小池さんは今入院中です。
詳しい事は知りませんが、時たまのぞくツイッターのつぶやきで
死ぬまで退院できないだろうと書かれていた事があります。
でも、毎日のつぶやきが、決して暗くないのが素晴らしいです。
昨日のつぶやきが、
『あー、葉巻すいてーーーー、酒飲みてーーーー!』
だったので、ちょっと人間的で笑えました。
昨日は他にも、
『永遠にあるのは時間だけ。 ただ、そこに自分がいないだけ。』
『今、あなたの最愛の人や、環境や、物事や、コンテンツや色々なこと。 自分から去るか、向こうが去るかは別として、いつかはなくなるものだといつも意識しておくこと。 その方が、より今を大事にできて、より愛することができる。』
と、ツイートしておられました。
最近、小池さんの本を手に入れました。
その中から私が惹かれた文章をいくつかご紹介します。
『年寄りは弱虫なンかがなれるもンじゃねえ日記』 より
『 「生きづらい時代」と、最近安易に使われるが、有史以来、生きづらくない時代など無い。 いつの世も、それぞれに生きる事は困難である。 僕が思うに「夢見つつ、しかし、足は地にしっかりとつける」という生き方が、生きづらい世を生きる一番の秘訣だ。』
『心臓が鼓動を止める一瞬前まで、生き生きと生きるのだ。 機嫌良く生きるのだ。 軽やかに生きるのだ。 それこそが、この理不尽で、不条理で、鬱々とした時代への、最大の防御であり攻撃である。』
『僕が好きな人は「本気」な人達である。 本気で生きてる、本気で作品創ってる、本気で仕事している。 僕が嫌いな人は、本気の人をちゃかす人である。「何マジになってンの?」などと口にする人である。 どうしても今は頑張れない、そンな時も人生にはあるが、本気の人を馬鹿にしては絶対にイカン。』
『他人の過ちや、他人がやった事、他人がやらなかった事、そンな事ばかりに気を取られていても、自分は一歩も成長しないね。 「自分が何をしたか」それが全て。』
『天才がサラッと描いた作品よりも、作者が才能ギリギリ最後の一片まで吐き出した作品に僕は感動する。 作品の質としては前者の方が優れているのだが、人は後者に心を奪われたりする。 鋭い刃に切られるよりも、鈍刀に切られた方が痛い。 才能は勿論必要だが、才能が全てではない事に、創作の不思議を思う。』
『自分の忘れたいような「過去」に囚われ過ぎたり、起きてもいない「未来」を取り越し苦労して、「今」を鬱々と楽しまない事は、「人生の無駄遣い」である。 「今」という時を、不利なレートで「過去」や 「未来」と交換すべきではない。 楽しむ「今」が、「過去」となり 「未来」となるのだから。』
転載終わりです。
言葉の力はすごいですね。
こんな風に人を励ましたり、力づけたりできるのですね。
人は物心ついた時には、すでにこの世に誕生していますが、きっと望んで生まれて
きたのでしょうから、せめて生の終わりまで機嫌よく生きようと思います。