礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

伊藤博文曰く、日露戦に成算はない(1903)

2014-06-13 05:35:34 | コラムと名言

◎伊藤博文曰く、日露戦に成算はない(1903)

 昨日の続きである。国民新聞編輯局編『伊藤博文公』(啓成社、一九三〇年一月)から、元田肇の「伊藤公を憶ふ」を紹介している。
 本日は、その三回目で、「三、日露開戦と公の決断」の前半を紹介する。

 三、日露開戦と公の決断
 日露戦争の前年、即ち明治三十六年〔一九〇三〕の十一月末であつたと記憶して居ります、私は日露の国交が危機に迫り、御前会議があつたといふことを聞きまして、公を追つて大磯の滄浪閣に参りましたが、公は一切面会を謝絶し会はれません。私は若し御許しがなければ御許しになるまで此処を去りませんと強要致しましたが、公が塔ノ沢の環翠楼に行かれるとのことで私も亦同所に参りました。そこで公は私に面会を許されましたが、頗る御機嫌が悪く、坐に就くと「何用あつて会見を迫るか」と申されました。私曰く「日露の関係廟議〈ビョウギ〉は如何に決せられしか承りたい」公曰く「斯くの如きは国家の大事である、今足下に語るべき秋〈トキ〉でない」と言下に拒絶されました。其処で私が申すには「政友会は公の創立せられた大政党である。この大政党の嚮ふ〈ムカウ〉ところ如何に依つて帝国の存亡興廃に関するところなしとは云ふべからず、従つて党の方向を誤らざらしめんとせば廟議のあるところを知らずして可なりや、況んや不肖等常に公の指導を重んじ総務の職にあり、党員の行動を監視し居る者に於てをや」と、この時私の態度は頗る激越でありました。ところが公は暫く沈吟して居られましたが曰く「足下の言一理あり、併し事最も秘密に属す、若し秘密の漏れるやうなことあらば国家の大事である、足下は秘密が守れるか、万一の場合は足下の首を申し受けるぞ」私曰く「不肯なれどもその覚悟は致して居ります」と、茲に於て公は形を改めて「廟議は戦に決した」と一言述べられました。私曰く「成算がありますか」、公の曰く「成算はない、財政の上から云つても、兵備の上から云つても、地理の上から云つても、何れの点に於ても、露国に勝つといふ成算はない」、私曰く「成算がなくして戦に決する理由は如何」斯様に申しますと見る見る中に公の顔色は変りました。【以下、次回】

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