◎千種達夫君は頑として聞き入れない
前野茂著『満洲国司法建設回想記』(非売品、一九八五)から、第九章第二節「司法記念日の設定と親属継承法」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。昨日、紹介した部分のあと、改行して次のように続く。
法文の口語体化は千種〔達夫〕君年来の主張であって、満洲国親属継承法の起草を機に日本文原案を口語体で書き、他の法律にその影響を及ぼして満洲国の法律(日本文のもの)全部を口語体に改めしめるだけでなく、その影響を日本にも及ぼし、日本の法律もゆくゆくは口語体に改めしめようというのが彼の抱く理想であり抱負であった。小説でも評論その他公にされる民間文章はすべて口語体化されているにもかかわらず、法作文だけが旧来の慣例に従って文語体を用いるのは時代錯誤であると主張して彼は一歩も譲らない。
反対説の多くは時機尚早論で、口語体説をとおそうとすれば、総務庁その他の機関を説得してそうした機連を興す必要がある。それをしないで突如本法案だけを口語体にして法制処に提出しても、相手を驚かせあきれさすだけで現状勢下では絶対に通るはずがないから止めておけというのであるが、その他にも本質論として口語体は法律文としては馴染まない、口語体には品位格調に於て文語体に劣り、厳格な規律を明定する法律文としては不適当であるというのがあった。
私としては千種君の説には先見の明があるような気がし、時代が進めばいつの日かそういう変化が生ずることがあるかも知れないけれど、そうした機連を作り出す運動もしないで突如口語体法案を提出しても、総務庁がこれを通すはずがないと思ったし、万歳〔規矩楼〕民事司長も私と同意見なので、このところ文語体にするよう説得に努めたが、彼は頑として聞き入れない。そこで私は〔武部六蔵〕総務長官や法制処の意見を尋ねてみたところ、一笑に付される始末なので、千種君にその旨伝え、かくなる上は口語体で法制処に出すことにしよう、しかし向こうでそれを文語体に直したからといって不平をいい騒ぎ立てることはせぬように釘をさし、彼も納得して口語体のまま法制処に提出した。当時の法制処長は関根小卿君、参事官は土肥三郎君であったが、口語体は時期早尚として退けられ、千種君の希望は夢と消えたのであった。
文語体化された親属継承法はその後所定の手続きを経て一九四五年七月一日公布された。千種君が司法部参事官として着任して以来、実に六年十ヵ月を経過している。日本敗戦、満洲国亡滅直前のことである。
千種君は表面柔和で、興奮したり、怒る顔を見せたりなど決してしないけれど、一旦こうと決めた以上他から何といわれようと主張を曲げない芯の強さと、粘っこさを持っていた。その妥協のなさと、ねちねちさが他の科長参事官に好まれず、また来満以来絵を始め、慣習調査のため全満各地を回る時もスケッチブックを携えていたので、外から見ると仕事よりも趣味のための出張とうつったふうで反感を招き、私にいい如減に彼の調査出張を制限したらどうだと忠言する人さえ現れる始末であった。しかし慣習調査は学問上非常に貴重な仕事であり、千種君のような粘り強い人にして初めてできる仕事と考えていたので、彼の仕事が長引いても一切干渉しなかった。
さて本法の特色とするものをあげれば次のとおりである。
(1)女子の法律上の地位については慣習に従って男系主義をとりながらも新時代の要求に従い、女子の法律上の地位もある程度認め、慣習と異なる種々の規定を設けたこと。
(2)慣習上家の経済的基礎として家産制度があり、このあるがままの家産制度を法制化した。これは他に類例を見ない立法であり、その法制化が立法技術上困難であった。
(3)慣習となつている妾を表面上保護することもできず、といつて現に有する妾の保護を奪うこともできず、既得権を規定することも適当ではない。そこで「同一ノ姓ヲ称へ家長又ハ家族ト終身ノ共同生活ヲ営ム者ハ親属ニ非ザル者ト雖モ之ヲ家族ト看做ス」として、妾のことばを用いず妾を間接に保護することにした。
(4)同宗、すなわち男系の同一子孫は何代を経ても結婚できないというのが、古来の慣習であり道徳である。日系委員の間からはこれは不合理であるとの説もでたが、民国の民法と同じく同族は八親等まで結婚を禁じた。
(5)慣習に従い「嗣子」(日本の養子)と「養子」とを認め、嗣子は家産及び宗祧を継承するが、養子は継了しないものとした。
最後に出てくる「宗祧」は、日本ではあまり聞かない言葉である。読みは、「ソウチョウ」で、宗廟(祖先のみたまや)と、ほぼ同義と思われる。
この、『満洲国司法建設回想記』という本は、この間、紹介した箇所以外にも、いろいろと、興味深い箇所がある。しかし、これらの紹介については、機会を改め、明日は、話題を変える。
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