◎慶應義塾講堂新築工事仕様書(1886年7月)
昨日、紹介した資料の中に、「神作浜吉」という人名が出てきた。どういう人物か気になったので、インターネットで調べてみた。国立国会図書館のデータで、生没年はわかったが(一八六六~一九三八)、「読み」が判明しなかった。
神作浜吉には、多数の著書があり、そのうちの『まつり』(宝文館、一九三一)は、だいぶ前に一度、手に取った記憶がある。
一八九四年(明治二七)に博文館から出た『日本工業用文』という本は、今回、初めて閲覧したが(インターネット上で)、情報量が多く、興味深かった。中に、慶應義塾が講堂を新築した際の「仕様注文簿」の全文が掲載されていた。その末尾には「明治十九年七月」(一八八六年七月)とある。本日は、この冒頭部分を紹介してみよう。
左に記載する仕様書は過る十九年中故工学士藤本寿吉氏が慶應義塾の依頼に応じ同塾新築講堂を設計するに当り起草せし者にて当今に於ける仕様書の好摸範なり
東京芝区三田二丁目二番地慶應義塾講堂新築
仕 様 注 文 簿
一 二階建煉化家屋 軒高地上ヨリ三十三尺七寸五分/総建坪平屋共百三拾九坪九合五勺二才
附て
火筒 四焚口 四ケ所
唐戸付
イ印 表入口欄間附両開 高九尺九寸/巾六尺 壱ケ所
唐戸付
ロ印 裏入口欄間ナシ両開 高六尺巾五/尺 壱ケ所
唐戸付
ハ印 両側入口欄間附キ両開 高十尺一寸/五分巾五尺 弐ケ所
腰硝子戸付
ニ印 中仕切口欄間附キ両開 高九尺巾六/尺 壱ケ所
腰硝子戸付
ホ印 中仕切口欄間附キ両開 高九尺巾六/尺 弐ケ所
腰硝子戸付
ヘ印 中仕切口欄間なし両開 高九尺/巾六尺 壱ケ所
上ケ卸硝子戸付
ト印 梯下外側窓 高六尺八寸/巾三尺 三十二ケ所
上ケ卸硝子戸付
チ印 同間内窓 高六尺八寸/巾三尺五寸 壱ケ所
上ケ卸硝子戸付
リ印 梯上外側窓 高七尺三寸/巾三尺五寸 三十ケ所
上ケ卸硝子戸付
ヌ印 同裏側大形窓 高七尺五寸/巾四尺九寸 壱ケ所
開き腰硝子戸付
ル印 同外側出口窓 高十尺〇五寸/巾四尺九寸 壱ケ所
唐戸付
ヲ印 間内入口欄間附片開片開 高九尺/巾三尺五寸 拾八ケ所
唐戸付
ワ印 間内入口欄間附両開 高九尺/巾四尺五寸 六ケ所
腰附硝子戸付
カ印 間内入口欄間附両開 高九尺/巾五尺 壱ケ所
槻造梯段 段巾登桁内法五尺/
踏面巾壱尺壱寸五寸 段数二十五段 壱ケ所
檜造附ケ腰掛 長六尺/巾一尺五寸 壱ケ所
梯上天井改め口 内法二尺五寸角 壱ケ所
屋根上裏側出口 高尺巾二尺空気抜戸付/
小屋内踏道とも出来 壱ケ所
漆喰塗出前揃 丸形焚釜灰止め青石とも 弐ケ所
同柵計り 大焚釜なし灰止石有 六ケ所
同花形中真飾 梯上大広間 弐ケ所
ランプツリ鉄蛭釻中真飾なし 六ケ所
左右及裏入口上庇太さ格好図面の通り 三ケ所
正面甍空気抜 カラリ戸口 三ケ所
右煉化家二階建新築工事執行【シツカウ】に付注文仕様左の通り【以下、次回】
「煉化」は原文のまま。「煉瓦(れんが)」のことであろう。「火筒」は、ここでは「ひづつ」と読み、ボイラーの意味。カ印「槻造梯段」の「踏面巾壱尺壱寸五寸」は、「踏面巾壱尺壱寸五分」の誤記または誤植であろう。「槻造」の読みは「けやきづくり」、「梯段」の読みは、たぶん「はしごだん」。「踏面」の読みは、「ふみづら」。同じくカ印「ランプツリ蛭釻」の「蛭釻」読みは、たぶん「ひるかん」。
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