◎土井八枝さんの「仙台方言集」はウソから出たマコト
橘正一著『方言読本』(厚生閣、一九三七)から、「昭和方言学者評伝」を紹介している。本日は、その二一回目で、〔高知県〕の項を紹介する。
〔高 知 県〕
土井八枝〈ドイ・ヤエ〉さんは、土佐に生れて、仙台の晩翠さんにお嫁入した人である。この人について、私はかつて斯う〈コウ〉書いた事がある。
大正八年〔一九一九〕は婦人参政権運動の華やかな年であった。ある日、仙台本荒町〈モトアラマチ〉の土井晩翠さんの家に、一人の見知らぬ男が訪れた。夫人が出てみると、それは河北新報の記者であった。「一つ婦人参政権についての御感想を……」といふのが訪問の趣旨であつた。「まア、私みたいな者に何が判りませう。オホホホ」夫人は笑に紛らして、撃退しようと努めたが、記者は、そのまま引下がる程の新米でも無かつた。「お国はどちらです」「土佐です」「土佐ではデとジとを使ひ分けるさうですね」といふ様な事から、話は仙台弁の事に移り、夫人が初めて仙台に来て、言葉が判らなくて困つたこと、当時書きためて置いた仙台方言集のノートがあることを話し、そのノートを行李〈コウリ〉の底から取出して見せた。記者イヤ結構です。一つ御出版になつては……」夫人「出版なんて、思ひも寄りません」その日は、それで別れた。あくる日、朝早く起きて、新聞を手に取つて見ると、アツと驚いた。「土井晩翠夫人、仙台方言集を完成す」といふ一号活字の大見出しで、デカデカと書かれてあるではないか。しかも、二三日中には印刷に附せられるといふ有難い御吹聴。夫人は半ば、呆れながらも、「私の知つた事ではない」と、強ひて冷静を装うて居た。しかし、世間では承知しなかつた。「仙台方言集御出版の由、小生にも一部お頒ち被下度〈クダサレタク〉候」といふ手紙が、それからは、毎日、十数通づつ配達されて、夫人を驚かした。中には、世が世ならば、お目通りも協はぬ〈カナワヌ〉様な高貴の身分の方から、「早く見たいものだ」といふお言葉があつたと、その家令から伝へられた。かうなつては、今さら、「うそだ」と言切るわけに行かない。それからは、本気になつて、掃除や洗濯のあひまあひまに、襷〈タスキ〉を外しては、方言集の整理にかかり、かくして、うそから出た実【まこと】の結末を附けた。
これが、夫人自身の告白する「仙台方言集」の成立ちである。これによれば、「仙台方言集」は、チヨツトした偶然の機会から世に出た様に思はれるが、その後十六年を経て、今再び同じ人によつて、「土佐の方言」が上梓されたのを見る時、我々は夫人がいかに謙遜しても、この二つは、決して偶然の所産ではない事を信じなければならない。齢〈ヨワイ〉六十に近くして、郷里の方言の集成を思立ち、仙台から土佐まで三百三十里の水陸を凌ぎ、九月廿五日から十一月十九日まで、四十日の日子を多忙の内からさき、それでも尚足れりとせずに、翌年再度の土佐行きを決行して、誤を訂すなど、世間並みの主婦のレべルから見れば、殆ど常軌を逸したかに見える此の行為は、内に烈々たる郷土愛と方言思慕とが無ければ、企て及ばない事である。しかも、夫人はこの間の苦しみは露ほども現はさず、却つて、喜びだけを紙一杯に笑ひこぼして居る。一切の報酬を思はず、ひたすらに、仕事そのものに喜びを見出す崇高な姿を、私は此処に見る。期待が大きければ、失望も大きい。仕事そのものに喜びを見出す人は幸福である。夫人の如きは、最も幸福な一人であらう。夫人の此の一種の我侭を寛容して、大賛成で土佐行を勧めた晩翠さんにも敬服する。
フランスでは、世間的に名を成した名士が、日本の文学青年のやる様に、下手くそな自分の詩を集めて、一冊の本に作り、之を親戚知人に配るのを道楽として居るさうである。それも結構である。詩集の代りに、方言集を以てしたならば、更に一層結構であらう。早く郷関を出て、都会にあつて、苦闘の末、功成り名遂げて身退いた後、遥かに故郷の山河を偲び、懐旧の情やる方なく、ここに、少年時代の方言を集めてみようとする気を起したとすれば、詩集などよりも一層人間的な味はひがある。今の所、方言学そのものが若いので、これに従事する人も【おおかた】若いが、方言学が老境に這入れば、かういふ趣味的出版も多くならうと思ふ。「土佐の方言」は、その前駈として見るとき、一層意味が深い。それにしても、女人の方言集は珍しい。古く、仙台には、伊達家の老女匡子の集めた「浜荻」があるが、明治・大正・昭和を通じては、土井八枝さん一人あるのみである。
本書の内容については、今批評する用意は無い。ただ、本書は、土佐方言集としては殆ど唯一のものである事と、殆ど毎語用例を添へた事は他に類の少ない事である点とを挙げて置く。
右の文を書いたのは昭和十年〔一九三五〕であつたが、最近(昭和十一年〔一九三六〕十一月)高知女子師範から、「土佐方言の研究」が出た。教諭宮田直太郎氏の担任指導に成るものである。これは土井八枝さんの著と異り、百八十九ケ町村の小学教員と、四百人の師範学校生徒とを動員して、広く全県から材料を集めた点に特色がある。たとへば、拗音のクヮが存在しないといふ事を言ふために、県下百四十六ケ町村について調査したなどは驚くべき忍耐である。幡多郡は、音韻・語法・単語に於て、土佐一般と異り、むしろ関東方言に近いといふ事を実証したのは本書の一大功績である。特に、アクセントに於て、その傾向が著しい。その境界線は、山間部はほぼ郡界と一致して居るが、海岸部は著しく西に偏して、幡多〈ハタ〉郡白田川村〈シラタガワソン〉に及んで居る。
橋詰延壽氏には単行本は無いが、「高知教育」に連載された方言集は土佐人だけが見るには惜しいものであつた。宮地美彦氏には「土佐方言集」といふ大著があるが、まだ実物を手にしない。