kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

じゃっどん、西郷どん12

2018-05-06 17:18:27 | 西郷どん

 

薩摩藩十一代藩主  島津斉彬

 

曽祖父である、島津重豪のDNAなのか、

海外の政治や文化に興味を持ち、様々な物を取り入れていた

 

折から、フランスやイギリスの軍艦が、琉球に上陸し、

交易を迫って来ていて、斉彬の考えた事は

”日本を強くて豊かにし、強国に負けない国にならなくては”

 

斉彬は藩主になると「集成館」という工場群を造った

そこで、造った船は、

帆船「いろは丸」

大砲船「昇平丸」

蒸気船「雲行丸」など、

漂流者だった、ジョン万次郎が、斉彬に認められ

造船、航海術、英語の指導者として活躍したのも大きかった

 

ジョン万次郎や西郷隆盛といった人材発掘にも力を入れた斉彬公

でも、安政5年(1858)7月、薩摩で京へ送る兵の指揮をとっていた時、倒れ

帰らぬ人となった

 

安政元年(1854)に、藩主になってわずか4年

・海外から迫る強国

・将軍継嗣問題

・篤姫の輿入れ

次々と迫り来る難問に、果敢に挑んでいった

 

 

じゃっどん、斉彬さぁ、ちょっと急ぎ過ぎたんじゃなかと?

 

 こうと思えば突き進むタイプで、それゆえ敵が多かった

新しい考え方に、付いて行けない人達が敵に回った

 

斉彬さぁ、生まるっのが早すぎたんじゃなかと?

 

織田信長、吉田松陰、坂本龍馬、

 

生き急いだ英雄は、いっぱいですが、

その方たちのおかげで、今があると思います、感謝です

 

私なんかは、長生きすれば、無駄に長生き…、となる

 斉彬さぁ、西郷どん、自分はどげんしたやよかか?

 

いやこれは、今関係なか

 

斉彬公亡き後の西郷どんは、どう動くのか

 

井伊直弼が、江戸幕府に歯向かう者たちを処罰し始めた(安政の大獄)

死刑、蟄居、隠居、謹慎、約100人が罰せられた

その中には、吉田松陰、橋本左内、ひー様、徳川斉昭などなど

 

幕府の追っ手を放たれた西郷どんは

同じ志の勤王の僧・月照、幼なじみの有村俊斎と共に

薩摩へ逃れることとなる

 

昔の人はほんとに大変でした

岩のごろごろした山道を、あんなごわごわの草履で歩き続けるなんて

京都から鹿児島?

新幹線に乗っても遠い所ですよ

文字通り、必死の逃避行

 

疲れ果てて休んでいた所に斉彬公の幻覚が見えて…

 

でも、幻であり、確かに斉彬公は死んだ

と実感した西郷どんは、また、斉彬公への熱い気持ちが湧いてきた

 

自分が斉彬公となって、斉彬公の思いを成し遂げると誓い、

月照をかばいながら薩摩へ向かうのでした

 

妖艶な月照さんと、武骨な西郷どん

対照的なおふたり、この先どうなるのかな

 

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