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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

北一輝の無罪論は成り立ちにくい(津久井龍雄)

2018-02-26 02:22:31 | コラムと名言

◎北一輝の無罪論は成り立ちにくい(津久井龍雄)

 津久井龍雄は、その著『右翼』(昭和書房、一九五二)の中で、北一輝という人物について、多くの筆を費やしている。このブログで、それらをすべて紹介するわけにはいかないが、すでに、二「右翼の回想」の(5)「猶存社・行地社・老壮会」、および(8)「奔騰するテロリズム」については、それぞれ、関連する節を選んで紹介済みである。
 本日は、同書の三「右翼の人々」の(8)「北 一輝」から、「二・二六と北の立場」の節を紹介してみたい。

   二・二六事件と北の立場
 二・二六蹶起の趣意は、詮じつめれば君側の奸〈クンソク・ノ・カン〉を徐くということにつきるようだが、君側の奸を徐くだけなら、このような大規模の騷擾を必要とはしないだろう。これによって戒厳令を布かしめ、理想の人物を総理大臣に推し、庶政の革新をやらせようというのであれば、正に『日本改造法案大綱』のプログラムの通りだが、それにはもっと周到な用意が要る。北〔一輝〕、西田〔税〕等が時機尚早をとき、準備不十分を主張したことは当然だが、然らばいつがその適当な時機であるか、また、そのために普段どの程度の努力をしていたかということが此の場合問題にならなければなるまい。『日本改造案』を見ても、戒厳令を布き〈シキ〉、憲法を停止し、議院を解散したのちのプログラムはきわめてあきらかに示されているが、肝心のどうしてそこまで事を運ぶかの戦略戦術については説くところがない。右翼の革命理論が、左翼のそれに比し一籌を輸する〔一歩ゆずる〕ゆえんであろうか。
 二・二六事件で収容され、当局の訊問に答えた中で北は次のように述べている。
《私は戦敗から起る革命といふ様なことは、ロシアや独逸の如き前例を見て居りますので何よりも前に日米間、日支間を調整して置くことが最急務と考へまして、西田〔税〕や青年将校等に何等関係なく、私独自の行動を執った次第であります。幸か不幸か、二月二十日頃から青年将校が蹶起することを西田から聞きまして、私の内心に持って居る、まづ国際間の調整より始むべしといふ方針と全然相違もしておりますし、且つ何人〈ナンピト〉が見ても時機でないことが判りますし、私一人心中で、意外の変事に遭逢〈ソウホウ〉したといふ様な感じを持つて居りました。然し満洲派遣といふ特殊の事情から突発するものである以上、私の微力は勿論、何人も人力〈ジンリョク〉を以て押へ得る勢いではないと考へ、西田の報告に対して承認をあたへましたのは私の重大なる責任と存じております。殊に五・一五事件以前から其以後も、何回となく勃発し様とするやうな場合の時、常に私が中止し勧告をしてきたに拘らず今回に至つて、人力致し方なしとして承認を与へましたのは愈々責任の大なるを感ずる次第であります。》
 右の陳述のうち、西田の報告に対し承認をあたえたというのはどういうことであろうか。普通の常識では、此の言葉によって北が騒擾をおこすことを肯定した、つまりやってもよろしいと承認したということになるが、そうなると北の将校との関係はきわめて深いものということになり、一部の無罪論などは成り立ちにくいことになる。また、五・一五以前から蹶起を押えてきたというから、その点でも、北の指導力は大きかったといえるが、それから以後二・二六に至る数年間に、革命遂行のためのどのような工夫、工作がめぐらされてきたのであろうかが、関心の種になる。

 明日は、いったん話題を変える。

*このブログの人気記事 2018・2・26(6位以外は二・二六関係、8位がやや珍しい)

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