埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

【投稿】 靖国神社参拝と安倍内閣の歴史認識

2013-11-01 18:31:38 | 意見交流
 2013年4月21日、安倍首相は靖国神社春季例大祭に際して神社に真榊を奉納、麻生副総理はじめ国会議員166人が参拝しました。8月15日には新藤総務大臣はじめ三閣僚が靖国神社に参拝し、安倍首相も玉串料を代理人に納めさせ、「本日は参拝できないことをおわびする」との言伝を靖国神社側に伝えました。実際には参拝しませんでしたが、安倍首相の気持ちは強く参拝を望んでいたのです。10月18日、秋季例大祭では新藤総務大臣はじめ国会議員157人も参拝しています。アジア諸国から靖国参拝に対する批判の声があがると、安倍首相は「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前であり、わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」(4月24日参院予算委員会)と、まるで喧嘩腰の発言さえしました。
 そもそも靖国神社は戦争の犠牲者を追悼するような施設では全くありません。天皇ために命を落とすことを最高の名誉とし、「英霊」として顕彰する施設です。哲学者の高橋哲哉氏(東京大学)は靖国の本質は「戦死の悲しみを喜びに、不幸を幸福に逆転させる感情の錬金術」にあると指摘しています。だからこそ、靖国神社は軍が管轄するきわめて特殊な施設だったのであり、そこには過去の日本の侵略戦争を美化し、正義のたたかいだったと宣伝する「遊就館」なる戦争博物館も併設されているのです。まさに、侵略戦争に国民を兵士として動員していく精神的な支えになっていた神社なのです。
 一般的な戦争の犠牲者を追悼し、仏教で言えば供養するといった施設ではないのです。参拝した大臣らは「個人の心の自由の問題」だとして、信教の自由の問題にすりかえようとします。過去の戦争の犠牲者を個人的に一人静かに追悼するのでなく、国のために命を落とした「英霊」として讃え、集団で示威的に参拝するということは、どう見ても一定の歴史認識に支えられた意図的な行為です。政治家が靖国神社に参拝するということは、個人の心の問題をはるかに越えた政治的行為であり、過去の日本の侵略戦争を肯定する立場に立つという政治的パフォーマンスに他なりません。

(東部K高校 M.S)



今日のつい一言  2013.11

2013-11-01 18:29:35 | 意見交流
 自民党の石破茂幹事長は29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と指摘した。(朝日デジタル)
 おっと、早くもデモとテロとの同一視か!? 「主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう」との書き込みもあったということだが、特定秘密保護法案の強行採決は「世論の共感」を得ているとでもいうのだろうか? あまりに性急な右傾化への危惧や抗議の行動を敵視し、耳を傾けようとしないどころか、テロ呼ばわりするところにことの本質が現れている。(11月30日)

【速報】中国空軍は29日夜、同軍の主力戦闘機がこの日午前、中国が東シナ海に設定した防空識別圏で、空域内を飛行した自衛隊機や米軍機などに緊急発進(スクランブル)をかけたと発表した。( 朝日デジタル)
 〈力〉対〈力〉はやはりエスカレートするしかない。様々な外交的努力も無に帰する。なぜ、今、この空域に軍用機が頻繁に飛来する必要があるのか? 偶発的にでも何事も起こらないことを祈るばかりだ。どこかで、だれかが冷静にならなければ。(11月29日)

 元外務省官僚だった佐藤勝氏が今朝の東京新聞に書いている。中国が防空識別圏を発表したのは23日だが、外務省事務次官が25日に中国駐日大使と会談し、「今回の措置は民間機を含めて飛行の自由を妨げるものではない」との回答を引き出したそうだ。(これは両者が個人的にも信頼関係を築いて来たからだと佐藤氏は評価している。)23日以降、飛行計画書を提出していた航空会社各社は27日以降提出を止めた。
 TVなどでの報道だけみていると、中国側が変更要求を拒否したとか、B52に続いて日本の航空自衛隊機も指定された空域を飛行したとか、力での対決姿勢ばかりが目立つが、衝突を回避し、平和を維持するための努力はいたるところでなされているし、またそうでなければならないと思うのである。
(昨夜の報道ステーションでは、西太平洋で軍事演習を展開しているアメリカ軍が、一方で中国軍部と接触したり情報交換をしたりもしていると報じていた。もっとも中国もほぼ同じ海域で軍事演習中で、スクランブル発進の訓練を実施しているという。皆それぞれにしたたかなのだ。)
 国会答弁では強面の発言ばかりが目立つが、力による対決しかないのだと国民に思わせようとしているのだとしたらそれこそ扇動ではないのか。それとも、答弁している本人もそれしかないと思い込んでいるとしたら、相当に硬直した精神であるとしか言いようがないだろう。(11月29日)

 中国が尖閣諸島の上空に防空識別圏を設定したことで、また東アジア地域での緊張が高まっている。だから、いざというときに頼りになる(大いに疑問だが)アメリカとの同盟関係を緊密にするために特定秘密保護法が必要なのだと推進派はいうかも知れない。
 だが、かつての米ソの軍拡競争を目の当たりにしてきた者からすると、たとえ抑止力といった名目であったとしても、軍事力によって優位に立とうとする競争はエスカレートし出すと止まるところを知らないというのが歴史の教訓である。今回の中国の姿勢は重大な挑発行為だと私は思うが、尖閣諸島の問題でいえば国有化(発端は都で買い上げる云々)を打ち出した日本側が最初に挑発したともいえるのである。
 中国は対外的な緊張を作り出すことで国内矛盾を棚上げしようとしているのだとの指摘がある。とすれば、特定秘密保護法案をはじめとする日本の右傾化がその絶好の口実を与えているという側面も見逃せまい。
(PS.だいたい中国もB52に往復されてスクランブルもかけられないなら防衛識別圏の設定などしなければよかったのだ。民間機ではなく軍用機、それも戦略爆撃機だぜ。これをみても中国のターゲットは日本にあることは明らかになった。そして。アメリカがB52を飛行させたのは日本のためだなんて勘違いしてはいけない。アメリカは日本との同盟関係があろうとなかろうと、太平洋における支配権という国益のもとに行動しているのだ。)(11月28日)

 教育基本法が改悪されたのは第1次安倍内閣のときだった。第2次安倍内閣になって、その毒をまき散らし始めている。「愛国心」条項を盾に、教科書採択に干渉し、「はだしのゲン」を学校から追放しようとしている。教育委員会制度や教科書検定制度にまで手をのばそうとするなど、戦後民主教育の全面的な解体にまでエスカレートしようとしている。

 特定秘密保護法はどのような毒をまき散らすのだろうか。昨夜の強行採決から一夜明けて、やはりことの重大さを痛感する。言論や報道が規制されるばかりでなく、多くの人々が指摘するように国民監視の社会が到来するのではないか。
 ビックデータと監視カメラの時代である。教育基本法が改悪された後も民主党政権のときはそれほどの影響を及ぼすことはなかったのだから、法律があっても運用によって右にも左にもいくことは確かだ。だからといって、「このような内閣は打倒しなければならない!」なんてブログやfacebookに書き込んだら、たちまち検索キーワードに引っかかって「教唆罪」、「みんなで力を合わせよう!」なんて書いたら「扇動罪」、イイネなんてボタンを押したら「共謀罪」なんていう事態になるのも笑い話でなくなるかも知れない。

 法案は参院に移った。国会討論を通して反対の世論がいっそう高まるとか、推進派から大量の造反者が出るとか、せめて強行採決した側に痛打を浴びせるような議論がおこなわれて欲しい。(11月27日)

 特定秘密保護法案が衆議院で強行採決された。自民党・与党にしてみれば自ら定めた日程どおりということなのだろうが、「成立後に検討する」としか答弁できなかったくらい様々な欠陥が指摘されながら採決先行となったのは、いかにも国会内での数に頼んだ暴挙であった。
 なぜそんなにも強引でなければならなかったのか、それにはそれなりの理由があるのだろう。それが国民生活にどのように影響してくるのか、早晩明らかになるのだろう。
 強行採決されても国民はすぐ忘れてしまうだろうくらいに考えてのことかも知れないが、やがて国民生活との矛盾を激しく露呈する事態がやってくるに違いない。
 それは言論や報道の自由の規制であったり、国家にとっての「公益と公の秩序」が優先され、国民の人権や自由、ときによっては生命までもがないがしろにされたり、あるいはアメリカと一体となった戦争に何らかのかたちで参加し、自国民あるいは他国民の血が流されたりということかも知れない。

 だいぶ外堀が埋められてきた。大阪冬の陣・夏の陣をみても、まだ外堀と思ってはいけないのであって、失ったものがどれくらい大きいかやがて思い知るときが来るのだろう。
 本丸は憲法改悪だろうが、これからはかなり本気にならないと危ういだろう。。一気に攻め込んでくる気にさせるかどうかは、今度の強行採決にどれくらい抗議できるか、国民が受けた侮辱ともども、怒りをどのくらい記憶にとどめておけるかにかかっていると思う。(11月26日)

 特定秘密保護法案について、安倍政権は本日26日に与党とみんなの党だけで衆院国家安全保障特別委員会と本会議で採決を強行する方針を固めたとのことだ。
 "強行"というのは、修正法案に参加しながら党内の事情からか今日の採決をしぶっていた維新の賛成を得ずしてとか、たった2週間しか審議期間がなかったのに、というだけではない。
 国内外の、報道、法律、文化など様々な分野の人たちの反対に耳を傾けようともしないことをとらえて強行というのだ。だが、数の力で押し切ったからといって、国民との間の根本的矛盾が解消されるはずもない。(11月26日)

 昨日、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の問題について考えていたら、「ダモクレスの剣」ということばを思い出した。
 豪華な宴の招待を受けたダモクレスがふと自分の席上を見上げると、天井から今にも切れそうな細い糸で剣が吊るされていたというもので、下記のような故ケネディ大統領の国連演説(1961年)で有名になった。
 「地球のすべての住人は、いずれこの星が居住に適さなくなってしまう可能性に思いをはせるべきであろう。老若男女あらゆる人が、核というダモクレスの剣の下で暮らしている。世にもか細い糸でつるされたその剣は、事故か誤算か狂気により、いつ切れても不思議はないのだ。」
 高レベル放射性廃棄物の処理については、ロケットに詰め込んで月に捨ててしまう、という案も検討されたそうだ。もし打ち上げに失敗したら、という事態を想定して却下されたということだが、実行されていたとしたらまさしく「ダモクレスの剣」の下に人類が置かれることになっただろう。
 だが、本当は地表にあろうと地下にあろうと本質は変わらない。ときあたかもケネディ大統領の娘が駐日大使としてやってきた。1961年の国会演説は核兵器に関するものだったが、核を扱うことがいかに人類と地球を危うくするか冷静に考えるべきときなのではないだろうか。(11月24日)

 経産省作業部会は高レベル放射性廃棄物の最終処分場選びについて「国が主導」する方針を表明したとのことだ(20日)。
 だが、問題は「最終処分場」が見つかるかどうかなのだろうか? 2014年中という目標もかかげられたというが、政治的圧力をかけるなり、金にものを言わせるなどして自治体にYesと言わせたとして、問題が解決したといえるのだろうか? 地震・火山活動・津波・台風・山崩れに加え、「地面を300mも掘ったら地下水が出ます。ややもしたら温泉が出る」(小泉元首相)という日本で、「科学的にみた適地」などあり得るはずがない。
 最終処分場をめぐっての批判がよほど応えたのか、最近は「地表保存」を言い出す向きもあらわれた。「乾式キャスク貯蔵」のことを言っているのだろうが、一時しのぎでしかないことは明らかだ。先の地震等の問題はまったく解決されていないし、いったいどんなキャスク(容器)に収めたら数千年・数万年間にわたる保管ができるというのだろうか?
 (確か日本のような再処理の方法をとっている限り、「乾式キャスク貯蔵」は出来ないと聞いたことがあるが、これはもう一度調べてから。)(11月23日)

 電源三法が制定されたのは1974年のことだ。かれこれ40年の間に、日本中がこれほど原発マネーでがんじがらめになる元凶となるとは予見もし得なかった。あたかも第1次オイルショック直後のことで、大学卒業の年に当たっていた私などは翌年からの就職をどうしようかが一番の関心事で、恥ずかしながらそのような法律が審議されていたことさえ意識になかった。
 今度の特定秘密保護法が通過したら、すぐにでも国民生活に影響してくるのか、それともじわじわと国民の自由や人権をがんじがらめにしてくるのか、それは分からない。ただ、電源三法が制定されたときにもその危険性を指摘し得た人はいただろうが、それとは比較にならないほど特定秘密保護法案については広範な人々の批判や反対の声が広がっているのは確かなことだ。
 だからこそ政権党はその補完勢力も引き入れながら成立を急いでいるのだろうが、果たして政権党・補完勢力と国民とのどちらの"命取り"になるのであろうか。

 ※電源三法について調べてみると、政策として原発を推進してきたわけだからやはり巨額のマネーが集中しているが、交付金は水力発電や地熱発電も対象になっている。
 既得権にしがみつく勢力の温存をゆるすのか、今日の事態を方針転換(チェンジ)の機会ととらえるのか、こちらも正念場である。国民の生命、安全、幸福を基準に考えれば自ずから答は出ていると思うのである。(11月22日)

 そうか、確かに日本版NSCと特定秘密保護法案はアメリカとの軍事一体化が目的なんだな。昨日のことだったが、普天間基地の辺野古への移転にだって強気に出るはずだ。
 でも、特定秘密保護法案が成立したら、今度は国民管理の体制と一体化していくんだろうな。「国家転覆」なんて大それたことではなく、「この戦争は負ける!」と世間話をしたら特高に検挙されたというのが戦前の治安維持法だ。
 「はだしのゲン」を描いた中沢啓治さんの父親が、世間話で戦争批判をしたら、特高に検束されたという逸話が「はだしのゲンは広島のピカを忘れない」(岩波ブックレット)の出てくる。
 そうか、だから「はだしのゲン」を学校図書館から追放しようという策動が各地で起こされているんだ。
 みんなが自公との修正協議で合意、維新も「附則明示」とか何とかで合意しそうだ。このことは忘れないようにしないといけない。(11月19日)

 教育は国家100年の計というが、どうやら安倍流国家100年の計が姿をあらわしてきたようだ。文科省が、小中高の社会科教科書の検定基準を見直し、歴史や領土問題について政府の統一見解を踏まえた記述にするよう求める規定を盛り込むことを決めたそうである。
 過去の過ちを見つめることは「自虐」であるとか、「日本の誇りを取り戻す」であるとか、さながら戦前の「愛国少年」や「少国民」でも育てようというのだろう。だが、「愛国少年少女」を育てるからには愛されるのに相応しい国づくりが先行すべきだと思うのである。
 昨日のNHK経営委員会人事でもそうだが、「自分たちと異なる意見は受け入れない」という姿勢では「愛国」も偏狭なナショナリズムと呼ばれてもしかたがない。
 コモンセンスの形成は大切だが、それも日本国内だけで通用する"常識"であったら、世界からの笑いものであったり、鼻つまみものであったりしてしまうに違いない。(11月16日)

 先日から気になっているニュースがある。国会ではNHK経営委員会(定数12人)人事について4人の新任委員が承認された(8日)。その4人のいずれもが安倍首相と近い関係にあるとされる人物であるのだ。
 日本たばこ産業(JT)顧問の本田勝彦氏は首相が小学校時代の家庭教師だったというが、"おともだち"人事とばかり笑ってはいられない。百田尚樹氏は南京大虐殺の否定論者にして九条を揶揄した人、長谷川三千子氏は首相と同じ日本会議のメンバーである。
 マスコミ、とりわけNHKは世論形成にあたって絶大な力をもっている。政権が、自分たちにそぐわない報道を規制するばかりか、これを意のままに操ることを許すなら、これほど危険なことはないだろう。

 安倍首相には以前にもNHKへの介入疑惑がある。2001年、NHKがETV特集「戦争をどう裁くか」シリーズの「問われる戦争性暴力」で慰安婦問題をとりあげたときのことである。同番組には右翼団体からも攻撃があったが、週刊新潮が「自民党の大物政治家」の介入があったことを報じた。
 そして2005年、朝日新聞がその「大物政治家」が当時官房副長官であった安倍氏と経産相の中川昭一氏であり、放映の直前に二人が当時の制作局長を呼び出したことを報じた。
 (疑惑というのは本人たちは介入を否定し、NHK側も「会ったのは番組放映後」など火消しに回ったからである。だが、取材を受けた側からも内容が正しく放映されなかったと抗議を受けるなど、外圧によって番組の改変があったことはまぎれもない事実のようである。)

 NHKのような報道機関は日本のコモンセンスを形成する役割も果たしているのだろう。だが、政権が暴走しようとするときに、マスコミがチェック機能を果たすというのも、民主主義社会では大切にされなければならない"常識"であるはずだ。ヒトラーはラジオを使って国民を支配した、といわれることへの反省も忘れられてはならない。(11月15日)

 新規制基準への適合審査申請が出されている柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)について、原子力規制委員会は、近く公開での本格審査を始めることを決めたそうだ。
 東電が8日に公表した福島第一原発の作業環境の改善などを含む対策を評価したから、とのことだが、いったい何をどう評価したというのだろうか。
 あたかも小泉元首相が安倍首相に「脱原発」を迫る最中でのことである。小泉氏は原発の「再稼働」にも明確に反対している。
 一見、それらの発言も無力のように思われるが、よく経過をみていると、最初は録画も許されなかった段階から、小泉氏の発言は次第にトーンが高まっており、広範囲に広がっている。小泉氏が一定の世論をつかんだと確信したからに違いないだろう。細川元首相など賛同者も増えている。
 柏崎刈羽原発は事故を起こした福島第一と同じ沸騰水型炉だという。再稼働を焦るあまり、推進派が無理押しするようなことがあれば、ますます世論との矛盾を深めることになるだろう。(11月13日)

 海上自衛隊で、防衛秘密を取り扱う隊員を選別する「適格性確認」のため、交友関係や思想信条などの個人情報を記入する「身上明細書」を隊員に提出させていたことが明らかにされた。昨日の衆院国家安全保障特別委員会での質問(赤嶺・共産)によるものだが、朝日デジタルによると朝日新聞社でも資料を入手したとのことだ。
 「身上明細書」には「誓約書」も添付することになっており、携帯電話の通話記録の提出やウソ発見器検査の協力も約束させられているという。通話記録には自衛隊員ではない通話相手の個人情報も含まれているはずで、二重に人権侵害になる。
 ところで、ここでつい一言したくなったのは、答弁に立った小野寺五典防衛相の「承知していない」という言い方だ。以前話題にした、米国家安全保障局(NSA)が日本政府も監視の対象としているという報道に対しての記者会見でも「承知していない」との発言だった。
 だが、「承知していない」で済むものなのだろうか? もう少し前の大臣たちだったら、せめて「目下、調査中です」くらいの答弁はしたのではなかっただろうか?
 「承知していない」で済ませられると思うところに国会内で圧倒的多数を占めるものの驕りがある。第一、「承知していない」で済むなら「特定秘密保護法」など不要なのではないだろうか?(11月12日)

 細田博之自民党幹事長代行(「電力安定供給推進議員連盟」)がまたおかしな発言をしている。小泉元首相の「核のゴミの最終処分場の建設のめどがたたない一点だけでも脱原発」論に関連して、「高レベル放射性物質の量は驚くほど少ない」のであり、どういう試算によるものかは不明だが「国民一人あたりに割り当てるとサイコロ一個」くらいのもので、管理は可能であるという内容だ。
 ①試算が正しいとしても、人一人当たりにつきサイコロ1個分というのは、その人の生命を何回奪っても余りある量なのではないか。(奇しくもアラファト議長の遺体から放射性物質が検出され、暗殺説が浮上したとのことだが、まさかサイコロ一個分も検出されたというわけではあるまい。)
 ②サイコロ一億個がどれほどの量になるのかは分からないが、高レベル放射性物質をむき出しで保管できるはずもない。いったいどこに、どのような容器につめて、どのように冷却しながら、安定的に何千年も何万年も管理することが可能だというのだろうか。
 ③最大の問題は、低レベルの放射性物質の問題を無視しているということだろう。原発事故の処理にあたっている人たちの防護服(あまり役に立っていないらしいが)は、帰宅したら各家庭の洋服ダンスにかけておいても平気だとでもいうのだろうか。
 自分の口から出ていることばがどれほどおかしなことか、この人は気がついていないのだろうか。いったい、どのような知性の持ち主なのであろうか。(11月8日)

 昔、西岸良平のマンガで、他国と戦争中の国がその事実を国民に隠すため、宇宙飛行プロジェクトの様子をTVに流し続けている、もちろん戦時であるから本当に宇宙開発をすすめる予算はなく、すべてはスタジオに設けられたセットの中で撮影されている、というような作品があった。(「三丁目の夕日」で昭和を懐かしがっているだけの漫画家ではなかったというわけだ。)
 思い出した理由は、もちろん昨日審議入りした「特定秘密保護法」のことがあってのことだ。
 国家が特定の情報を「秘密」にできるということは、ある「情報」の出処を明らかにすることなく流布させることができる、つまりある意図をもって「誤った」「偽り」の情報を流布させられるということでもある。
 昨日の国会討論で、イラク戦争で「大量破壊兵器」が発見できなかったのは「誤報」だったからではなく、「イラクと戦争するための口実づくりを求められたからだ」という米CIA職員の証言が紹介された(「国家安全保障会議設置法案」に対する赤嶺議員による反対討論で)。
 「国家安全保障会議」に関連しては議事録の作成が問題となったが、今後の検討事項とされ、あとになっても会議でどのような情報をもとに、どのような議論がなされたのかを検証し得る保障はない。「特定秘密保護法」ではいちおう秘密とされる期限が設定されるようだが、これも「必要」と認められれば期限を更新することができる。
 「福島原発事故は収束した」とか、「汚染水は完全にブロックされている」とか、「消費税増税分は福祉にしか使わない」とか、「景気や雇用は回復している」とか、国民に対して平気でウソをつく政府に、こんな危険な法律を手渡していいものだろうか。(11月7日)

 米国家安全保障局(NSA)が日本政府も監視の対象としているという報道に関連して、思わず耳を疑う一件があった。
 小野寺防衛相が記者会見で、事実関係は「承知していない」と述べ、「友好国との信頼関係を傷つける行為は決して望ましいことではない。報道を信じたくない」と訴えたのである。
 ドイツやフランスでの盗聴がこれだけ大問題になっている最中、日本でも盗聴が行われていた(いる?)ということは容易に想像が出来る。NYタイムズが報じるまで、何の調査も行われず、本当に事実関係を「承知」出来ていないとしたら、どんな法整備をしたってスパイは防げない。
 ましてや、「信じたくない」って何だ? TVで涙顔になっていたのも含めて、(本当は知っていたのに知らないふりの)演技だとでもいうのかも知れないが、菅官房長官も国会で「相手国との関係上、報道を前提とした見解は述べるべきではない」と答弁したというから、政府ぐるみで不問にふそうとしているのは間違いない。
 自民党は、6日に「国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案」を委員会採決、7日から「秘密保護法案」の衆院本会議での審議入りを提起したということだ。(11月6日)

 参議院議員の山本太郎氏が秋の園遊会で天皇に手紙を手渡したことが問題になっている。
 最初に断っておけば、私は山本太郎氏の支持者ではない。どうしても一点突破主義者に思えてしまうし、その限界はいやというほど見てきた。脱原発ではその一点で手を結ぶという力の結集が大切だと思うが、彼のやり方でその接着剤的な役割が果たせるとも思っていない。
 ただ、彼が今年の参院選で当選した背景に脱原発の主張に対する支持が広範に存在することを示したこと、また「汚染水がブロックされているというウソによるオリンピック招致には反対」とただひとり反旗を翻した気骨は認めていいとは思っていた。
 そんなふうだから、今回の行為にしても、一定のインパクトはあったにしても、その後にどのような展開を予期していたのかについては大いに疑問が残るところだと考えている。
 だが、このことをもって議員辞職を迫るような動きがあるということになると、やはり黙ってはいられない。「天皇の政治利用」などというのはまるで的が外れていると思うし(オリンピック招致に皇室を利用しようとしたのはだれだ!)、 わけても下村文科相が「(足尾銅山鉱毒事件で明治天皇に直訴を試みた)田中正造に匹敵する」と批判した(!)というのを聞いては、何とも背筋が寒くなる思いだ。
 田中正造の直訴状の内容は即日号外となって広く世間に知れ渡るところとなった。田中の身柄は「狂人が馬車の前によろめいただけ」とされ、翌日放免された(直訴状を起草したとされる幸徳秋水はのちに大逆事件で死刑となったが)。
 明治の世と今日と、どちらが寛容であるかわからず、足尾鉱毒事件と福島原発事故を並べてみて、政府としての負い目をどちらがどのくらい自覚していたのかもわからない。
 結局、「天皇に無礼を働いたから」「国会議員としての常識を欠いているから」などという理由からではなく、これをチャンスとみて「脱原発」の勢いを削いでしまおうということではないのか。
 特定秘密保護法のあとは不敬罪でも復活させたいのではないのか。それをもって政権に対する批判を封じ込めてしまおうというなら、それこそ「天皇の政治利用」の何ものでもない。(11月1日)