礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

中村清兄『扇と扇絵』の「あとがき」を読む

2018-09-21 04:30:16 | コラムと名言

◎中村清兄『扇と扇絵』の「あとがき」を読む

 昨年の八月一六日、〝西神田「日本書房」と四天王寺の扇面写経〟というコラムを書いた。そのとき、中村清兄〈キヨエ〉著『日本の扇』(大八洲出版株式会社、一九四二年八月初版)という本に言及した(このとき参照したのは、一九四六年五月の再版)。
 その後、本年になって、同じ著者に、『扇と扇絵』(河原書店、一九六九年八月)という著書があることを知った。まだ、ザッと目を通しただけだが、これもまた、『日本の扇』と同様、名著らしい雰囲気を漂わせている。
 本日は、その「あとがき」を紹介してみたい。

   あ と が き
 前に書いた「日本の扇」にあとがきを付けたので、この本にも書くこととする。
 まず、第一にこの本の見返しの用紙について記す。この紙は、国宝扇面古写経の料紙と同質で、糊地〈ノリジ〉という扇の料紙である。この料紙は斐紙〈ヒシ〉に加工したもので、少なくとも八百年の昔から明治まではその製法がつづいて来て、大いに用いられたのであるが、その後、改良紙などがあらわれて、扇地紙が変わったが、それでも今日もなお私のところ〔中村松月堂〕では用いている。
 この紙に、今、例の扇面古写経帖の中でも有名な大形の男女の描かれた七夕祭の絵を木版で原本大に刷った。これで扇面古写経の扇紙の製作中の一時期を偲ぶことができるはずである。原本では木版の骨描きを印刷する前に、金銀の砂子〈スナゴ〉などの装飾をほどこしているのであるが。
 次に、まったくこれとはことなったことではあるが、近頃は学者がいろいろと実際を無視した学説というものを書いているのであるが、日本人は学者に大変によわく、学者の言うことは何でも鵜のみに信用するのでまことに困るということを記しておく。学者の書くものが、専門書である場合は影響するところはかえってすくないが、それが通俗な本であるほどその影響は大である。今は亡くなった東京国立博物館の有名な先生が「日本の美術」というシリーズに扇が中国伝来であるなどと書いていることは、困ったことだ。このような説を出すためには、十分な資料を公開するのが本来である。不用意にただそう思うだけでこんなことを書かれてはこまるのである。また、ある学者は、「扇絵名品集」に、『「浮折〈ウケオリ〉」の扇は堂上の所用、「沈折〈シズメオリ〉」の扇は武家や一般の所用となった』などと書いているのであるが、これも実際を知らぬ言である。私たちは実際に作ってこれを禁裡や公家衆に売って来たのであるから、まちがいはない。そうかと思うと、「国宝」と題した立派な本には、四天王寺の扇面古写経の料紙の装飾や絵画の製作について、実際はできそうもないことをまことしやかに書いている。人をまどわすことだ。またある東京の有職学者は蝙蝠扇〈カワホリオウギ〉と中啓〈チュウケイ〉を混同してこれも「日本の美術」に書いている。中啓は桧扇〈ヒオウギ〉の代用にされるものだから、冬の扇でなければならぬし、蝙蝠扇はもちろん夏扇〈ナツオウギ〉であるから全く別ものである。この二つの混同はこれは机上の学問であって、徳川時代の伊勢貞丈〈イセ・サダタケ〉などの有職学者故実学者がその著書に記していることで、実際とは全くことなるのである。私たちは夏扇といえば蝙蝠扇であり、決して中啓を売りはしないのである。
 とにかく、学者はとかく知らぬということが言いにくいものらしい。だから、何でも知っているように言ったり書いたりするものだということを十分に知っている必要があるし、一方、日本人があまり学者に弱いからで、それでは困るというためにちょっと注意をうながしたにすぎぬ。近頃は何でも事実々々と言い、史的事実ということを言いすぎるので、わからぬことまでも知ったようにせねばならぬ。その弊害は、量り知れないことだ。
 その点、学問がまだ西洋的な実証をもととする時代でなく、また学問がそれほど売りものになっていなかった時代は、かえってよろしかった。たとえば、歌舞伎にしても能楽にしても、今日から見れば随分と時代錯誤も、はなはだしい衣装をつけているけれど、これはそうしたことにこだわらず約束であると知って見ているのであるから何ともかまうことはない。神体はこういう衣装、女人はこうと決めてあるので、全く最初から作りものであることを自らあきらかにしている。だから、歴史的事実だなどとまどわされることはないのだ。まやかしをしてはならぬということである。今日のように学問が権威づけられれば一層このことは大切である、ということを書いておく。
 次に、この本では、直接に必要と思われないようなことまで書いたところがある。それはいろいろな意味で読む人の注意を喚起したいためである。それからまた、随分とくどくどと書いたところがある。実証史学の立場の標本をしめしたにすぎないが、最初にものを人々に提示するためにはまだまだこれだけではすまないであろう。石橋をたたいて渡る必要がある。史学のような人文科学では、実験追試ができないために何人にも首肯される必要があるからである。読者の人々には煩雑であろう。御寛恕願いたい。なお、尺度はすべて寸尺によった。本来寸尺でつくられているものであって、メートル法ではいわれのない端数が出るからである。
 次に、扇がこの世にあらわれて以来今日までそれから将来とも扇が人々に使われている間中いつまでも、この扇を手がけた人も、手がけぬ人も皆それぞれにこの本の完成に直接間接に積極的に消極的に力をあたえられた人々である。その人達すベてに感謝の意をささげたい。それから、前書「日本の扇」の再版を再三うながされた書肆の河原武四郎氏が本書の版行を見ずに世をさられたことは残念である。御冥福をいのってやまない。
  昭 和 四 十 四 年

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