礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

吉本隆明「関係の絶対性」と親鸞のいう「業縁」

2013-07-25 08:27:40 | 日記

◎吉本隆明「関係の絶対性」と親鸞のいう「業縁」

 昨日のコラムで、「自由な選択にかけられた人間の意志が、それを上回る何かによって制約されるという発想を、吉本は、親鸞の『歎異抄』から得たのではないだろうか」と述べた。
 そういうことは、すでに誰かが指摘しているのかもしれないが、一応、オリジナルな視点だと思っている。本日は、この視点について説明してみたい。
 吉本隆明の「マチウ書試論」の場合、「自由な選択にかけられた人間の意志」を上回る「何か」とは、「関係の絶対性」であった。
 一方、親鸞の『歎異抄』においては、「自由な選択にかけられた人間の意志」を上回る「何か」とは、「宿業」というものである。こうした考え方が、端的にあらわれているのは、第十三条である。
 まず、原文を引いてみよう。ここでは、梅原真隆〈ウメハラ・シンリュウ〉訳注の角川文庫版にある原文を使う。

 またあるとき唯円房〈ユイエンボウ〉はわがいふことをば信ずるかとおほせのさふらひしあひだ、さんさふらうとまふしさふらひしかば、さらばわがいはんことたがふまじきかとかさねておほせのさふうらひしあいだ、つつしんで領状〈リョウジョウ〉まふしてさふらひしかば、たとへばひと千人ころしてんや、しからば往生〈オウジョウ〉は一定〈イチジョウ〉すべしとおほせさふらひしとき、おほせにてはさふらへども一人〈イチニン〉もこの身の器量〈キリョウ〉にてはころしつべしともおぼへずさふらふとまふしてさふらひしかば、さてはいかに親鸞がいふことをたがふまじきとはいふぞと。これにてしるべし。なにごとも、こゝろにまかせたることならば往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁〈ゴウエン〉なきによりて害せざるなり。わがこゝろのよくてころさぬにはあらず。また害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべしとおほせのさふらひしかば、われらがこゝろのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて、本願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることをおほせのさふらいしなり。

 原文では、意味が通りにくいと思われるので、現代語訳を付す。これは、梅原真隆によるものである(若干、かな遣いを変えた)。

 また、ある時、聖人〈ショウニン〉が「唯円房よ、そなたは親鸞のいうことを信ずるか」と仰せになったから「さようでございます」ともうしたところ、「それでは親鸞のいうことに違背しないか」と重ねて仰せになったから、つつしんでお受けもうしたところが、「では、ひとを千人殺してみせないか、そうしたら、きっと浄土へ往生することができる」と仰せになったとき「せっかくの聖人の仰せではございますが、この私の器量では千人はおろか、一人だって殺されそうにもおもわれません」ともうしあげたところが、「それでは、どうして親鸞の云いつけには違背いたしませんなどというのか」ときめつけられたことがある。そして言葉をつづけて「これで思い知らねばならぬ。どんなことでも思う存分にできるものなら、浄土へ往生するために、千人殺せといわれたら、そのとおり千人殺しうるであろう。けれども一人でも殺せる業縁のないときは殺せないものである。殺さないからといってもそれは自分のこころが善いから殺さないのではないのである。またその反対に、殺すまいと思うていても、百人も千人も殺すことがあるかもしれぬ」と仰せられた。この仰せは私たちが宿業ということに気づかず、ただ自分のこころにまかせて善いとおもうことをすれば、往生するのに都合がよい、悪いことをすれば往生するのに都合が悪いとはかろうて、他力の本願の不思議なおはからいひとつで救われるということにに気づかないことを、反省させてくださるお言葉であったのである。

 引用部分には、「宿業」という言葉が出てこないが、梅原真隆による現代語訳には、「宿業」という言葉が出てくる。『歎異抄』においては、これが、「自由な選択にかけられた人間の意志を上回る何か」である。
 ちなみに、引用部分には、「業縁」という言葉が出てくる。「宿業」と似たような意味の言葉だと思うが、どこか、吉本隆明の「関係の絶対性」を連想させるのは興味深い。

今日の名言 2013・7・25

◎わがこゝろのよくてころさぬにはあらず

 親鸞の言葉。『歎異抄』第十三条に出てくる。自分の心がよいから人を殺さないというわけではない。上記コラム参照。

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