毎年の恒例行事です。地域の多くの家で行われています。地元の神主さん(宮司さん?)が各家庭を回ってやってくれます。
確たる信仰があるから?しているのではありません。どこの家であっても、はるか昔から続いてきた、暮らしの一部ということでしょうか。あっ、でもそれも信仰のひとつの形なのかもしれませんね。
読み上げる祝詞に耳を澄ませていると、たくさんの神様に向かって、いろんなことを言っているのが分かりました。
来てくれた宮司さんにお礼を差し上げますが、のし袋には、「お初穂料」と書きます。初穂という言葉もなかなか味わい深い気がします。昨年のクリスマスの時、お米のお付き合いのある方から、クリスマスカードと一枚の写真をいただきました。ガラス瓶に稲穂を立てた様子が写っていました。和賀屋の玄米を播いて、それがいくらか芽を出して、それが育った稲から採った種もみ。それを播いて育った稲と知らせてもらいました。とてもうれしく、お米が実ったことに感激でした。そしてその時ふと思い浮かんだ言葉が、お初穂というものでした。