埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

つい一言 2017.5

2017-05-29 20:43:48 | 意見交流
 その昔、末川博の『法学入門』を読んでいて、法の持つ「二面性」という説明があったのが記憶に残っている。
 「法治主義」というように、法律が国家を統治する(=国民を支配する)ための道具であることは確かだが、それと同時に法律に定められた範囲を超えて権力を濫用してはならないとする規定でもあるというのだ。「法の下の支配」というのは国家の支配原理であるとともに、国民を保護するものでもある、法律を学ぶ意義もそこにある、というような論旨だったと思う。
 まるで大学の教養課程にあったようなことをなぜことさらにするのか? それは「共謀罪」が衆院を通過し、まさに産院での審議がはじまろうとしているからだ。
 自民党の石破氏がテレビのインタビューに答え、「どのような法律も運用によって善くも悪くも働く」「法律を運用するのは政治家である。その政治家を選ぶのは主権者たる国民である。国民を害するような法律の運用をする政治家は選挙で落選させればよいのである。」というようなことを述べていた。
 国会で野党に追及されるとたちまち逆上気味になる安倍氏と比較すると、いかにも理性的で理論的にみえる石破氏らしくはある。
 しかし、聞いていて私はずいぶん危険な思想だと感じた。政権についた者は(政権の安定のために)これを維持しようとつとめるだろうし、そのためには法律を有利に働くように運用しようとするのは当然のことだ。したがって法律は運用者によってどうとでも運用されるような曖昧さを極力排除する必要があるのだ。
 その点、「共謀罪」ほど為政者に対してフリーハンドに権力を与えてしまう法律はない。内心の自由をおびやかす、密告を奨励する、監視社会になる、冤罪の温床になる、それだけで国民を萎縮させるなど、問題点はさまざまに指摘されているが、権力の恣意的な行使の範囲をいっきょに拡大してしまうことが最大の問題点だと私は考えている。
 政府は「計画」だけでは罪にならない、具体的な「準備行為」がなければならないという。だが、例としてあげられたのは「資金を得るために銀行から預金を引き出した」というようなことである。ATMから預金をおろしている人は日々何万何千人といることだろう。調査機関が眼をつければ、そのうちの特定の誰かを恣意的に、フリーハンドに捕らえることが可能になってしまうのである。
 私はこれらがまったくの杞憂であるとは思わない。戦前の治安維持法下、基地のそばで写生をしていた(今だったらカメラを持っていた)、児童に綴り方を書かせた、というだけで捕らえられ、拷問を受け、少なからぬ人々が死に至らしめられたのはつい70年前のことなのだ。(5月29日)


共謀罪法案廃案へ!5.12議員会館前集会

2017-05-12 21:39:11 | 活動報告

 
 5月3日の憲法集会には出られなかった。「共謀罪」が風雲急を告げる中、歯がゆい思いでいたのだが、12日には時間が取れそうだったので総がかり行動実行委員会のHPを閲覧すると、あたかも国会連続行動の最中で、この日も昼から行動が計画されていた。したがって私は途中参加ということになるが、18:30からの議員会館前集会に参加してきた。
 それにしても国会審議をチェックしていると、答弁不能で無能な人物をわざと法務大臣にすえたのではないかと思えるくらい、審議が深められる様子はない。たぶん、「一般人は対象にならない」(ただし、突然の変化によって対象となる)という検証されない答弁で押し切り、30時間で討論打ち切り、維新の会の修正で合意できたので採決強行というねらいではないだろうか?
 つい最近、首相は「九条改悪」を公然と目標にかかげた。1、2項は変えず、3項に「自衛隊」を明記する、という、これまで「国防軍」を創設するとしていた自民党草案とも整合性のない、思いつきのような発言だった。しかし、国会でろくな審議もせずに「共謀罪」を強行採決しても、「九条改悪」を唱えても、国民はたいして騒ぎ立てることもないだろうとはずいぶんと甘くみられたものだ。
 「共謀罪」は戦前の治安維持法の復活と危ぶまれている。その先に「九条改悪」が待っているとすれば、戦前回帰というのも杞憂ではない。来週がもっとも危険であるとの情勢説明があった。下は集会で配られた行動予定表である。まだ身動きできるうちに反対の声をあげていきたい。



※個人としてすべての行動には参加できません。参加された方は記事にして投稿して下さるとありがたいです。管理人のアドレスをご存じなら直接送っていただいた方がてっとり早いです。写真はjpegで添付ファイルにして下さい。当面は5月16日の日比谷野音集会が重要です。