまう。その解釈次第で、いくらでも国民の耳をふさぎ、口を封じることが可能になる。
 国会内で野党は少数だ(奮闘している野党もあれば、維新の会のようにむしろ成立をあおっている党派もあるが)。新聞各社には自分たちの存立のためにも連日キャンペーンでも張るくらいの奮闘を期待したいが、それも国民世論の後押しがあってのことだろう。(10月26日)

 ※それだって独メルケル首相の盗聴疑惑の通り、アメリカが自国の国益を超えて同盟国と秘密情報を共有することなんてあり得ない。

 チェルノブイリ原発事故があったのが1986年だからかれこれ30年になる。福島原発事故はチェルノブイリ級(レベル7)といわれるから、私の存命中は収束をみることはないだろうと観念している。(つまり、私は生きている限り福島を憂慮しながら人生を送ることになる。)
 チェルノブイリでは新たな石棺が鉛とセメントで作られていると聞いているが、いまだに半径30km以内は立入禁止である。石棺の中には事故時に亡くなった人たちの遺体がそのままになっているが、取り出すことが出来るようになるのには数世紀かかるといわれている。
 福島原発の場合は事故時の放射性物質の排出量は少なかったが、4基一度であることと海洋への汚染水流失が止まらないことから、チェルノブイリ以上にやっかいだともいう。

 誰でもが考える心配事ととして、それほどの長期間にわたって事故処理のための人員が確保できるのだろうかという問題がある。
 果たして事故後2年半にして早くも人員確保に困難が生じているらしい。原因には①作業中の被曝量が基準を超えてしまい、経験者が作業に従事できなくなっている、②そのため未経験者が雇われるようになったが、パイプをつけ間違えるなどのミスが重なり、かえって放射能漏れと被曝量を多くしている、③危険手当などの支払いが行われないなど労働条件が劣悪で、作業に従事しようという意欲が失われている、④アベノミクスの影響で労働者が他の現場にとられてしまっている、というようなことがあるとのことだ。

 そして、それよりも何よりも、政府自身に収束への「意志」の本気度が試されているように思われる。「原発を推進する自民党議員連盟」(正式名称「電力安定供給推進議員連盟」)は一昨日も会合を開き、原子力規制委員会は審査が厳しすぎると噛みついている。福島はそっちのけだ。

 もしかして、事故を起こしていない原発でも、廃炉にするだけの技術も予算も自信もないから、やむを得ず再稼働をさせようとしているのではないかと勘ぐってしまう。そうでないというなら一刻も早く実効が認められる事故処理の展望を示すべきだろう。
  ※
 特定秘密保護法案が閣議決定された。今朝の東京新聞によると、自民党の総務会では村上誠一郎氏のみが反対の意思表明のために退席したそうだ。
 その村上氏が、「20数年前のスパイ防止法案のときは谷垣法相、大島元副総裁も反対したのに今は官邸に誰も逆らえない」と嘆いていた。谷垣氏といえば、自民党が野党だった時代の総裁である。谷垣氏によって自民党が国民からの信頼を回復したとすれば、選挙前になって一気にそのおもての顔を右派筆頭の安倍氏にすげ替えたところに自民党のまやかしがあるような気がする。(背後にはアメリカの意志も働いていたというのも事実かも知れない。)(10月25日)

 昨日は他の話題が多すぎて触れられなかったが、秘密保護法に関連して森少子化相が担当大臣として「西山事件は処罰対象になる」と答弁したことも見逃せない。
 情報収集の手段に問題があったのは事実としても、スクープされたことがらは国民の安全と利益にとっては重大事である。毎日新聞の記者であった西山氏がすっぱ抜いたのは沖縄返還にともなう土地原状回復費400万ドルを日本政府が肩代わりするという密約であったが、当時は核兵器の持ち込みについても密約がなされたという疑念が濃厚なのである。
 当時の首相は佐藤栄作。佐藤元首相は「核兵器を持たない・作らない・持ち込ませない」の非核三原則でノーベル平和賞を受賞したが、アメリカの原子力空母や原潜が日本に寄港(帰港)するときだけ核兵器を外すかどうかは誰がどう考えても疑問だった。
 (※秘密保護法の制定が日本の国益のためというよりアメリカ側からの強い要請によっているといわれるのも宜なるかななのである。)
 そういえば、安倍首相は岸信介の孫であるというのが自慢のようだったが、佐藤栄作は岸信介の弟である(仲はあまりよくなかったとも聞いているが)。まさか、首相は「積極的平和主義」で自分もノーベル平和賞をねらえるなんて思っていないだろうな。
  ※
 首相の所信表明演説で強調した「意志の力」が、ナチスがかかげた標語とそっくりだとの指摘がある。「国が前面に立つ」としながら原子力災害対策本部の会合を開こうともしないのに、原発事故対策に「意志の力」が示されているとは思えない。
 一方、秘密保護法については与党間で法案が了承され、いよいよ国会に上程されそうだ。(10月24日)

 22日、「原発を推進する自民党議員連盟」(正式名称は「電力安定供給推進議員連盟」だが、実質は原発推進派の集まり)の会合が開かれたそうだ。席上、細田博之幹事長代行は「一日も早く安全性を確認した上で、(原発を)再開する。我々議員連盟は各電力会社を叱咤激励しながらその方向に進んでいければと思う」と語ったという。細田氏は経産省出身、かつ原発立地県である島根県選出ということは以前にも紹介した。原発村の懲りない面々の筆頭格だ。
  ※
 「汚染水対策には国が前面に立つ」と豪語した安倍首相だが、政府が原子力災害対策本部の会合を9月3日以降一度も開いていないことが22日の国会質問で明らかになった。
 茂木経産相は「必要なときに開く」と答弁したが、例の凍土方式の是非の一点だけでもきちんと精査すべきではないのか。
  ※
 政府が原発の再稼働に前のめりになる中、福島原発事故はいよいよ非常事態ともいうべき様相を呈している。
 22日の定例会見で、東電は福島原発沖1kmで放射性セシウム137が1リットルあたり1.6ベクトル検出(検出は2度目で最高値)されたことを明らかにした。
 しかし、昨日の衆院予算委で、安倍首相は「汚染水は完全にブロックされている」と強弁する姿勢を崩していない。(10月23日)

 「茶会」(ティーパーティ)というとなんだか和やかそうだが、アメリカ・共和党内の右翼強硬派の議員たちおよびその支持母体である。
 ティーにはTeaの他に「もう税金はたくさんだ(Taxed Enough Already)」の頭文字でもあるそうで、「小さな政府」をかかげる新自由主義者の連合というところなのだろうが、実態は「他人のためには舌を出すのも嫌だ」という、決して自分たちの権益は手ばなすまいという連中なのではないだろうか。
 アメリカ議会での与野党対立は新年度予算と債務上限引き上げをめぐってであったが、その根源には公的保険制度の実現を阻止しようというティーパーティ側のねらいがある。
 小選挙区制のもとで、支持基盤である保守層の歓心を得るために過激な政策を訴えることでティーパーティは勢力を伸ばしてきた。だが、それはアメリカという国家そのものの権益をそこねるに至っているのではないか。いや、もしデフォルトが起こっていたら国際経済への影響力はリーマンショック以上だという。
 ひるがえって、日本でも同じようなことが起こってはいやしないか。「強い国家」「世界最高の技術」など、勇ましいことばを並べたてて国民の歓心をかい、正常な判断力を麻痺させようとしている輩の跋扈を許してやいないか、ということだ。
 それもこれも、もともと国民が「それでよし」としたことではないかといってしまえばそれまでだが、いまや日本と世界を危うくしているような気がしてならないのである。(10月22日)

 ここへ来て地熱発電所の新設計画がすすんでいるそうだ。来年4月には熊本で出力2000kwの発電所の運転が開始されるという。
 火山国・日本の地熱資源の埋蔵量は世界3位で、原発23基に相当するとされる。太陽光や風力よりも安定的にエネルギーを取り出せる特徴もある。
 確か四国の方だったと思うが、村ぐるみで木材資源の活用の研究をすすめ、チップ化することによって煙の出にくい燃料とすることが実用化されたというニュースが報道されたこともある。石油の高騰で冬の暖房費が跳ね上がっているという北海道で普及できないのだろうか。
 いずれにしても地震国で秋には台風も襲来する日本(福島第一ではまた汚染水漏れがあった)に、原発などというハイリスクで放射性物質を作り続けるしかない技術ではなく、火山の国・森林の国にふさわしい技術を採用したエネルギー政策に舵を切るべきだと思うのである。
 ※
 宮城県出身の菅原文太が宮城県知事選で新人候補の応援にたち、憲法改悪に反対し、「(憲法で定めている人権を)無視し、金持ちを優遇して、弱い人を排除する流れができている」と批判、原発事故についても「放射能対策をすすめるなら、まず原発はやめると言うべきだ」と訴えたとのことである。
 菅原文太は我々が若い頃に一世を風靡した俳優である。同年代には「高倉健より菅原文太!」という女子大生もいた。右翼の野村秋介と交遊があったりということもあったらしいが、最近は耕作放棄地を引き取り、若者を集めて農業に従事するなど、面白い活動をしているなと思っていた。やることに筋が通っている。(10月21日)

 米カルフォルニア州で放射性物質漏れ事故を起こし、廃炉となった原発を所有する電力会社(SCE)が、事故の原因となった部品を納入した三菱重工業に対し、40億ドルの損害賠償を求めて国際仲裁裁判所に申し立てをおこなったそうだ。(その動きがあることが8月ごろにも一部で報道されていたが、請求額も含め正式な申し立てに至ったのだろう。)
 契約上の三菱重工の賠償限度額は1億3700万ドルなのだが、速やかな修理を怠るなどの契約違反があったとして、全損害額の賠償を請求したという。設備メーカーに無制限に賠償を求めるのは異例ということだが、どうなるだろうか。
 気になることが二つ。一つは原発輸出に前のめりになっている政官産はこの状況をどうみているかということ。
 もう一つは事故を起こした福島原発に対する米ゼネラル・エレトリック(GE)の責任である。1958年の日米原子力協定では、アメリカ側の要求で免責条項が盛り込まれたそうだ。だが、2011年の衆院経済産業委員会で日本共産党の吉井議員の質問に対し、外務省の武藤審議官は「88年の現協定では旧協定の免責規定は継続されていない」と答弁している。
 だが、東電も政府もGEに対して責任をただしたり、賠償を請求している様子はみられない。ここでもアメリカに弱い日本が浮き彫りにされている。(10月20日)

 総合資源エネルギー調査会・基本政策分科会での各委員の発言が「赤旗」(10/18)に紹介されていた。
 「原発の新増設が可能になるようなメッセージを『基本計画』に入れ込むべきだ」「日本が安全を輸出するという視点を明確にし、官民一体となった体制整備が必要」(豊田正和・日本エネルギー経済研究所理事長)。
 「原子力は今後も基幹エネルギーという立場に立つべきだ」「原発の割合を25%、寿命を60年に延ばすべき」(山名・京大原子炉実験所元教授)。
 斎藤環ではないが、「合理性を越えた病的なもの」を感じる。
 小泉元首相が、「(再稼働できるのは)せいぜい数基だろう。それなら代替エネルギーでできる」(10/16木更津市での講演)と指摘したとのことだが、よっぽど理性的だ。
 名誉のために紹介しておけば、分科会では「福島の事故に対する反省がみじんも感じられない」(辰巳菊子・日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会常任顧問)というような意見も出されたということだが、「基本計画」が策定されるときにはどうなるだろうか。もともと経産省がまとめた論点整理を審議したものだ。
 ※
 沖縄・竹富村の教科書問題も気になる。竹富村を含む八重山地方の採択地区協議会では育鵬社(「新しい教科書をつくる会から分裂した教科書改善の会の版元、つくる会を"左翼的"と批判しているという)の教科書を選定したが、竹富村では沖縄問題の扱いなどから東京書籍版を採用した。地方教育行政法は各市町村教委に採択権限があるとしているので問題はないはずなのだが、教科書無償措置法に違反しているとして文科相が沖縄県教委に是正措置を指示したそうだ。しかし、竹富村では無償にならないので民間の寄付で教科書を購入している。それでもなお、文科省は無償措置法を改正しても地区内での統一採択が優先することを明確にする方針だという。(10月19日)

 ずいぶん以前に、第2次世界大戦中の日本の軍部がテニアン島に秘密兵器(原爆)が搬入されたことや、ヤルタ会談にもとづいてソ連が参戦することを暗号解読等で知らされながら、「自分たちに都合の悪い情報は見なかったことにする」とばかりにこれを握りつぶしていたことを話題にした。

 やっと15日から国会が始まったが、安倍首相の所信表明演説を聞いていて、そのことを思い出した。政権にとって都合のいいデータが並べられ、現実を正しく伝える数値は示されていない。

 昨年末から有効求人倍率が0.83から0.95に改善されたとしているが、非正規雇用は63万人増の1906万人になり、過去最多となっていることは無視されている。
 経済成長戦略によって大企業が収益をあげれば、やがては賃金アップや雇用の拡大につながるという事例を示したいのだろうが、そのためのデータとしては恣意的すぎる。

 汚染水問題についてはもっと深刻だ。代表質問での答弁では、「汚染水は0.3km以内に制御されている」と答えているが、沖合のメバル類で1キロあたり500ベクレルの放射性セシウムが検出されている現実がある。こうなるとデータの取り上げ方の問題というより、データの改ざん、もっとはっきり言うならばウソである。

 「ものを知らない」というより「恥を知らない」と思って来たが、ここへ来て急に心配になってきた。その心配事とは、もしかしてこれらの言説は「国民を欺こう」としてというより、「自らを欺く」ためなのではないか、ということである。そう思いついて演説の様子をTVで見ていると、何やら自己陶酔的とでもいうのか、「ああ、この人は自分が垂れ流すことばに酔っているな」と感じられてしかたがないときがある。

 いや、もっと心配なことがある。そのことばの心地よさに、国民の側が「だまされたがって」いやしないかということだ。後になって、「どうせなら欺し続けて欲しかった」などということになってからでは遅いのである。
 秘密保護法や国民投票法など、一度飲み込んでしまったら命取りになりかねない、毒に満ちた法案が成立を待って着々と準備されている。(10月18日)

 10日、教育委員会制度の見直しを検討中の中教審分科会は、教育委員会が持っている権限を首長に移す案を含む中間まとめ案を了承したとのことだ。
 本来、教育委員会は教育の政治的中立を確保するため、行政府から独立した機関として置かれた。戦後の教育の民主化の一環として導入された。しかし、いわゆる逆コースの中で、教育委員の公選制から任命制に変更された時点で空洞化されていってしまった。
 それは以前にも書いたことである。現行制度は、いわば残されたイチジクの葉であるが、その最後の一葉でさえ邪魔でしかたがないということなのだろうか。
 戦後レジームの終焉は第1次安倍内閣がかかげた目標であったが、完遂できずに終わった怨念からか、矢継ぎ早に放たれるあの手この手には執念めいたものすら感じる。
 だが、イチジクの葉を取っぱらってしまえば、明らかになるのはその正体である。「いじめ問題に迅速に対応するため」などと、その正体を眩ますために様々ないいわけもしているようだが、どこまで国民を欺くことができるだろうか。年末までには「改革案」を一本化した答申をめざすそうである。(10月14日)

 東電の柏崎刈羽原発の再稼働申請に対して政府内で異論が出ているという。原子力規制委員会の田中委員長は「福島の状況が国民が納得できる程度の落ち着きがないうちに、柏崎刈羽をどうするかは慎重に検討する」と答弁したそうだ。
 雨が降るたびに汚染水漏れを起こしている現状からすれば当然といえる。そしてまた、いかなる政権も国民世論を無視しては政権を維持できないということだろう。「民、信なくば立たず」とは孔子も明言していたことだ。
 だからこそ、政権はマスコミに圧力をかけてでも世論を誘導しようとするのだ。これに負けないためには国民は暗愚ではいられないし、気骨あるジャーナリストは支持してやらなければならないし、自ら意思表示する必要がある。(10月11日)
 PS
 昨日の「首相専用辞典」の続きが必要なようだ。「日本は水銀による被害を克服した」(水銀に関する水俣条約外交会議開会式9日)は、「水俣病は終わったことにして幕引きにする」だろう。

 全国紙に比べると地方紙のほうがまだしも気骨を残しているようだ。昨日、政治家のウソについて話題にしたが、斉藤美奈子が東京新聞に面白いことを書いている(10月9日付)。
 安倍政権が打ち出す日本語には専用の「辞典」が必要だとして、「コントロールされている」は「制御不可能」、「世界一ビジネスのしやすい環境」は「労働者と消費者を食い物にしやすい環境」といった方がわかりやすいという。「雇用特区=首切り番外地」「女性が輝く未来=女性を使い倒す未来」と、翻訳(?)をはじめたら止まらない。
 「積極的平和主義」は何だろう、という問題提起には笑ってばかりはいられない。それと、政治家のウソもだが、TPPをめぐっては「二枚舌」も際立っている。(10月10日)

 マスコミが権力の味方であってはならないのではないか、と考えて来た。だが、権力とは国民を統治し、支配しようとするものであるならば、世論形成に重大な影響力を発揮するマスコミを掌握しようとしないはずはない。
 あらためてこんなことを考えたのは、先日我が家のポストに見本紙を投函していった、日本最大手の新聞の一面を見たからである。
 そこには「子育て支援に3000億円」「社会保障 消費増税で充実策」と4段抜きの見出しがあった。つまり、あたかもそれによって社会保障の充実がはかられるという、消費税率の引き上げを支持する姿勢を鮮明にしたものだった。
 だが、年金が切り下げられたり、介護保険料が値上がりしたり、介護認定のしきいを高くしたりは無視され、実態を反映していないばかりか、一方で法人税の引き下げなど大企業優遇策が進行していることにはふれられていない。
 消費税増税には赤字国債の解消という目的もあったはずなのだが、来年度予算の策定に向けては、各省庁からの概算要求が例年にまして膨れあがっているという。それも国民生活に結びつくものであるならまだしもなのだが、内実をみるとここでも金の流れ着く先は目に見えている。

 つまるところ、読者の側がそうしたマスコミの特性や限界を承知したうえで読み取っていくしかないということなのだろう。情報とは無価値ではなく、方向性を持つものなのだ。
 せめてマスコミには、誤った情報を流したり、データを改ざんしたりしないという良心を守ってもらいたいと思うのだが、その発信者である政治家自身がウソをついている場合はどうにもならない。(10月9日)
 (速報)
 大阪市議会で議長不信任決議が出され紛糾しているという。議長の見延映夫氏(大阪維新の会)が自らの政治資金パーティーに市立高校の吹奏楽部を出演させたのが発端だそうだ。これでは「教育正常化」が聞いてあきれる。事実が発覚した時点で、退任はおろか議員辞職が当然だと思うが、橋下市および本人は居直るつもりでいるらしい。(10月9日)

 「はだしのゲン」を英訳したアラン・グリースンさん(62、東京在住)による生徒への講演を4日に予定していた杉並区立井荻中学校が、前日になって中止したということがあったそうだ。
 校長は取材には「都教委や区教委には相談していない。」と答えているそうだが本当だろうか? 講演依頼は2ヶ月前で、校長は「『はだしのゲン』の英訳を通して伝えたかったこと」を話してほしいと要望していたとのことだ。
 いつだったか、大江健三郎の学校講演が急遽中止になったことを連想する。都教委・区教委が直接ではなくとも、どこかしらかの圧力があったとしか考えられない。
 講演は「いのちの教育」と題しておこなわれることになっていたとのこと。現場の真摯なとりくみが圧力でつぶされていく。(10月5日)

 日雇い派遣禁止を抜本見直し、規制改革会議が提案へ(4日)。また雇用のかたちが一つ崩れていく。「限られた期間・時間だけ働きたいと考える」労働者のためならすでにパートタイムがある。本音は「短期間に労働者の需要が集中する業務もある」から、必要なときだけ労働力を商品として使い捨てにしたいだけだろう。昔の口入れ屋や手配師の暗躍を政府が奨励しようとしているようなものだ。(10月4日)