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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

第十六巻から待望の活版印刷に更新す

2019-03-21 04:26:07 | コラムと名言

◎第十六巻から待望の活版印刷に更新す

 雑誌『土の香』壱百号紀念号(一九三六年八月)から、加賀紫水(治雄)「回顧録」を紹介している。本日は、その三回目。

 第十二巻
中山〔太郎〕先生「巡り神」宮崎正秀氏「お正月を歌つた童戯」長岡〔博男〕氏「一ツ目小僧と単眼児」能田〔太郎〕氏「村の相互扶助」「村の共同作業」宮良当壮〈ミヤラ・トウソウ〉氏「草の旅」浅田芳朗氏「古墳関係のそれに就ての概観」内田武志氏「鳥に関する昔話」鷲見東一氏「伝説の犬」井花伊左衛門氏「雪に関するもの」加賀〔治雄〕「駄洒落駄話」等
 第十三巻
南要氏「和泉荘の民謡」森〔徳一郎〕氏「切支丹遺跡」横井赤城氏「丑の刻参り」加賀「愛知県俗信調調査報告」黒田鉱一氏「豊橋地方の俚諺」宮本常一氏「足神」佐伯隆治氏「善光寺境内の俗信」能田氏「一偶の感想」小玉暁村氏「土の生んだ唄」等
 第十四巻
小玉〔暁村〕氏「奥羽地方の照明小史」「炭焼の話」大藤〈オオトウ〉時彦氏「村で聞いた話」桜田〔勝徳〕氏「正月異例」天野白駒氏「蒲原〈カンバラ〉遺話」宮本氏「加越海岸遊記」武藤鉄城氏「羽後仙北のハマ投げハマ突き」藤原貞次郞氏「花巻近郊の俚諺」等
 第十五巻
岩倉市郎氏「乃呂と与多の話」河本正義氏「神戸勝福寺の鬼追」浅田〔芳朗〕氏「日本火葬史の一問題」小玉氏「鎌倉と綱曳」宮本氏「藁のつみ方」太田陸郎氏「但馬の横行話」桜田氏「葛縄の事」武藤〔鉄城〕氏「獅子の咬合」佐伯〔隆治〕氏「北信の道祖神とドンドン焼き」野村伝四氏「南穴隅覚書」栗山一夫〔赤松啓介〕氏「俗信調査方法の基礎」等
 第十六巻
本号から待望の活版印刷に更新す、武藤氏「飯綱使の話」野村氏「南大隅覚書」佐藤〔清明〕氏「仏法僧の啼声」能田氏「阿蘇の南郷谷〈ナンゴウダニ〉」河本〔正義〕氏「門松のこと」中山先生「勝軍地蔵」宮本氏「犬の伊勢参宮」八木三二氏「阿蘇虎舞牛舞」時任為文氏「原始民族の歌踊とその変遷」三品彰英氏「対馬佐須村見聞記」武藤氏「南楢岡といふ巨人村」中道〔等〕氏「旅嚢片々」栗山〔一夫〕氏「祟る話憑く話」藤原氏「陸中花巻近郊の俗信」等
 特別附録として小玉氏「秋田仙北の行事と考証」八木〔二三〕氏「阿蘇布理集解」とを交互に登載す。
 第十七巻
野村〔伝四〕氏「地方経済史大和の漆掻き」(長篇)本山桂川氏「海の女性」愛知県郷土研究の特輯として、平松伝次郎氏「中村の今昔」津田応助氏「織田信長と沢彦和尚」藤浪洋氏「木曽川渡船場の回顧」山田秋衛氏「大須の今昔」田中緑紅氏「尾三地方の性的神」加賀「愛知県麦粒腫俗信集」を、八周年記念号に、高田十郎氏「史蹟に座しつゝ」宮尾しげを氏「四国遍路標」能田氏「村の常食」小林氏「民話伝承に於ける南と北の一例」小玉氏「秋田俗信の神々」武藤氏「石器と民俗」山本氏「はしりがね考」佐伯氏「北信に於ける俗信」藤奈美緖氏「祭礼と植物」等
 第十八巻
石曽根民郎氏「指切・茶柱・蜘蛛など」等

 第十四、十五、十六巻に「宮本氏」とあるのは、たぶん、宮本常一氏のことであろう。しかし、宮本勢助氏の可能性もあるので、そのままにしておいた。

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柳田國男先生から大論文「阿也都古考」を拝受

2019-03-20 02:50:22 | コラムと名言

◎柳田國男先生から大論文「阿也都古考」を拝受

 雑誌『土の香』壱百号紀念号(一九三六年八月)から、加賀紫水(治雄)「回顧録」を紹介している。本日は、その二回目。

 第 四 巻
第二十号にて柳田國男先生から「阿也都古〈アヤツコ〉考」といふ大論文を拝受発表し斯道に多大の感銘を与へた。森徳一郎氏「尾張に於ける市場の変遷」「はだか祭」鈴木重光氏「蟹が水を清める事」橘正一氏「岩手県上飯岡のハデクチ唄」菊池一雄氏「岩手県地方雨乞信仰形式の小考察」沢田四郎作氏「五倍子〈ゴバイシ〉雑筆より」佐々木喜善氏「土の呪詛」等
 第 五 巻
濱田隆一氏「天草雑誌」とみだいち氏「愛知の土俗玩具」高瀬貞氏の「性崇拝と雨乞」等であつた。
 第 六 巻
大田栄太郎氏「名古屋地方の気象民俗を読みて」谷川三郎氏の「尾北地方の年中行事」沢田四郎作氏「のこされたる話」「はしご」村田鈴城氏「神の怒つた話」能田〈ノダ〉太郎氏「肥後南ノ関諺集」等
 第 七 巻
谷川三郎氏「いつけんけん(尾北の童戯)長篇」藪田・野村〔伝四〕・辻山の三氏と私〔加賀治雄〕の「放屁者検挙法」鳥畑隆治氏「内地に祀られたる朝鮮の神」村田鈴城氏「石手紙、髮切り、タンコ」宮本勢助氏「死者の為に亡女を捜して合葬する風習」中道等氏「灰塚の狐」等
 第 八 巻
中山太郎先生「若水考」稲垣〔豆人〕氏と加賀の「愛知県性的神所在一覧」雑賀貞次郎〈サイガ・テイジロウ〉氏「南紀の童戯」鈴木規夫氏「河和町〈コウワチョウ〉童詞」
 第 九 巻
柳田國男先生「忌と物忌の話」中山太郎先生「造綿考」出口米吉氏「小便と古禪の功力」池ノ内好次郎氏「入間地方に於ける俗信」加賀「滅亡せんとする機織唄」松川弘太郎氏「類音忌避」小谷方明氏「強迫信仰」等
 第 十 巻
鳥畑隆治氏「朝鮮の雨乞」中道等氏「冠物見聞」能田太郎氏「履物小誌」長岡博男氏「履物に就いて」等
 第十一巻
中山太郎先生「瑞文駄話」能田太郎氏「燃料の話(肥後南ノ関民俗誌)」佐藤清明氏「蝸牛の童謡」中道等氏「膾〈ナマス〉とと魚軒」鳥畑〔隆治〕氏「年中行事と餅」窪田五郎氏「北設楽〈キタシタラ〉の花祭」黒川正男氏「民間天気予報」石川緑泥氏「天狗の話」齋藤秀一氏「山形庄内俗信集」等【以下、次回】

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『土の香』の加賀治雄氏は元小学校訓導

2019-03-19 04:25:07 | コラムと名言

◎『土の香』の加賀治雄氏は元小学校訓導

 以前から、『土の香』という雑誌が気になっている。そこに載っている論文や記事には、興味深いものが多い。その一部を、批評社の「歴史民俗学資料叢書」に紹介したこともある。
 しかし、『土の香』についても、その発行編輯人であった加賀治雄についても、あまり詳しくない。
 先日、たまたま、『土の香』の「壱百号紀念号」(一九三六年八月)を手にする機会があった。すると、その末尾に、加賀紫水署名の「回顧録」という記事があった。「紫水」は、加賀治雄の雅号である。知らなかったことが多く、たいへん勉強になった。本日は、これを紹介してみよう。

   回 顧 録        加 賀 紫 水

最初に会員並に先輩諸兄姉に御指導御後援に感謝の意を表します。この愛子「土の香」を創刊八ケ年壱百号に育てる迄の苦心を回顧するのは感慨無量であります。
本誌発行の動機は其頃私は小学校訓導の末席を汚し敬神の一助と致度く全国官国幣社の御印影を蒐集中、神社の御祭神、御由緒、古典、交通其他の調査をなし、これを知友諸氏に頒布せんとし「国の礎」と題し六輯(五百頁)発行しました。各地の方々ょり伝説其他民俗的有益なる御報告を賜つたので各輯附録として発表致し大高評を博し、毎月引続き何か民俗雑誌を発行せよとの御希望が沢山ありましたので、意を決し昭和三年〔一九二八〕四月第一号の発行を見ることが出来ました。
「註」 本稿は土俗方言各方面に詳記しました処、方言方面は橘正一氏より別項の通り御寄稿を賜つたので急に再び書直し土俗方面のみに致しました不悪〈アシカラズ〉、各御寄稿家諸氏が本誌の為め貴重なる研究論文を常に御恵稿賜り各号増頁にて奉仕致して居りますが、今各号の主なるものを挙げますと
第一巻第一号には故島村知章氏の「岡山附近の齋の神」森徳一郎氏の「田県〈タガタ〉神社祭神は若寡婦大麻雑人影は建稲程命」其他二編で十六頁の貧弱なものであり。尾張三奇祭(国府宮〈コウノミヤ〉の儺追〈ナオイ〉祭、尾張富士の石釣祭)の話、白鳳荘主人の「性的神巡礼回顧」愚生〔加賀治雄〕の「猿投〈サナゲ〉史蹟視察旅行記」森徳一郎氏の「切支丹焼殺と水浴地蔵」「尾張切支丹年表」等発表
 第 二 巻
近年仏法僧で有名になつた香雅好楽氏の「鳳来寺田楽研究」稲垣豆人氏の「尾張三河性的神見聞録」梅谷紫翠氏の「大阪小絵馬漫談」編輯部編の「尾張三奇祭田県神社男根祭」森青雨氏の「尾張名物宮重大根〈ミヤシゲダイコン〉由来」石田元季氏の「コサの考」佐藤一二氏の「津島名物あかだ考」等
 第 三 巻
鈴木重光氏「相州内郷村附近の道祖神巡り」高村知章氏「岡山地方古俗断片」箸に関する俗信として、鈴木重光氏の「相州津久井地方の俗信」菱川好調氏の「箸についての各地方の俗信」太田清氏の「尾張脊掛の十三塚」岡崎趣味会編「御茶壷の御通り」五日会編「世界一の三河大提灯祭」市橋鐸氏「山姥物語」橘正一氏「岩手県飯岡村〈イイオカムラ〉俗信集」等【以下、次回】

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落ちついて、あわてず、すばやく行動されたい

2019-03-18 01:30:15 | コラムと名言

◎落ちついて、あわてず、すばやく行動されたい

 先日、古書店で宮脇俊三著『増補版 時刻表昭和史』(角川書店、一九九七年八月)を入手した。この本は、むかし、角川選書版(一九八〇)で楽しく読んだ覚えがあるが、「増補版」が出ていたとは知らなかった。増補されたのは、第14章から第18章までの五章分である。
 第1章から読みなおしてみたが、ほとんど内容の記憶がなく、これには驚いた。しかし、新鮮な気持ちで読むことができたので、かえって良かったような気もした。
 その第14章は、東海道本線の列車に乗っていて、空襲に遭う場面がある。著者は、キチンと「低姿勢」(防空姿勢)を取らなかったため、女性の車掌から厳しく注意されている。同章の一九一ページには、東亜交通公社の『時刻表』昭和一九年五月号のウラ表紙が、写真で紹介されている。そこに、「旅行防空心得」が載っているからである。
 この「旅行防空心得」は、本文でも、一部、引用されているが、全文ではない。また、写真の文字は、細かくて判読が困難である。そこで、『時刻表』同号の復刻版から、その全文を引用してみたいと思う。

   旅 行 防 空 心 得

取扱制限 空襲警報が発令されたときは乗車券の発売、荷物の受付、配達、引取などを制限したり中止することがある。
空襲時の運行 空襲時には汽車、電車の乗降を禁止したり、時刻表通り運行しない場合がある。
空襲時には列車などの運転状況を一般に発表しないから最寄の駅の掲示などで承知されたい。この場合電話の照会には答へないことになつてゐる。
旅客の行動 列車内や駅内で空襲をうけた場合には待避やそのほか一切の行動は車掌や駅員などの指示に絶対に従はれたい。殊に多数の人の集りだから落ちついて、あわてず、すばやく行動されたい。
燈 火 燈火管制は厳重に守られたい又燈下管制下では足元に特に注意されたい。
車内の待避 列車進行中空襲のある場合長緩気笛を鳴らして徐行することがある、そのときは窓側に手廻品や腰掛などを集積し通路寄で低姿勢をとられたい。
又列車が停止しても危険だから車掌の指示するまでは下車しないで車内で待避されたい。

  行携品用常非糧食  で裝服空防

 本文はタテ書き、最後の「行携品用常非糧食 で裝服空防」は、最下部に、ヨコ書きの右書きで書かれている。ちなみに、表紙の「時刻表」などの文字は、ヨコ書きの左書きで書かれている。

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官僚達の開催する会議ほどつまらぬものはない

2019-03-17 00:31:31 | コラムと名言

◎官僚達の開催する会議ほどつまらぬものはない

 本日も、和辻春樹著『生活の科学化』(弘文社、一九四七)から。本日は、「会議」という文章を紹介する。敗戦直後の文章だが、いま読んでも、まったく違和感がないのは、どういうことだろうか。

   会  議

 衆智を集めると稱して無暗に会議を開くが、行つて見るとくだらぬことが多く、無駄な時間と旅費を費し残るところは疲労ばかりといふ場合が少くない。殊に官僚達の開催する 会議ほどつまらぬものはない。忙しい民間人を、交通機関の混雑名状すべからざるときでも帝都に呼びつける。甚だしきは青二才の下僚官吏がその道に二十年三十年の経験者である社長に出席を要求したり、重役に出て来いと言ふ。会議は素人である官吏が責任逃れをするために開かれると言つても差支へない位だから、一応参会者にものを甘はせる機会を与へても、根が素人では判りやうがない。従つて決して民間人の申出でが理解出来やう筈もなく、元来彼等の手続きに捕はれての会議に過ぎないと見ねばならぬ。その道に精通してゐる何十年もの経験者を、素人たる若者が呼ぶといふことが、本来なら間違ゐであつて、必要があるならば辞を低くして教へを乞ひに出かけて来るべきである。会議といふ名目で人を呼びつけ即成の取つてつけた思ひ附きを尤もらしく説明して反対意見を出させぬやうに仕組んであるだけなのである。挙句の果には飲んだり、食つたりすること許り〈バカリ〉考へてゐる。『会議会議で日を暮す』といふのは、あながち不景気のときばかりに限らず、忙しい戦争のさ中にも相も変らず同じことをやつてゐたのであつた。真に会議の必要なこともないとは云へないが、無駄な会議ほど損失の大きいものはないので、事を迅速に運ぶには責任あるくろうとに一際〔一切〕を任せるととが最も捷径である。
 自分達が考へたり、でつちあげたことに箔をつけるための会議は今後一際止めねばならぬ。『会議は踊る』といふ言葉もあり映画もあったが、価値なき会議を非難する実例は外国にも多く殊に国際会議などのあるときにもとかくの批判が少くない。戦争中『日本から会議と印形とを葬つては何うか』と某外人は言つた。能率的な事務を執る上から見れば、誠に尤もな言葉であつて、べたべたと捺印する為に書類の渋滞すること夥しく、俗に官庁事務は非能率の代名詞になつてゐるが、これは断然改革さるべぶことである。自分の捺印がその書類にはないから、責任は持てぬとか、己れは知らぬと称して、円滑に取運ばるべきことさへ暗礁に乗上げる実例も耳にする。形式的な官僚のやるあの会議の空気の濁つた朗かさのない実状を見れば、一度列席しただけでもその効果の如何は直ちに窺はれるのである。最近は集会といふ会議とも何ともつかない集まりを到るところでやつてゐた。只今会議中で不在であるとか、会議中だからといふ電話の断りとか用事を果すことの出来ない苦い経験は、誰しもが持ってゐることであらう。割拠主義の欠陥をカムフラーヂするための会議も多いやうだ。各省各局がそれぞれ割拠してゐて権限争ひと責任のありかを問ふことの多いために之を会議で解決しやうとする。割拠主義を棄て、書類の温存をやめ、誰でもが自分の責任を明にすれば会議を開いて小田原評定をするよりも遥に速く、事務が進む場合が多い。尚あらゆる面に於てくろうとが指導的地位に立つやうな社会機構、行政機構にならなくては能率のあがりやうがないのであるから、この機会をエポックとして無駄な会談合理性なき会議は自然消滅をさせねばならぬ。
 上下〔裃〕袴を着たやうな昼の会議では、何となくぎつごちないから夜は宴会といふ会議の継続である。話は酒を飲むことによつて早く定かると称して相手を馳走し、所謂お茶屋会談や待合政治をやるが、元来官吏などが毎日毎晩料亭やお茶屋に民間人と共に出入すること自体か絶対に避けねばならぬことなのである。日本のやうにビジネスがかやうなところで行はれるとすならば、会議は勿論、種々な点に於て革新を要する執務上の欠陥が存することを裏書きしてゐるものと断じてよい。聞くも語るもその煩に耐えないほどの数多き醜事実は省略するが、会議そのものに関する根本的な考へ方を変へる必要がある。無駄な会議は止めやうではないか。かやうな社会生活を改革することは、公的私的の生活の合理化を意味することになり、それだけ無駄がなく、時間の浪費も減じて生活が科学化されることにある。是非共エキスパートの即決主義で仕事を敏速に取運んでゆけるやうな機構にしたい。
 殊に官尊民卑の標本のやうに席を定め、会議に於ける発言の準備をするに充分な時間を与へないで、議案を会場で手渡しするのがかうした無駄な会議の悪習慣になつてゐる。議案は元来半ケ月又は一ケ月前に送付して検討するに充分な時間を与へ、自由に且漏れなく発言せしめ意見の発表を求めてこそ、会議の目的が達成されるのである。何々委員会、何々審議会などと沢山ある会議も大同小異で、形式的なものや委員会の手当てだけを狙つたやうなものは悉く止めるがよい。此点から日本では学会が最も合理的で大きい効果を挙げてゐると言へやう。矢張り科学化されてゐるところに合理性が顕はれると言つて差支へなく、無意味な会議は多くの忙しい人に迷惑をかけるだけで何の実績も認めないのが事実である。形式主義な会議は無駄な会議であつて科学的ではない。われわれの公的生活を科学化することが必然的に要請される今日、無駄な会議は排除せねばならぬ。

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