埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」

教え子をふたたび戦場に送らないために

埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」総会・学習会が開催されました

2015-07-07 17:40:30 | 活動報告
 7月5日、埼玉県高校・障害児学校教職員「九条の会」の総会・学習会が、さいたま市民会館うらわで開催されました。


                                  (講演会風景)
 第一部の総会では、代表世話人のあいさつのあと、伊藤代表世話人(埼高教委員長)から、経過報告ならびに以下のような活動方針の提案がなされました。また、新しく作られた「九条の会」の幟旗も披露されました。

 ◎安倍内閣や改憲勢力を包囲するため、職場・地域の草の根からの改憲反対の世論をつくり、明文・解釈両面からの改憲攻撃について学習と話し合いをおこないます。
 ◎「九条の会」の輪をもっともっと大きくし、ゆるぎない改憲反対の多数派を形成します。
 ◎交流集会を開き、お互いの経験に学びあい励ましあいます。
 ◎「集団的自衛権行使」「戦争法案」による「戦争をする国」づくりに反対する緊急のとりくみに参加します。

 その後、各職場・地域からの活動報告と意見交換のあと、経過報告・活動方針が採択され、当面の諸行動への参加が提起されて総会の部を閉じました。

 《当面の諸行動》
①県民大運動実行委員会国会行動埼玉デー
   7月8日・22日、8月5日・19日  10:30~ 衆院第一議員会館
②毎週木曜日 総がかり行動実行委員会 国会包囲行動 18:30~
③戦争法制反対!日比谷集会 7月14日(火) 18:30~ 日比谷野外音楽堂
④とめよう!戦争法案 集まろう国会へ 国会包囲行動 7月26日(日) 14:00~
⑤各地域の戦争法制反対の行動
 □草加市 7月9日(木) 17:00~ 松原団地記念公園
 □秩父市 戦争法案反対秩父地域集会 7月12日(日) 10:00~ クラブハウス21
 □蓮田市 戦争はいやだ憲法9条を守ろう(仮) 7月12日(日) 16:30~ 根ケ谷戸公園
 □女性レッドアクション 7月18日(土) さいたま市浦和区
 □加須市 7月19日(日) 9:30~ 市民プラザ3F
 □行田市 戦争法反対市民大集会 7月19日(日)
 □VIP@SAITAMA青年集会 7月19日(日) 13:30~ さいたま市民会館おおみや
 □久喜市 7月20日(月・祝) 13:30~ 久喜総合文化会館
 □越谷市 駅前大規模宣伝行動 7月26日(日) 14:00~17:00 越谷駅前広場
 □春日部市 7月下旬 1000人賛同呼びかけ人募集中
 □新座市 1000人規模の集会を計画
 □朝霞市 集会を企画
 ※すでに取り組まれた地域:戸田市(6/7)、川口市(6/28)、さいたま市南区(6/28)、上尾市(6/27)、飯能市(7/2)、さいたま市浦和区(6/28)、和光市(6/28)、狭山市(6/23)


 第二部の学習会では、沖縄から宮城達さん(沖縄県教職員組合那覇支部)を招き、講演「日本の未来を切り拓くオール沖縄の闘い~戦争法案阻止の最前線からの報告~」がおこなわれました。
 総会準備のための事務局会議で、この情勢下でどなたに学習会の講師に来てもらうかの議論の中で「今年は沖縄から人に来てもらおう」という意見が出されたとき、出席者は一も二もなく賛同しました。
 宮城さんは16ページに及ぶレジュメと、今話題の「琉球新報」「沖縄タイムス」からの切り抜きをふんだんに盛り込んだ29ページの資料集を用意して下さり、学習会は期待した以上に充実したものとなりました。
 1995年10月21日の少女暴行事件抗議のための宜野湾市海浜公園8.5万人集会にはじまる「オール沖縄」前史からはじまり、2013年1月28日の沖縄県の全市町村長、全市町村議会議長と全党派代表、財界・労働団体代表が署名・捺印した『建白書』に結実していく壮大な闘いのお話はまさしく圧巻でした。知事選、衆院選、そして辺野古基地建設反対の運動が、一朝一夕につくられたのではない、ぶ厚く強固な闘いの歴史に立っていることを知らされました。
 「命どぅ宝」「イチャリバチョーデー(出合えば兄弟)」という沖縄の非武の文化は憲法9条と通じるものであり、「復帰闘争の中で世界一の軍事力を誇る米軍に対峙し、非暴力の抵抗闘争として現実化したこと、それは今なお辺野古新基地阻止の闘争の現場で三線も登場する等に貫徹されている」(仲山忠克・沖縄革新懇代表世話人)というお話の紹介は印象的でした。
 戦争法制反対の闘いも、「戦争づくりの『法的基盤が戦争法制』であれば、『物質的基盤が沖縄基地・辺野古新基地」という認識ではじまっています。

 総会・学習会終了後、宮城さんもまじえて浦和駅東口で駅頭宣伝行動がとりくまれました。


 《参加者による感想》

 「オール沖縄」には感動いたしました。日頃、職場では連帯することが困難な状況にありますが、今日の話を聞いて、勇気をもらうことができました。(S.O)

 「オール沖縄」って政党や地域代表とかだけでなく、本当に「オールに近い県民」という意味なんですね! 「県民集会」もバス協会の無料バスで一般市民が集う全県民集会なんですねー。島ぐるみの闘いの「前史」がとてもよくわかりました。
 政府が今、同時に強行しようとしている戦争立法と辺野古基地、両方とも絶対止めないといけないですね。沖縄のことも広めて「友」をふやしましょう!(K.S)

 心が熱くなる内容でした。オール沖縄の闘いがここまですごいものだとは思っていなかったため、感動しました。逆に言えば、それだけのひどい人権侵害を沖縄県民が受けているのだということです。その怒りの矛先をきちんと政府に向けて、「非暴力」で闘い抜くことができているのがすばらしいと思います。埼玉で行うならば、まずは戦争法制の「ひどさ」を市民・県民に伝えていくことだと感じました。戦争法制に今後も強く反対していきたいです。(T.S)

 沖縄の民意は全国を突き刺し、揺り動かしています。共産党は「安保廃棄」をおろし、保守は「集団的自衛権反対、憲法改悪反対」を認める等、一点共闘をすすめる闘いの中で、結果全国への基地のたらいまわしでなく、基地の閉鎖と撤去への共感の広がりとなっていることは本当に力にしたいです。( )

新聞やS、国会行動などで沖縄の闘いについては自分なりに知っているつもりでした。しかし、宮城さんの御講演を直接聞くことができ、何度も身震いが起きるほど感動しました。過酷な地上戦にさらされ、その後銃剣とブルドーザーで土地と家を奪われ、長い闘争の中でいかにオール沖縄がつくられていったか。特に第一次安倍政権後の沖縄の人々の保守革新を超えた、魂の叫びの連帯、翁長知事の凜とした決意!! それを支えているのは県民一人一人の民意であること、それがオール沖縄だということがとても伝わってきて、本当に感動しました。(Y.K)

 「沖縄の闘い」、沖縄の現状がとてもよく分かりました。とても勇気づけられました。ありがとうございました。
 私もこの夏、戦争法案廃案に向けてがんばりたいとの思いを新たにしました。(A.K)

 オール沖縄のたたかいの歴史、くわしく語っていただき、ほんとうにすごいなあと、よく分かりました。私たちもそういく闘いをしていかないといけないと思いました。
 戦争法、知事選、ほんとうにきちんと伝えていけばたたかえる!! と思いました。(M.K)

 2月16日から3泊4日で、一人で辺野古に行った。3日間の座り込みの中で、島の人たちのいろいろな話を直接聞いた。今日の話を聞きながら、島ぐるみの運動、それをつくり出したのは県民一人ひとりの思い。それが動かしていることを、その時も今日も感じた。何をすべきか語り合うこと、学び合うこと、そして行動することなのだと初めて思った。今、安倍が国民を無視してすすめようとしている戦争法反対の運動につなげなくてはいけない。戦争法案に対しても「日本国民は決して負けない! 屈しない! 何故なら勝利するまで闘うから!」と決意している。(M.E)

 レジュメの資料にのっているいろいろなことばに胸をうたれました。ことばの持つ、実際に行われた真実を裏づける文の力を感じ、又、ニュースにのせて、みなさんに伝えたいと強く思いました。沖縄のたたかいは知れば知るほど、力づけられました。学びながら戦争法制反対の運動へとつなげることが今やるべきことなんだ!と思いを新たにしました。(K.S)

 来週から4日間、沖縄に行かせてもらう私にとってはとても有意義な事前学習の場になりました。実際に行くことによって感じることもまた違ったものになってくると思います。辺野古及び高江での座り込みにも参加します。今日はありがとうございました。(T.H)

今日のつい一言 2015.7

2015-07-02 12:48:08 | 意見交流
 反原発コメンテーターを「個別撃破」 大西議員、エネ庁幹部に要求(東京新聞7月30日夕刊)
  http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015073002000254.html
 「マスコミ懲らしめ」論で物議をかもした大西議員がまたもや暴言騒ぎを起こしたらしい。「安保法制」審議の最中とはいえ、「個別撃破」とは意識はもはや戦闘モードだ。確信犯というべきか、ただのお調子者というべきか、ともかくこうした人物が権力の座にあることが最も危険だ。言論を封殺し、反対意見を許さず、「行けるところまで行ってしまえ!」では付き合わされる国民がたまったものではない。(7月30日)

 政府が説明不足であるとか、国民の理解が不十分だ、とかいっているのではない。我々は「不同意」であるといっているのである。(7月20日)

 新国立競技場建設が白紙にもどった。遅きに失したとはいえ、あのままゴリ押しされるよりは遙かにましだ。それにしても、支持率の回復のためとはいえ、つい数日前の「これしかない」などの発言から、みごとに手のひら返しをやってのけたものだ。
 さて、国会での答弁としての発言だったのだから、当然責任をとらなければならないと誰でもが思う。森喜朗東京オリンピック組織委員会会長はインタビューに答えて「責任は文部科学相にある」とし、ラグビーW杯ともからんだ自らの責任は棚上げした。ところが下村文相は、「建設費の高騰については誰に責任があったか、はっきりさせなくてはならない」と発言。えっ?と思ってよくよく話を聞いてみると、やはりご本人には何の責任もないというふうである。
 衆院での「安保法案」強行採決にあたって、自民党議員の一人が、「そのうち国民は忘れてしまう」と発言したと伝えられている。どうやら、政権担当者たる与党の意識は国民に対してその程度の評価であるらしい。だが、誰もがつい2、3日前の発言すら忘れてしまうほどの健忘症であるはずがない。むしろ、その無責任の体系を見破っていくだけだ。(7月18日)

 「安保法制」が野党の抗議や退席の中、衆院特別委で強行採決された。安倍首相本人が認めるとおり、国民の理解が深まるどころか、国会審議がすすめばすすむほど、反対の世論が広まっていく最中であった。これ以上、反対世論が高まらないうちに採決に持ち込んでしまった、というのが本当のところだろう。
  ※
 このところ、戦後史に関連した本を読んでいる。自分が生きた時代、ということでいえば、戦後史という観点は切り離せない。
 戦後史は当然「敗戦後史」であるから本来は「栄光」の歴史ではない。沖縄の翁長知事がしばしば強調する「沖縄は一度たりとも自ら基地を提供したことはない」ということばの重みを、日本国民はしっかりと考えてみる必要がある。
 そうした中で、憲法九条に象徴される「平和国家」建設を国民の大多数が承認し、国づくりの柱としてきたことは誇っていいことだった。
 与党単独による強行採決という場面は、これまでにも何回も見てきた。しかし、今日の採決ほど日本の進路を大きく変えてしまう予感に満ちたものはなかった。それは数少ない自分たちの誇りを捨て去ることを強制されたのといっしょだった。
  ※
 しかし、絶望してはいられないのである。
 まず、このまま世論を押さえ込むことが出来るという政府・与党の目算は外れないだろうか?
 反対運動・抗議行動には、これまで政治的関心に薄いとされて来た若者たちも次々に立ち上がっている。こうした動きは最近になってにわかに起こったものではない。2年前の「特定秘密保護法」のときから、さらにさかのぼれば東日本大震災と福島原発事故に直面したことで、危険な時代の流れを敏感に感じ取ったことによるのではないか。
 「特定秘密保護法」が施行されてしまったから反対運動が終息してしまった、というのではなく、確かな水脈として残り、しかもさらに太く、大きな流れとして成長してきている。
 今、日本が大きく変わっていこうとしているというなら、政府・与党が変えてしまおうとするベクトルとは違った方向に変わっていく力も働きはじめているのではないか? きっと、何度でも立ち上がるしぶとさで。(7月15日)

 与党自民党・公明党が「安保法制」の採決を決めた。60年安保では6月15日が特別な日となった。まだまだ流動的ではあるが、7月15日も日本の戦後史で特別な日として記憶されることになるのかも知れない。
 そんなわけで、焦点は「安保法制」にあるのだが、もうひとつ私が腹が立ってならないのは「国立競技場」問題である。
 つい最近飛び出したのは、「デザインが決まったのは民主党政権時代」という責任転化論である。「政権を取り返して何年になるの?」あるいは「政権をとってからひっくり返したものはどれくらいあるの?」といいたい。すぐにでも思いつくのは、「30年代までに原発ゼロ」方針である。
 「ここまで来たら行くしかない!」つまりは「毒食らわば皿まで!」は、「勢い」のあるうちに「成り行きまかせ」にすすんでしまえ!」という心性のあらわれである。かかる極右冒険主義に、日本はおのが運命をもう一度ゆだねることになるのだろうか!?(7月15日)

 安倍内閣に対する支持率が急落しているという。最大の要因は年金情報の流出問題、さらに2020年東京オリンピックにからんだ国立競技場問題があるのではないかとにらんでいる。
 本当は「安保法制」(戦争法制)のゴリ押し、九電・川内原発の再稼働の強行に、もっともっと国民の目が注がれていかなければならないのだが、年金の先行きや税金の使い道のような日常の問題からの距離が大きすぎるのか、運動の高まりは確かにあるのだが、もうひとつ浸透しきれないでいるような焦りを感じる。
 だが、やすやすと年金情報の流出させてしまったようなセキュリティの甘さで、さらには施工の実現性や予算の捻出が疑問視されている国立競技場の建設計画のような見通しの甘さで、本当に戦争法制を整備したり、原発を再稼働させていいものだろうか?
 昨夜の「報道ステーション」で、コメンテーターの立野氏が「立ち止まってみること」の重要性を訴えていた。
 「いきおい」や「はずみ」でことを運んでしまう日本人の精神構造については、かつて丸山真男がアジア・太平洋戦争に対する反省から厳しく指摘したところだ。
 「戦争法制」、「原発」に限らない。マイナンバー制にしたって、リニア新幹線にしたって、どうしても「立ち止まってみること」が必要だと思うし、それらをすすめようとしている政府・財界にそれが望めないならば、国民が「立ち止まらせる」ために立ち上がることが必要なのではないだろうか。(7月8日)

 自民党の勉強会に端を発した報道威圧問題で、朝日デジタルが西田亮介・立命館大学特別招聘准教授(情報社会論)の話として以下を紹介している。

 政治とメディアの関係性は変化している。自民党は戦後、メディアと協調体制をとって言論を統制しようとしてきたが、最近は露骨な「圧力」が目立ってきた。ネットを介して有権者に直接訴えられる時代になり、2000年代から力を入れてきたマーケティングやPRが選挙などで実を結んできたことが背景にある。いまや発信力に長(た)けた政治のメディア戦略が、メディアの権力監視機能を上回っている。勉強会の発言への批判が燃え広がったのはたまたまで、内容は目新しくない。メディアは政治の戦術を読み解き、環境の変化に対応して取材、報道手法の見直しを進めてほしい。

 ちょうど『日本の反知性主義』(晶文社)を読んでいるところなので話はよくわかる。たくみな情報戦略を立て、国民世論を操作できると考えている。メディアが真実を伝えようとするなら、それは敵視や抑圧の対象でしかない。
 しかし、「何となくよさそう」とか、反対に「狼が来るぞ」とかのムードを作りさえすれば、大衆はたやすく操作できるという発想は、国民に対する軽侮から始まっているのではないか。
 「デマ」宣伝も露骨になっている。沖縄の反基地闘争では「中国共産党員の工作員」が暗躍しているとか、慰霊祭での安倍首相に対するヤジは「動員」によるヤラセだとかいうものである。これも「デマ」の常道で、ときに手を変え品を変えしながら「繰り返し」戦法をとっている。(7月2日)