みなさんは、震災で亡くなった方を慰霊する日本で初めての施設が、岐阜にあるってご存知ですか?
岐阜市若宮町にある『震災紀念堂』です。
今から120年前、明治24年10月28日に発生した濃尾震災は、マグニチュード8.0以上。7273名の方が亡くなりました。
その濃尾震災の犠牲者を慰霊するために震災の2年後、今から118年前に建てられたのが震災紀念堂です。
紀念堂の建立を呼び掛けたのは、当時、第1期衆議院議員だった天野若圓氏。
伊藤博文、犬養毅、大隈重信など、時の政府の要人の賛同も得て、全国から集まった義援金で、震災紀念堂は完成したのです。これは完成当時の写真。
現在、紀念堂を管理しているのは、若園氏のひ孫にあたる、西村道代さんと御主人の西村邦彰さん。
「昭和30年代までは、紀念堂には毎日たくさんの人がいらしていた。ここが、震災で傷ついた方達の心のよりどころになっていたのでしょうね」とおっしゃいます。
また、「濃尾震災は現代の地震学や耐震技術を研究する上で、とても大切な地震。それを岐阜の人に知ってほしい」とも。
昭和40年代に入ると、紀念堂を訪れる人も減り、やがて法要も西村さん達ご家族だけで行われるようになりました。
それから数十年。
今から5年ほど前に紀念堂の改修工事をきっかけに、月命日の28日には、誰でもお参りができるようにお堂を開放しました。
そこで、お会いしたのが79歳の篠田隆夫さん。子どもの頃、おじいさんに手をひかれ、毎日紀念堂に通っていたそうです。大人になってその存在は忘れていたのですが、80歳を前に今また、毎月お参りに来るようになったそうです。
「数十年ぶりに紀念堂を訪れたときは、亡くなったおじいさんに会えたような気がした。ここに通うことが、いまの私の生きがいです」と話してくださいました。
一言で120年といっも、これだけの施設を維持するのは、並大抵のことではありません。実は震災紀念堂には檀家がありません。檀家がないということは、収入がない。でも紀念堂を維持しなくてはならない。
そこで西村さんのお父様が会社を興し、それからずっと紀念堂はその配当金で維持されています。西村さんご自身も、いまお住まいの東京から毎月岐阜に通っていらっしゃるのです。
現在は国登録有形文化財に指定されています。
ひいおじい様の代から120年、震災紀念堂を守ってきた西村さんは、「濃尾震災の被害、そして復興を伝えていくことが、私たちの使命。」と。
濃尾震災から120年の今年。
東日本大震災がおきた今年。
岐阜で暮らすわたしたちにできることのひとつは、その大切な命から学んだことを引き継いでいくことなのでしょうね。
10月28日、震災紀念堂では120年の法要と防災の専門家による講演会が行われます。
<申込方法>
往復はがきに住所、氏名、人数を書き、こちらまで(10月10日当日消印有効)
〒500-8828 岐阜市若宮町2-10、濃尾震災紀念堂保存機構へ。
お問い合わせは西村さん 電話090(9685)2140まで。