礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『資本論』の完訳版を最初に出したのは新潮社

2018-06-15 00:09:38 | コラムと名言

◎『資本論』の完訳版を最初に出したのは新潮社

 百目鬼恭三郎著『新潮社八十年小史』(新潮社、一九七六)の紹介を続けたい。本日は、「Ⅲ 翻訳出版の八十年」から、「ニーチェとマルクス」の項を紹介してみたい。

 ニーチェとマルクス ここで、文学以外の翻訳についてざっと紹介しておくと、まず注目されるのは、明治四十四年〔一九一一〕一月に出版された生田長江訳のニイチェ『ツァラトゥストラ』であろう。ニイチェは、明治三十四年〔一九〇一〕に高山樗牛【ちよぎゆう】や登張【とばり】竹風がその超人思想を紹介してから人気が出て、『ツァラトゥストラ』も竹風〈チクフウ〉によってすでに二度抄訳出されていた。しかし、完訳はむろんこの長江訳が最初で、これが日本の思想、文化に与えた影響はすこぶる大きいといわなければなるまい。
 新潮社では、その後、生田長江の訳による全二十巻の『ニイチエ全集』(大正5―昭和4年)、竹山道雄他訳の十二巻の『ニイチエ全集』(昭和25―28年)と、二回にわたって全集を刊行しているほか、阿部次郎『ニイチエのツアラツストラ解釈並に批評』(大正8年)などを出していて、ニイチェとの縁は深い。
 次いで挙げるべきは、大杉栄訳で『新潮文庫』に収められたダアウイン『種の起原』(大正3―4年)であろう。当時の大杉は、発行する『平民新聞』が次々に発禁を食っていたころで、新潮社と関係をもつようになったのは、生田長江を通じてであったらしく、大正四年〔一九一五〕には、長江と共訳でルソー『懺悔録』を『翻訳叢書』から出している。「何かやらしてくれというので、『種の起原』の訳をたのんだ。出来たのを見るとなかなか立派な訳である。翻訳については長い間苦しみ抜いて来た私は、いい訳を見ると有難くさえなる。そんなことから、雑誌の原稿も頼んだり、論文集を出したりした」と、『出版おもいで話』に書いているように、佐藤義亮は大杉の翻訳家としての力量を高く買っていたようだ。大杉訳の『種の起原』は、三番目の邦訳になるが、『岩波文庫』の小泉丹〈マコト〉訳よりは十五年も早い。なお、新潮社から刊行された大杉の論文集は『生の闘争』(大正3年)と『社会的個人主義』(大正4年)である。
 それから、高畠素之【もとゆき】訳のマルクス『資本論』四巻(大正14―15)は、日本で最初の『資本論』の完訳であり、これが社会思想に及ぼした影響については今さらいうまでもあるまい。このころの高畠はすでに国家社会主義者に転じていて、懐〈フトコロ〉に短刀を忍ばせ酒を飲んでけんかをしかけるといった生活で、評判はよくなかったが、学識の点では抜きんでており、やはり新潮社から出した『社会問題辞典』(大正14年)は、その豊かな学識を十二分に発揮し、しかも解説がきわめて平易な名著である。
 なお、新潮社が大正十五年〔一九二六〕から刊行を始めた『マルクス著作集』は、猪俣津南雄〈イノマタ・ツナオ〉訳『経済学批判』と高畠素之訳『哲学の窮乏』の二冊にとどまったが、戦後は十六巻の『マルクス・エンゲルス選集』(昭和31―37年)を刊行している。
 次いで注目されるのは、大正十三年〔一九二四〕から昭和二年〔一九二七〕まで刊行された全二十一冊の『社会哲学新学説大系』であろう。ベルグソン『時間と自由意志』、スミス『富国論』、プラトーン『理想国』、カント『実践理性批判』、ポアンカレー『科学と臆説』などをふくむ叢書で、春秋社版『世界大思想全集』などの先駆的な役割を果たした。
 大正末から昭和初頭にかけて、新潮社がこうした人文社会科学関係の翻訳物を意外ともいえるほど精力的に出しているのは、むろん時世のしからしむるところである。しかし、この種の出版は、もともと新潮社の体質に合っているとはいえないから、概して、あまり成功はしなかったらしい。もっとも、大正十五年に刊行した『社会問題講座』十三巻は、円本が現われるまではもっとも成功した予約出版といわれている。この企画は、佐藤が早朝静座をしていた時、眼の前を流れてゆくものがあり、びっくりして眼を見張ったところ「社会問題講座」という六字が頭の中にひらめいて生まれた、という話が残っている。

 この間、『新潮社八十年小史』の紹介をおこなってきたが、明日、もう一箇所を紹介し、そのあと話題を転じる予定である。

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