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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ソ連空軍は東京爆撃の構えさえ示していた(石橋恒喜)

2021-02-21 01:00:15 | コラムと名言

◎ソ連空軍は東京爆撃の構えさえ示していた(石橋恒喜)

 石橋恒喜著『昭和の反乱』(高木書房、一九七九年二月)の上巻から、「十三 皇道派への反発強まる」の章を紹介している。本日は、その三回目。

 記者団、建設中の満州国へ
 八月人事〔一九三四年八月〕の直後、私は記者クラブの友人数名と語らって、戦時態勢下の満州国の視察旅行に出かけた。兄事する航空兵少佐の平田勝治から、ソ連国境や満州国の建設状況を見にこないか、とのすすめがあったからである。そのころ平田は参謀本部第二課(作戦)から転出して、関東軍司令部航空参謀の職にあった。私は〔東京日日新聞〕社会部長の堤為章に特別休暇を申請して、奉天経由、新京(長春)へ向かった。
 新京へ着いてみると、折りから壮大な首都建設工事のまっ最中。マーチョ(馬車)のまき散らす馬糞のホコリの舞い上がるなかを、建設の槌音が高らかに響いていた。出迎えに来てくれた軍司令部の副官が〝見てください! この馬糞臭い田舎町も、数ケ月中に近代都市へ変貌するはずですからね〟と胸を張っていた。
 当時、関東軍の参謀副長は、われわれと親しい岡村寧次〈ヤスジ〉少将であった。私たちのために、すぐ参謀部員を招集して、ソ満国境方面の情勢を説明してくれた。それによると、ソ連は着々と国境の防備を固めて、極東に大軍を集結中である。そして、〝決戦も辞せず〟と挑発的行動を示している。ことに堅固な防衛ラインを敷いているのは、東部の東寧〈トウネイ〉、綏芬河〈スイフンガ〉方面だとのこと。そこには厚いコンクリートで固めた〝トーチカ〟をズラリと並べて、難攻不落の要塞を作っているとある。しかも、この沿海州〈エンカイシュウ〉方面にはソ連空軍の精鋭、長距離重爆撃機の大集団を配備して東京爆撃の構えさえ示している。万一、内地が襲われるとあっては一大事だ。そこで関東軍としてはこの重爆集団をたたくと共に、是が非でもトーチカ群を突破しなければならない。イザという場合、どうしたらこの難敵を粉砕できるか、軍司令部としては頭の痛いところだ、との話であった。こうしてセミナーは、数時間に及んだ。トーチカというソ連の軍事用語も、この席で初めて耳にした。
 それまで〝無敵関東軍〟と信じ込んでいた私の心は暗かった。
 初代の満州国国務総理・鄭孝胥〈テイ・コウショ〉と会見したのも、この時である。いかにも聖人君子と呼ぶにふさわしい、老学者であった。岸信介〈ノブスケ〉ら経済官僚グループとも会って、その抱負を聞いた。満州国の経済建設のため、日本から派遣された人たちである。まだ、みんな若くて意気軒昂たるものがあった。【以下、次回】

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