◎重慶政府の宋子文、スターリン首相と会談
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、久しぶりに『永田町一番地』から、六月三〇日と七月九日の日誌を紹介する(二一三~二一五ページ)。その間は、日誌が飛んでいる。
六月三十日
米英ソ三国巨頭会談が間近かに迫つてゐる。この間、重慶政府行政院々長宋子文氏が今日モスコーに到着したことが報ぜられた。モスコーの招請によるものか、重慶の発意によるモスコー訪問か、或はモスコー・重慶間に何等かの問題に関し下交渉を見た上での動きか、それは判らない。然し、戦争が明に最後的段階に突入した折柄〈オリカラ〉であり、極東問題がいよいよ国際政局の上に大きく浮かびあがつて来たことを端的に示唆する。
七月九日
モスコーからの報道によると宋子文氏はすでに四回にわたつて、スターリン首相と会談を遂げてゐる。
宋子文氏のモスコー訪問に伴ふソ中国交渉について、朝日新聞のチユーリヒ特電は、ソ連は、重慶政府に対し、満洲における権益の回復を要求し、重慶はこのソ連の申出を結局受諾するのではないかとの観測を行つて来た(掲載禁止となる)
【一行アキ】
我方の対ソ工作にも満洲問題が包含されてゐる。満洲問題は今や、ソ連に対する日本のそしてまた重慶の交渉の切り札となつた。その何れを取るかは一に〈イツニ〉全くソ連の掌中に握られた形勢である。ソ連は完全にキヤステイング・ヴオートをつかんだ。ポツダムにおける米英ソ三巨頭会談を目前に、斯くして、国際政局は頓に〈トミニ〉緊張の度を加へて来た。
ワシントン発、今日のユー・ピー電はソ中国間に友好条約が締結されるに至るだらうと報じてゐる。
東郷〔茂徳〕外相は軽井沢で、近衛〔文麿〕公と会見、要談した。外相としては、強羅会談〔廣田・マリック会談〕に基く対ソ交渉は物にならずとの結論を得、鈴木〔貫太郎〕首相との協議の結果、近衛公の対ソ派遣を考慮したのである。