礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

内村鑑三、「民族的自覚と規範的信仰」を説く

2013-11-01 05:33:58 | 日記

◎内村鑑三、「民族的自覚と規範的信仰」を説く

 昨日に引き続き、内村鑑三著・鈴木俊郎訳の岩波文庫旧版『代表的日本人』に付されている鈴木俊郎氏の「解説」を紹介する。
 本日は、昨日引用した部分に続く部分を紹介する。ページでいうと、一八二ページにあたる。なお、傍点は、ゴシックで代用した。

 併し此の世界に向つて紹介せらるべき真の日本、西洋人に対して弁護せらるべき真の日本人といふものは、単に「自己防衛の本能」によつて西洋的勢力を排撃すればそれで見出されるものではない。それが見出されるためには、一方に於て我等に民族としての強い自覚がなければならないと同時に、他方に於ては民族を超えた(併し同時に民族を基礎づける)規範(すなはち神、天、道、正義)への固き信仰がなければならない。この二つが同時に互にはたらいて我等に反省と批判とを与へ、我等をして真の日本と日本人とを直観せしめるのである。これを逆に言へば、真の日本と日本人は我等に民族的自覚と規範的信仰とがあつて始めて見出されるのである。それゆゑ著者に於て見出された「代表的日本人」は、著者に此の二つのものの強くはたらいた結果であつたと言ふことができる。即ち日本と日本人に対する著者の反省と批判の結果であつたと言ふべきである。
 こゝに於て我々は本書の性格の両面を見ることができる。即ち一つの面は、日本の西洋に対する自己防衛である。日本の民族的自覚に基づく西洋からの独立の主張である。他の一面は、道徳的規範による日本への自己批判である。神、天、道、正義の信仰に基づく日本への審判と警告である。我我は此の二つのものが本書の性格を形成してゐることを忘れてはならない。

 ここにいたって、鈴木俊郎氏の「解説」は、真骨頂を見せる。「解説」は、内村鑑三の『代表的日本人』の性格について、「日本の西洋に対する自己防衛」という面と、「道徳的規範による日本への自己批判」という二つの面があると指摘する。
 この「二つの面」の指摘は、内村鑑三の『代表的日本人』という本に対する指摘として的確であると同時に、内村鑑三という思想家に対する指摘としても的確なのではないのか。
 しかも、これが重要なことだが、鈴木俊郎氏のこの「解説」は、内村鑑三の『代表的日本人』の解説という形をとりながら、実は、その当時の「時局」に対する解説になっているということである。すなわち氏は、日米戦勃発の直前という時点において、「日本の西洋に対する自己防衛」も大事だが、「道徳的規範による日本への自己批判」を忘れてはならないと述べているのである。
 これは明らかに時局的な発言であり、しかも勇気のいる発言だったと思う。昨日のコラムで、この解説は「それ自体、資料的価値を有するものだ」と述べたのは、そういう意味だったのである。【この話、さらに続く】

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