◎林銑十郎は皇道派の追放をもくろんだが……
石橋恒喜著『昭和の反乱』(高木書房、一九七九年二月)の上巻から、「十三 皇道派への反発強まる」の章を紹介している。本日は、その二回目。
出現した〝悪魔の軍務局〟
やがて八月の定期大異動は迫った。林〔銑十郎〕は中央部から、皇道派の追放をもくろんだ。相談相手は渡辺錠太郎と軍務局長の永田鉄山であった。女房役の柳川〔平助〕次官と松浦淳六郎人事局長は、完全に無視された。主要な人事異動は次のとおり。
▽軍事参議官・松井石根〈イワネ〉(台湾軍司令官)▽軍事参議官・川島義之(朝鮮軍司令官)▽台湾軍司令官・寺内寿一〈ヒサイチ〉(第四師団長)▽朝鮮軍司令官・植田謙吉(参謀次長)▽参謀次長・杉山元〈ゲン〉(航空本部長)▽第一師団長・柳川平助(陸軍次官)▽陸軍次官・橋本虎之助(参謀本部総務部長)▽第二師団長・秦真次〈ハタ・シンジ〉(憲兵司令官)▽憲兵司令官・田代皖一郎▽歩兵第二十四旅団長・東条英機(士官学校幹事)▽陸軍省付・山下奉文〈トモユキ〉(陸軍省軍事課長)▽陸軍省軍事課長・橋本群〈グン〉(参謀本部課長)▽第十一師団長・古荘幹郎〈フルショウ・モトオ〉(参謀本部第一部長)
林としては、もっとも目ざわりな次官の柳川を田舎の師団長へ追い出し、憲兵司令官の秦はクビにする計画だった。が、真崎〔甚三郎〕が承知するはずがない。やむなく柳川を東京の第一師団へ、秦を仙台第二師団へ転出させた。表面上は栄転である。また、軍司令官級では、大阪第四師団長の寺内を朝鮮へ、航空本部長の杉山を台湾へ起用することを考えていた。しかし、この案にも真崎が反対した。〝植田を朝鮮へ出せ〟とがんばったので参謀次長には杉山が抜擢された。
植田が中央から追われたわけは彼が閑院宮をあやつって、反皇道派的策謀を繰り返しているとにらまれたからだ。寺内は遊びにかけてはベテランだが、軍司令官という人物ではない。せいぜい少将どまりの男だが、親の七光りで、いつの間にか最高のイスについてしまった。思わぬ拾い物をしたのは杉山元だ。波は宇垣系ではあるが〝昼行燈〟的存在だ。杉山なら御し易い、と真崎の目にうつったからであろう。東条英機も、真崎の注文で久留米の旅団長へ転出させられた。三月の異動で士官学校幹事に追い払ったものの、何かというと皇道派に循を突く。ここらで田舎の旅団長に飛ばしておいて、次の異動ではクビにしてしまえというのが真崎の腹づもりだった。皇道派の整備局長・山岡重厚〈シゲアツ〉と人事局長・松浦淳六郎は、そのまま陸軍省に居すわった。
また、少将に進級した皇道派のホープ・山下奉文も、陸軍省勤務となって辛くも皇道派の一角を死守した。
このような経過をたどって、八月異動は終わった。その結果は皇道派一掃の人事とはならなかったものの陸軍次官・橋本虎之助、軍務局長・永田鉄山、軍事課長・橋本群という新陣容が整った。そして軍事課の課員には、くせものの武藤章をはじめ影佐禎昭〈カゲサ・サダアキ〉、池田純久〈スミヒサ〉といった中堅幕僚が配置された。「永田軍政」は、いよいよスタートを切ったのである。憲兵隊ではこのグループを〝統制派〟と命名した。統制派というのは「部内に皇道、清軍両派の対立のあるのを非とし、軍中央部の一糸乱れざる〝統制〟の下に国家改造に進まんとする一団」のことを指す。皇道派はこれを〝悪魔の軍務局〟と呼んだ。【以下、次回】